弦楽器の知識 超基礎編 【第2回】弦楽器職人はイメージ通りの音の楽器を作れるか? | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

前回の記事で良い音の楽器は天才だけに作れるわけではないということを説明しましたが、もう少し詳しくそのあたりを掘り下げていきます。
過去記事参照

もし完全に意図したとおりに作れるのなら、その人の美意識や考え方が楽器の音と直結しますから、「〇〇系」といったように美意識によって分類でき、文化的なバックグラウンドも影響するので「好きな流派」でひとまとめにすることもできると思います。
逆に意図したとおりに作れないなら、どこの国のだれが作ったものの中に自分の気に入る楽器が存在するのか全く分からなくなります。

そのあたりはどうなんでしょうか?



こんにちは、ガリッポです。

第2回目は、実際に楽器を作っている人にしかわからない話で、どの程度思ったような音の楽器を作ることができるかということを明かしてしまいます。
ミステリアスなままにして置くほうが、夢があってよいような気がしますが、ことごとく夢を壊してしまうのが当ブログの醍醐味です。

さあ、突然クイズです・・・・

弦楽器職人はイメージ通りの音の楽器を作れるか?

①誰でも意のままにできる
②一部の人だけが意のままにできる
③誰もがある程度はできる
④一部の人だけがある程度できる
⑤誰も意図したとおりにはできない

さあどれが正解でしょうか?




正解は④の「一部の人だけがある程度できる」です。


それぞれの選択肢を検討していきます。

①誰でも意のままにできる
ヴァイオリン製作学校や弟子として楽器の製作を勉強するときに、部分ごとにこのように作るとこういう音の傾向になるということが基本的な知識として習う必要があります。
そうなると、砂糖や塩の量を変えて味を変えるように音を変えることが出きるわけです。

しかし、実際は音については全くわからないままお手本通りに楽器の姿を作り上げるだけです。
先生も自信がありません。
それだけも初めての人には大変な難易度で、訓練を必要とします。


②一部の人だけが意のままにできる
学校などで基本的な勉強をしても、音については全く分からないままですが、独自に研究して到達できるのでしょうか?

私は全世界の職人に聞いたわけではないのでそういう人が完全にいないとは言えません。
しかしながら、弦楽器というのは作られた後、演奏で使われたり年月を経て音が変化していくものです。
もし名器が良い音をしていたとしてもそれは製作者本人が意図して作り上げたものだけでなく、その後の経過によって音が変化した結果なのです。

したがって作者が厳密に計算しても、年月が経た楽器はもうそのような音はしていないことになります。

また、ストラディバリなどの名器もロマン派の時代になって、モダンヴァイオリンとして改造がなされました。
同じ楽器でも修理によってフィッティングが変わっていき音も変化しています。

100年前と今では、弦が違うため音はまったく違っていると思います。
弦の開発は著しく30年前と今でもずいぶん変わっているので、楽器本体に求められる音も変わり、演奏者の年代によっても好む音の傾向が変化しています。

③誰もがある程度できる
①で示した通り、基礎知識や常識として意図的に音を作り出す方法を教わっていないければ、音については全く分かっていないことになりますので、誰でも楽器の音を意図的に作り分けるというわけにはいきません。

④一部の人だけがある程度できる
熱心に研究して初めてある程度音を作り分けることができるということで、これが正解だと思います。
もともと弦楽器は音を調整するように設計されていないため、何がどのように音に作用するかよくわからない部分が多いです。
しかし、すべてがわからないのではなく一部にはわかる部分もあります。

⑤誰もまったく意図したとおりにはできない
④で示した通り、ある程度は作り方の音への影響がわかる部分があるので誰にも全くできないということはありません。

多くの製作者が音の作り分けに挑戦しないわけ

「楽器製作を志す人は、良い音の楽器を作り出すため日々研究をつづけているもの」というイメージを持っているかもしれません。
しかしこれもイメージでしかなく、実際には初めて教わった方法で楽器を作り続けて製作者として生涯を終え死んでいく人のほうが多数です。

演奏者の場合を考えてみてください。

弦楽器の演奏は大変難しく、先生について課題を一つ一つ練習してようやく弾けるようになっていきます。
レベルが上がればより優れた先生に弾き方を教わるわけです。
私もたくさんの演奏者と触れ合う機会がありますが、自分で作曲をしている人はほとんどいません。
相当の腕前の演奏者でもほとんどの場合、自分で作曲することはなく人が作ったものを演奏するだけです。


楽器の製作も全く同じです。
ほとんどの人は、教わった通りに楽器を作るだけです。
多少のアレンジを加えるとはいえ、師匠の作り方を継承するだけです。

作られた後、音が良くなっていく?

