上京して何度かある疑問にあたって、そのままにしておいたことがある。たまに筋子おにぎりが食べたくなるのだが、無い!あっても鮭いくらとかなのだ。地元には筋子おにぎりがコンビニに置いてあるのだが、東京のコンビニでは筋子おにぎりを見たことがない。たまたま俺が行く所にないのか、東京または関東全域で筋子おにぎりを販売していないのか。この疑問の答えは果たしてどうすれば見つけられるのだろう。気になるわー。ネットで調べるとでてくんのかね?
筋子おにぎり食いたい!


ごめちょふ。
大学2年目が終了。約2ヶ月の春休みが終われば3年生の自分がいる。何もしてないな大学入学以来。勉強が好きで大学に入学した訳ではなく、当たり前のように大学に行くものとして入学した。もちろん浪人したから当たり前のようには入れてはいないのだけれども。ただただ4年間のモラトリアムのために入学した。上京するまえ、した直後は都会での大学生活に夢膨らませ、あんな事やこんな事をやるんだと希望に満ち溢れていた。が今はそんな思いとは裏腹にただ無為に日々を過ごしている。学生の本分であるはずの学業もせず、かと言って遊び廻っている訳でもない。中途半端。大学で夢を見つけようとしているが、見つける努力さえ怠っている。人生はなるようになるという言葉を都合良く受け入れ、運命と怠惰を混同し、ただ前にある逃げ道に歩を進めている。これといって好きな事、夢中になる事もない。人生の傍観者になっている。逃避によってしか自己を保つ手法がない。逃げないように生きていこう。そのためにはどうするか。逃げても良い環境から脱しよう。そうだ逃げよう。逃げ道から逃げてみればいいんだ。正当化は避けてただ謙虚に歩こうと決心した今日この頃。2/1から出発、逃げ道から逃げよう。

ごめちょふ。

ある言葉をそのまま受け入れることはないと思いつつ、それがいざ直接自分に向けられたとなればその言葉以上のことを勝手に付け加え感情の赴くまま心で遊ばせる。自ら踊ることを忘れてしまうほどの自意識が遊びだす。

不用意な言葉が誰かを傷つけることだってある。相手にも自分にも。大切にするのものは人と自分、自分と人。

そしてそれらをつなぎとめるのが言葉。言葉を大切にしよう。


言葉をしっかり学び、実践する。


行動的に行こうよ今年は。


なんだろう、この感じ。
言葉にすると、安っぽく思える。
ただ好きなんだわ、やっぱり。
不思議な緊張感と安堵感。これはさ、相反してるようで自分の中じゃそうでもない感じなんだだよ。まさか自分がこの立ち位置に来るなんて思ってもみなかった。好きな人への感情なんて、全部嘘っぱちで暫定的ものなんだと決めつけていた、あの頃には到底思えない。やっぱり自分は変わらないと思っていても、無意識に自分は変わっていってしまうのだ、と落胆しながらも、一方ではこんな自分に酔いしれてしまうという浅はかさ、嫌だね。
危険かもしれないけど、うどんを食べているだけ、鼻をすすっているだけでも、かわいいと思ってしまう。こんな感情がまだ自分にはあったのだ。

うまくいくといいね!とそのように切に願う今日この頃。


ごめちょふ。
だらしない、どうしようもない生活が続いた後にやってくる「このままじゃだめだ変わろう。」がまたきた。

今日から12月、本来ならば就活が本格的に始まる大学3年と同い年。浪人時代の10月のような焦り具合だ。

日々を見直して行こう。一度狂った歯車を立て直すのは難しい。それ故今から変わろうと思い立ってもドラスティックな変化は起きないという道理は自明だが、自分が一番嫌いで苦手なコツコツを実践していなければならないのかと思うと、今ある熱が冷めてしまいそうになってしまう。
徐々にね、小さい事から始めましょう。リハビリなんですから。
時間を無駄に使うのは人より秀でていると思うな、本当。

スタート地点が人より後ろ。尚且つ能力も人並みまたはそれ以下。そのくせ、俺はやればかなり出来るタイプだと信じて疑わない自己の不安定さ。

ま、ボチボチ行きますか、そろそろね。


ごめちょふ。