弦楽器の知識 超基礎編 【第1回】 音が良い楽器は天才にしか作れないか?  | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

私たちは何事にも優れた成果を発揮するには才能と努力が不可欠だと思っています。
また一方で「運がすべて」と言う人もいるでしょう。

果たして音が良い弦楽器は、天才にしか作ることができないのでしょうか?


第一回ということで誰も見ていないことが予想されますが、過去記事を探索した時最初に見るページだということで、一回目からとっても大事なことを書いてしまいます。

度が過ぎる日本特有の天才信仰?

どこの国でも偉大な人物を称賛することはありますが、日本で人を尊敬するには独特のものがあるように思います。
日本では名工として有名になった職人はとても尊敬されています。

私はヨーロッパの弦楽器専門店で働いていますが、弦楽器を購入しようとやって来られたお客さんで「どこの国の楽器でも、誰が作ったものでも、いつ作られたものでも構いません、予算のうちでできるだけ多く試奏させてください」というお客さんが近年増えてきました。

品物さえよければ作者には全く興味がなく、彼が才能を持っているか(いたか)どうかなどもほとんど興味を持っていない人が多いです

まあ、そのおかげて日本人の私も含め彼らにとって得体の知れない日本メーカーの工業製品が品物の良さだけで簡単に欧米で受け入れられたわけです。


もちろん天才のようにすぐれた才能と超人的な努力をしてきた人の言葉に耳を傾けることは、多くのことを学ぶことができる素晴らしいことです。

私も一職人として「天才の作った銘器」をくまなく調べ上げ音の良さの秘密を知りたいと思っていました。

ところが、研究を重ねるほどこの天才像は実際とはかけ離れていて、無知な素人が自分のエゴのために作り上げた幻想にすぎないことがわかってきました。

度が過ぎる「天才信仰」は事実を捻じ曲げて間違った楽器の理解を深めてしまうのです。

凡人にも音が良い楽器は作れる

私が実際に高価な銘器や音の良い楽器を研究してきたところ、特に変わったところもなければ、音の良さに関して超人にしか作れない難易度の部分は見つかりませんでした。

大雑把にわかってきたことをまとめてみます。
①弦楽器には「普通」のものと「粗悪」なものしかない
②流通している楽器は粗悪なものが圧倒的多数
③普通にも幅があって作者や楽器によっても音のキャラクターは様々
④銘器は普通の楽器が古くなったもの
⑤普通の楽器は凡人にも作れる

きちんと訓練すれば凡人にも普通の楽器を作ることができますが、圧倒的に粗悪な楽器のほうが流通量が多いため普通の楽器すら貴重です。
普通の楽器が年月を経て木材が朽ち演奏者に弾き込まれると音が良くなることが多いですが、人々の行き来が限られ地域によって作風がバラバラだった古い時代の「普通の楽器」はとても貴重で高価になります。

粗悪な楽器が作られるわけ

楽器を売る立場で粗悪な楽器を多く売ってきた理由を考えてみましょう。

もともとヴァイオリン族の弦楽器が成立した1500年代には主な顧客が国王や貴族など裕福な人たちだったので、弦楽器の設計が大変手間のかかるものになってしまいました。
まともに弦楽器を製作するととても高価になってしまいます。

・普通ではない安上がりな製造法で作られた楽器なら庶民にも手が届く
・仕入れ値が安い楽器のほうが利益を高められる
・大金をはたいて高価な楽器を買う場合、「普通」ではインパクトが弱い
・営業出身の経営者や総合楽器店など技術の知識がない

普通の音が良い楽器を作ることができる職人はいても、普通以上の知名度が無ければ売ることが難しく生計を立てられないので、安価な楽器を製造するか、製造自体を辞めてしまいます。
また、ハッタリでもいったん知名度が高まれば、粗悪な楽器でも売れるのです。

粗悪な楽器の分類

粗悪な楽器にもいろいろなケースがあります。

①値段を安くするため、安上がりな製造法で作られた楽器
②大量生産の工場などで教育を受けて独立した職人の楽器
③普通の楽器も作れない未熟な職人の楽器
④独学などきちんと訓練を受けていない職人の楽器
⑤自称天才の自信過剰なトンデモ職人の楽器
⑥これらの職人のまじめな弟子

④のトンデモ職人とは、普通以上の楽器でないと売れないため、「ストラディバリの秘密を解明した」とか「画期的に音が良くなる方法を編み出した」とか言い出すが思い込みが激しく、実際の効果を冷静に確認することなく間違った製造法で作り、結果的に普通以下になってしまうケースです。
このような話題は弦楽器に無知な記者によってメディアで取り上げられて有名になってしまうこともあります。
この有名な自称天才の名工(迷工?)が弟子を育成して、何世代も重ねると本当にわけのわからない製造法が「天才の技法」として広まってしまいます。

笑ってしまいますが、冗談ではなくて現実の話ですよ。

天才信仰の問題

ここで天才信仰の問題点をまとめます。

①作者の才能の評価が霊感商法並みに怪しい
②マイナーな作者もあなどれない
③職人が間違った知識をもとに楽器を作ったり修理したりする


①作者の才能の評価が霊感商法並みに怪しい
「ご利益があるのでこれを手元に置きなさい」とバカ高い石とか壺などを売る場合、胡散臭いと思う人がかなりいると思います。
しかし弦楽器について、「この作者は天才だ、ストラディバリの再来と言われています」と楽器を紹介された時に限っては、その通りだと信じて間違いないのでしょうか?
私は技術者で古い楽器をよく研究しているので、「音は普通だし、ストラディバリをお手本にするのは19世紀以降常識なので外観が似ているのはよくあることで何を根拠にそんなでたらめを言っているの?」と嘘にすぐ気付くことができます。