先ほども解説したように、弦楽器は製作された後年月を経て音が変わっていきます。
したがって、音が良くなっていく部分があるということです。


私の職場はヨーロッパでもそこそこ老舗なので先輩や師匠、師匠の師匠や師匠の師匠の師匠、そのまた師匠の楽器を修理やメンテナンスで音を試す機会があります。
また、フランスの19世紀の楽器は作風がきわめて似通って高品質なため、1800年ごろのものと1850年頃、1900年頃のものを比較することでもおおよその音の変化を知ることができます。

また、作風にはばらつきがありますが作られて、新品の楽器、100年程度経った楽器、200年以上経った楽器の音を数多く比べることでも傾向が見えてきます。


経験の中から私が音がどう変化していくか推定するとおおまかに次の通りです。
もちろんすべての楽器が年代によってそうなっているというわけではなく、音がどう変化していくかの私の推測です。

やや単純化しすぎですが、できてから50~100年くらいでも音量や音の強さは改善されていきます。
音色のほうはもう少しかかって150年くらいすると柔らかくなり始め低音が充実してくる。
音量や音の強さを求めると100年くらい前の楽器が優れていますが耳障りな音と紙一重で、300年近くたった名器は単に音量があるだけでなく耳障りな音とは無縁なことが多いです。

また、楽器をしっかり鳴らすことのできるプロの演奏者が毎日長い時間弾いたのであれば全く新しい楽器でも、音量や発音が改善されて行き、数年でも確実に改善が確認され、15~20年も弾き込まれたものは、音量について古い楽器と比べても特に不満のないレベルになります。
粗悪なものではなく、まともに作られたチェロについてはとくに改善が著しいです。

ただ、音色に関しては大きく変わることがなく、楽器全体として硬さが取れて自由に振動するようになりますが、音自体はが柔らかくなるより強くなる分鋭い方向に変わっていくように思います。

新品の段階では、やや音が柔らかすぎて弱々しく感じる楽器では音量が改善し力強さが増して理想に近づいていくのに対し、初めから強い音がして音量があると感じた楽器のほうは耳障りな音になっていくということになります。

音量は弾き込みによって改善していきますが、音色のキャラクターは生きているうちには変わらないということですから、音量に満足しても音色で不満が出てくることになります。

私個人的な意見ですが、新品の楽器は音色を優先して選び、音量は後々の改善に期待するほうが
良いと思います。
もちろんこれは技術者から見て問題がなく作られているのが大前提です。

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このチェロは私の職場で先輩が作ったもので15年以上チェロ教授に弾かれているものです。
音量や発音が優れていて他の演奏者が弾いても明らかに音が優れていることがわかります。
作られた当初からそういう音だったわけではありません。
特別な作り方や材料を使っているわけではなく普通に作ってあるだけです。
チェロは作業量が多いため、多くの場合「手抜き」が行われます。したがって普通に作ってあるというのは大変珍しいです。

音を作り分けられる部分できない部分

前回「弦楽器には普通の楽器と粗悪な楽器しかない」と説明しましたが、音の強さや発音など本質的な性能は年月を経ることや弾き込みが必要です。

同じ問題なくうまく作られた「普通」の楽器でも音色のキャラクターは様々でこれはある程度作り分けることができます。
詳しくは、将来このブログで扱っていこうと思いますが今回は少しだけ触れていきます。

①板の厚さ
表板や裏板の厚さは音色のキャラクターと直結します。
どこの部分がどのように厚いか薄いかということがありますから、単純に[厚い/薄い]の2元論で語ることはできませんが大雑把に傾向を説明します。

板の厚さは薄いほうが低音が出やすくなります。
したがって音色は低音が勝った「暗い音」になります。
また薄い板厚のほうが遠くまで音が届く「遠鳴り」の傾向になります。

ストラディバリなどクレモナ派や19世紀のフランスの楽器を始め、古い時代の楽器は板が薄いものが多いです。

1900年ころから厚い板厚が流行ったのか、単に削るのがめんどくさくて厚くしたのか、厚い板厚の楽器が多くなります。

したがって薄めの板厚で作れば、音色のキャラクターは古い名器に似た暗い音色になります。
もちろん発音や音量などは違うので同じ音にはなりません。

今でも新しい楽器は板が厚いものが多いので、どこの国ものでも低音が出にくい「明るい音」の楽器が多いです。


「明るい音」と「暗い音」のどちらが良いかという問いかけには、好みの問題としか言いようがありません。
ただ一般的に、アジアやアメリカなどクラシック音楽の歴史の浅い国では明るい音が好まれ、ヨーロッパでは暗い音が好まれます。

