辻まことは、幸か不幸か、広告マンとしてその職業人生をスタートさせた。
かつての広告業界は、彼のような才能を引き受ける地盤が十分にあったのである。
というより、彼のような人物をのたれ死にさせないために存在してきた業界、
と言い換えてもよいくらいだ。
以下、私ごとで恐縮であるが、
自分も大学卒業後、銀座の小さな広告代理店に勤めていたことがある。
そこは大した規模でもなかったのだが、やはり「広告マン」を感じさせる人がそれなりにいた。
私が感じた広告マンの条件とは、
「今の自分の居場所に違和感を憶えながらも、眼の前の仕事に適応してしまう」
というタイプの男たちである。
つまり、本来は絵や音楽や文学や映画の世界で生きていきたかったが、
仕方なく(実は才能がなかっただけなのだけれど)広告の世界に来た、という連中である。
彼らは、すきあればそうした「本来の自分の世界」に戻りたいとあがいていた。
しかし、広告は広告でそれなりに面白い(し、金になる)ので、ここでやっている、というわけ。
で、実際にはこうしたズレを感じている人の方が、正直言って面白い仕事をしていたように思う。
「売文」なんて言葉を使っているコピーライターがいる時代だった。
惜しまれながら退社していったこうした同僚たちは、
舞台芸術家、キューレター、脚本家、パイロット、研究者…として各方面に散って行った。
私もどちらかというと、違和感派のひとりであったと思う。
先輩や同期入社の中にごろごろいた「○○大学・広告研究会出身」的な連中を、冷やかな目でみていた。
(そのために、同期や先輩たちからだいぶ嫌われていたようたが…すいません)
なんで広告の仕事にそんなに過剰適応できるのか、不思議でならなかった。
仕事へのシンクロ率は、70%程度でちょうどいい、と今でも思っている。
第11章。
辻潤が死の2年前、京都で連行されたときに、
「自分はチンドン屋と似たようなことをしているだけなのに捕まる。向こうは警察の許可を受けているがね」
と笑うシーンが出てくる(P218)。
チンドン屋が広告マンの祖先だとするなら、広告屋は「許可を受けたダダイスト」ともいえる。
そして実際に(まあ、誰だとは言わないけど…)、広告というものを通じて、
資本主義社会を組み替えようと企てるディコンストラクティブな試みが、
つい最近まで、生じていないこともなかったのである。
何が言いたいかというと、「辻まこと」はかつて広告業界に遍在していた、ということだ。
本書を眺めていると「ああ、昔こういう人いたよな」といった感傷が何度も芽生えてくる。
「辻まこと」たちは、ぎりぎりの綱渡りを続けるしかないのだ。
どちらに落っこちても、その瞬間から否定され、排除されてしまう。
本書に登場する幾人かの人物が「好きなんだけど嫌い」とする理由もよくわかる。
もちろん今はもう、辻まことはどこにもいない。
だからこそ今、辻まことを(その「人物像」とか「作品」とかいった断片的な切り口ではなく)
語る意義が、そこそこにあるとのだと思う。
…なんて話を、駒村吉重としたくなってきた。
香りのいいウイスキーでも飲みながら。(笑)