ここでいう才能は「良い音のする楽器を作る才能」だとすると、楽器の音を客観的に評価する必要がありますが、そのような専門職も国際的な機関もありません。

その前に演奏者自身の好みや考え方の違いが大きすぎて客観的な評価などできません。
言葉や数字で表わせればよいのですが、いくつかの楽器を弾き比べても「全然違う」とわかっても何がどう違うか、どこがどのように優れているか劣っているか言葉で説明できないことも多いです。

ある演奏者が「この楽器はとても良い!!」と感激しても別の演奏者には「別に・・・。」くらいの印象だったりすることはよくあります。

国によっても違うのでアメリカや日本で多くの人に絶賛される楽器が、ヨーロッパでは全く相手にされないこともあります。


古い銘器などを紹介する図鑑などの書物は外国で発売されています。
またイギリスでは『The Strad』という弦楽器専門の雑誌もあります。
しかしいずれの書籍でも、銘器についていろいろ詳しく書かれていますが、音に関する記述はありません。

それだけ音について定まった評価はできないということです。

②マイナーな作者もあなどれない
音を客観的に評価することがないなら、知名度とは人気が優先され厳密に実力が反映されているとは言えません。
人気があるから値段が高くなり、値段が高いから良い楽器だろうと思い人気が出るというバブル経済のような性質があります。
普通の楽器は凡人にも作れ、無名な作者でも音が良い楽器は作れるのなら、安価な楽器もあなどれないわけです。

③職人が間違った知識をもとに楽器を作ったり修理したりする
「良い音の楽器は天才にしか作れない」という思い込みで銘器を見ていくと何か特徴があった時、実際には音の改善に効果のないことも「天才が音を良くするために計算してそうしたに違いない」と思い込み「音を良くする秘密を解明した!!」と浮かれてしまいます。
その特徴をまねて作っても劇的に音が良くならないなら、それを冷静に認めればいいのですが、思い込みの激しい人はそれができません。

また現代の職人でも偉い人、有名な人がいますが、この人がヘンテコな「音をよくする秘訣」を提唱すると、師匠を天才と信じている弟子たちは信じてしまいます。
偉い師匠に「間違っているんじゃないですか?」と意見を言うことはなかなかできません。

さらに厄介なのは、その音を良くする秘訣を修理にも応用して、高い修理代の割に効果がないか、逆に悪くなってしまうことです。
効果がないだけならまだ良いですが、再修理不能に改造したりニスを塗りかえたりして楽器の値打ちを半減させてしまうのは困りものです。

もちろんネックや指板などを、修理に精通した職人が演奏しやすい標準な状態に加工することで値打ちが下がることはありません。
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これは、エンリコ・ロッカ1915年作のヴァイオリンです。
有名なので1000万円くらいしますが作りを調べても特に変わったところはなく、特別な加工技術が求められる部分も見当たりません。
このように普通に作られて100年ほど経ちプロの演奏家に弾き込まれれば近現代の楽器として良い音がするのは当然のことです。
ただし、同じくらい普通の楽器でも作者がマイナーなら1/10の値段で買うことができます。
(音はそれぞれの楽器で違うので同じ音のものが買えるという意味ではありません。)


まとめ

「一流の楽器を選ぶには何が必要か?」と聞かれたらこう答えます。
「少なくとも1億円は用意してください。」

「一億円でっせ。一円置くのと違いまっせ!」
トミーズの漫才のネタです。

数億円用意できなければ、いずれにしても一流の楽器は買えないわけです。
二流三流以下の楽器しか購入できない99.9%の演奏者にとって、幻想や神話を捨てて現実を知るほうが、はるかに有利になります。


思い込みの激しくない優秀な技術者なら「普通の楽器」と「粗悪な楽器」を見分けることができます。

したがって、技術者が技術的に問題がない「粗悪でない」と太鼓判を押した楽器の中から、実際に試奏して気に入ったものを選べば、どれを選んでも大きな失敗はしないということになります。
例え、知名度が低かったり、作者が不明の楽器でさえ技術者ならその楽器が買っても良いかどうかわかります。

技術がわからなければ、「値段が高い=良い楽器」としか判断できませんが、技術がわかれば安価な楽器の中でもまともな楽器を見つけることができます。
また明らかなニセモノや実力より値段が高すぎる楽器も見抜けます。

粗悪な楽器が多数ですから、技術的に問題のある楽器を振るい落とせば相当絞り込むことができると思います。

つまり、1次審査を信頼できる技術者が行って、2次審査を演奏者が行えば良いと考えています。


誰が信頼できるかが難しいところです。
多くの技術者はアピールが消極的なので、知り合ったり判断する機会が乏しいのが現実です。
私がこのブログを始めたのもそのためで、読んで信頼できる人物か判断できる材料を提供することも技術者の責務だと思っています。





さて、楽しんでいただけたでしょうか?
短かすぎても読みごたえがないし、かといって詰め込みすぎるとわかりにくくなるので今回触れなかったことはたくさんあります。

「じゃあ『普通』ってどういうものなんだ?」とか「職人の腕に差はないのか?」とか、疑問点もあるかもしれません。

次回以降、これらのことにも触れていきますのでよろしくお願いします。