日本のプロのオーケストラで比較的新しい楽器が多いのに対し、ヨーロッパで少ないのはこの傾向を表していると思われます。


ビオラやチェロの場合低音があまりにも出ないものは魅力的ではないと思います。

②ニス
古い楽器の場合、ニスのほとんどが風化してぼろぼろになり剥げ落ちて、保護のために新しいニスが薄く塗られていますから、ニスについて作者の意図とはあまり関係がありませんが、新しい楽器の場合分厚くニスが塗られるので音にはっきりとした影響があります。

「ニスは柔らかければ柔らかいほど振動を妨げないので良い」と考えられてきました。
したがって、ケースの跡がつかない程度の硬さでできるだけ柔らかいニスを目指している職人が今でも多くいます。

一方、安価な大量生産品では1900年ころから一般に「ラッカー」と呼ばれているニトロセルロースを成分としたニスが使われました。
これらのこともいずれ詳しく説明しますが、このラッカーはそれまで伝統的に使われてきた天然樹脂を成分とするニスに比べ大変に硬く耐久性があり輸送や店頭でも傷がつきにくく、乾くのも早く生産性も良いため用いられました。
現在では有毒な溶剤を使わない石油系の人口樹脂を用いたアクリル系のものが使われていると思います。

これらの大量生産用のニスは大変硬いため、音も硬い耳障りな音がすることが多いです。
またチェロなどではゆったりした低音が出にくいと思います。
ニスを塗る前の大量生産の楽器を入手して、私が自作した天然樹脂のニスを塗ると柔らかい音になります。

かつては安価な楽器にスチール弦を張っていましたが、これはとても金属的な耳障りな音がするので硬いニスの楽器との相性は最悪で余計に耳障りな音になりました。

そこで、硬いニスは嫌われたわけですが、今ではヴァイオリンやビオラではナイロン弦、チェロでも進化したケーブル状のスチール弦が普及したため以前ほどは耳障りな音が気にならなくなってきました。

むしろ人によっては「力強い」と好評化する人もいます。

私は、先ほど300年前の名器は「耳障りな音とは無縁」と述べたように、硬い音を「力強い音」とする考えにはあまり賛同しません。
しかし、こちらヨーロッパでニーズとして現在では柔らかい音の楽器はあまり好まれなくなってきました。

また、ニスは楽器本体との相性で本体の持つ音の特徴とうまく合致する必要があるので「ニスは柔らかいほど良い」というような単純な思考は改めたほうが良いと思います。

③材料の質
素人が持ちやすい典型的な幻想の一つが「材料の入手先や材料選びのセンスこそが良い音の楽器を決める秘訣」というものです。
ごく普通の材料で、ごく普通に作れば、100年200年後には良い音になるのものです。
古い楽器で音の良いものの木目を見ても、様々で音が良い楽器に共通する特徴はなく、整った正目板でも木目が斜めに入っていたり、木目の整っていない安い木材でも音の良いものがあります。

優劣として語るのは難しくても、特に表板の質については、音色のキャラクターには直結します。
柔らかい木であれば柔らかい暗い音、硬い木であれば硬い明るい音になります。
ヴァイオリンの場合、どちらが良いかといえばキャラクターは違うけども一長一短でずば抜けて良いということはなく性能的には変わりません。

チェロの場合には、柔らかすぎる木がたまにあって、見た目ではほとんどわかりませんが、板を薄く削っていったときに削った感触と板自体がふにゃふにゃになるのでわかります。
このような木の場合、強い音が出なかったり弦の張力で変形したりします。
多少の柔らかさは柔らかい音と豊かな低音に貢献し、また板を厚めにすることで硬い木と同じ音にはなりませんがそれなりにバランスは取れます。


それから伐採してから長年経過した古材というものもあります。
私も様々な古さの木で試した結果古い木のほうが発音が良い傾向あるように思います。
ただし、50年以上前の木で作っても50年前に作られた楽器の音にはなりませんでした。
古い木のあるものはカサカサですぐにひびが入ってしまい、あるものは弾力があって粘りがあるように状態が様々です。
20~30年くらい経ったものを使うと品質が安定して音も全く新しいものよりは良いと思います。

大量生産品では、1年くらいから割合高価なものでも5年くらいしか経っていません。
音もそうですが、歪みが生じ接着面の剥がれやひび割れなどが起きやすいので感心しません。


④・・・・・
細かく見ればいろいろあるのでしょうが、それ以外では音の特徴がどうなるのか確信を持ってはっきりわかると言えることが少ないです。
つまりよくわからないということになります。
もちろん職人一人一人の心の中には、「こうすると良い」みたいなコツのようなものはあるかもしれません。
しかし、様々な要素との組み合わせによるので、同じ方法が別の作者の楽器に応用しても機能するとは限りません。

例えば、ストラディバリモデル、グァルネリモデルというのを聞いたことがあるかもしれません。
ストラディバリモデルはこういう音で、グァルネリモデルはこういう音とあらゆる作者の楽器に共通した特徴を上げることはできません。
同じ作者なら少し違う程度で特徴があげらえることもあります。

このモデルというのは表板と裏板の輪郭の形を意味するわけですが、輪郭の形が音に与える影響は決定的ではなく異なるモデルでどのような音になるのかは正直よくわかりません。

もちろんわかってないのにわかった気になってる人もいるでしょうし、何でも分かっている人を演じるほうがお客さんが求めている「カリスマ性」に近づくかもしれません。

しかしこのブログでは技術者の立場から楽器を理解したいのでそのように演じることはしません。

⑤タッピング音
これも無知な人がイメージするヴァイオリン職人像の典型ですが、「苦虫かみつぶしたような顔をして材料や作りかけの楽器をコツコツと叩いてみて音を確認しながら仕様を決めていく」というものです。

これもあまりよくわかりません。
古い楽器を修理するために表板を開けたとき、叩いてみるとボヨンと鈍い音がします。新しい楽器を作っている時に叩いてみるとパーン!とよく響きます。
これらの表板を胴体に張り付けるとさっきとは逆に、古い楽器ではよく響いて、新しい楽器では鈍い音になることがあります。

つまりよくわかりません。

また、音色には倍音が大きく影響します。
倍音は弦が振動するときに、楽音の倍の周波数の音さらに倍・・・と同時に出るために生じます。
タッピングではこれがよくわかりません。

⑥加工精度
我々職人の間で、上手い下手を競うときには、この加工精度の高さをアピールしあいます。
しかし残念ながら精密な加工精度の高さと音の良し悪しの間にはあまり関係がありません。
0.1mmまで正確に加工して自画自賛している人もいますが、それによって取り立てて音が良くなることがないのは何が正解かわからないからです。

加工精度の低いものに粗悪なものが多いのですが、精度が悪くても大事な部分が問題なく作られていれば良い音がしてもおかしくありません。
逆に加工精度の高さから、弦の張力で変形するの嫌い板を厚くしすぎたりする人もいます。
見た目の美しさとは裏腹に蚊の鳴くような音しか出ません。
この辺は技術者でも実際に音を聴いて現実をしっかり見つめてどの部分がどうなっていてはまずいのかを学ばなくていはいけません。

加工精度の高さは音とは別の価値があります。
したがって、全く無意味というわけではありません。
このことは次回説明していきたいと思っています。

まとめ

いくつか音の違いが生じる条件を示してきましたが、それらを変えても大きく見ると同じ作者の楽器は似たようなものでずば抜けてよかったり悪かったりしません。
どうしてそのような音になるのかわかっていることよりわからないことのほうが多いからです。
そもそも、音を作り分けることに挑戦しない人のほうが多いのです。

そういうわけなので、楽器を購入しようとするときに候補に挙がる楽器の多くは作者の意図したとおりの音にはなっていないことになります。
当然その人の文化的な背景が音に影響することも限定的で、国や地域によってこういう音ということも言えません。
しかし本人の意図とは関係なく、問題なく作られた楽器であれば良い音がしてもおかしくありません。

また、世に存在する楽器の作りや構造を調べても楽器の音を完全に予測することはできません。

いずれにせよわかっている技術者の目で見て作りに問題が無ければそれなりに良い音がする可能性は高くなり、音は様々ですがその楽器の音を好む演奏者に巡り合えた時に「良い音」となるのではないでしょうか?












ちょっと難しかったでしょうか?
$ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

このダメサンタのように純粋な夢を壊してしまいましたが、これも技術的な理解を深めるためです。
今の段階では、何となくイメージしてもらえれば詳細は今後詳しく取り上げます。

次回は、「弦楽器の価値」について考えていきたいと思います。