政府自民党は、新たに「公益財団法人・日本流行語選定協会」(仮称)を発足させる予定だ。
流行語は、「国民の気分高揚に寄与する文化的な共同産物」であることから、国を揚げてこれを選定することに意義がある、と説明する。
同協会では今後、「年間最高流行語の選定」のほか、「流行語と生活者の意識に関する研究」「海外の流行語に関する調査」などを、初年度約2億円あまりの税金を使って行っていく予定である。
理事には、原発広報に無自覚に協力していたような政府自民党系の文化人を据える。
もちろん、文部科学省からの天下りをバンバン受け入れる体制である。
安倍首相に近い情報通によると、2013年の流行語大賞に「アベノミクス」を選定するようユーキャンに働きかけたところ、現時点では「今でしょ?」か「フライングゲット」に敗北する公算が強いと断られたことから、政府が自前で流行語を設定し、その栄えある第1回最高流行語に「アベノミクス」を選定しようという目論見であるという。
安倍首相は、「「じぇじぇ」や「フライングゲット」に敗れるのは仕方ないにしても、「もしかしてだけど」のどぶろっくとかと同列に扱われるのは御免だ」と語っていたとも言われる。
かつて、ユーキャンによる新語・流行語大賞では、「政権交代」(2009)、「脱小沢」(2010)、「どじょう内閣」(2011)、「近いうちに」(2012)など、全て民主党政権が"受賞"しており、自民党幹部はこれに危機感を抱いていたらしい。
「日本を取り戻す」もノミネートさせるという話も出ているとのこと。
今後、「国定」の流行語と、民間選定の流行語が並列していく模様である。
世の中の人になにかと「おせっかい」をし、
感謝されたり、「なぜそんなことするんですか?」と聞かれたら、
「○○社の提供で行っております」
と回答して、スポンサーの好感度を上げる、という新規サービス。
よく電車の中で、後ろの襟が立っているサラリーマンがいる。
こういう人の襟を直してあげて、
「あ、すいません」とか言われたら、
スポンサー企業名を告げてにこやかに立ち去る。
1おせっかい=1000円くらいの広告費とし、
アルバイト学生に1日30おせかいをノルマとして動員、
2週間くらいで、スポンサー企業の知名度・好意度を急速にアップさせる。
地域密着型の企業、
特に店舗やサービス業だと、利用しがいもあるはず。
スポサー企業には、全おせっかい行為の状況と反応レポートをフィードバックする。
むろんこういうのは、ツイッターとかの反響もあるので、
増幅効果もちゃんと期待できるし…。
ゲリラ広告としては、意外とイケるかもしれないな。

国民に広く「笑い」を提供する、という国家戦略を提案したい。
そのために「お笑い省」を設ける。
むろん、大阪がその本拠となる。
笑いは健康を増進し、人間関係を良好にさせる。
医療費の国庫負担も軽減されるし、犯罪や自殺率も低下するはずだ。
また、企業と顧客との間に「笑い」が入ることは、経済活動にも良い影響を与える。
就労現場での笑顔は、他者の笑顔を呼ぶので、労働者のモチベーションも上がるはずだ。
震災復興のためにも、笑顔が不可欠である。
日本人は、もともと「よく笑う国民」だったという。
幕末~明治にかけて来日した外国人の日記には、「貧乏なくせに、庶民が何かにつけて笑うこの国の人たちって…もしかすると幸せなんでは?」という記述がみられる。
それはひとつの処世術でもあったが、当時の外国人たちは、社会が健全に運営されているバロメータとして江戸庶民の笑いを捉えた。
ただわれわれは、明治以降の近代化とともに、そうした笑いを失ってきたともいえる。
それを「取り戻す」、つまり「ヌィッポンをとでぃもどす」方法のひとつが、この戦略だ。
ただ、「笑い」には他者を傷つける要素もある。
嘲り笑い、というやつである。
これだけは留意する必要がある。
トリックスターは、自らが嘲笑されることで、コミュニティに幸福をもたらす存在であった。
だからこそ、トリックスターは重宝され、ある意味で尊敬される。
さて、お笑い省の仕事である。
国が自らボケをかますだけでなく、「笑い」の普及策をどんどん出す。
「お笑いサポーター」を、地域や学校、職場に派遣する。
「職場笑顔度ランキング」や「ユーモア商品大賞」などを推進する。
大学に「文学部ユーモア学科」を設置させ、芸人やコメディ脚本家を講師として招き入れる。
ジョークやユーモアで犯罪を解決する「お笑い刑事」を養成する。
国会答弁の中には、必ずジョークを採り入れる。笑いをとれない議員は選挙に勝てないようにさせる。
「笑えるスポーツ」を開発して、五輪競技まで育成する。
落語や漫才、モノマネ、狂言、幇間芸といった「笑い」の演芸を、クールジャパンの文化輸出の対象に位置づけて、推進する。「平和理念」の輸出とは、実はそういうことなのかもしれない。
こんな変な国になったら、楽しいだろうな?
精神科医の中井久夫は、「笑いの生物学を試みる」という短いエッセイの中で、次のようなことを述べている。
ヒトは脳の肥大化と言語の使用により、自らの生物としての感覚を鈍麻させる必要があった。
他の哺乳類と比べると、感覚が1/10000程度ともいわれている。
そしてその「鈍感化」を司っているのが、前頭葉前野である。
前頭葉前野の肥大は、人類に集中力、記憶力、やる気、推測力、創造力…等をもたらした。
しかしそれと同時に、抑制力や我慢する気持ちも、この前頭葉前野がコントロールしている。
これは別の言葉で言うと、「ストレス」を与え続ける中枢、ということにもなる。
「笑い」は、この前頭葉前野の働きを、一時的に解除するために生じたのではないか。
言語活動には、ヒト自らの身体を蝕むような弊害もあり、それを解毒するのが「笑い」の役割である。
極端にいえば、ヒトは笑わないとストレスですぐ死んでしまう。
「独り笑い」は、自分の精神を保持するためにも有効である。
がん患者の免疫力を上げるための最高の薬こそ「笑い」である、という話もある。
中井は「残念ながら、ヒトのような複雑で不安定な生物がどこまで生き残れるかどうか、私にはわからない」としながらも、「絶望の妄虚なるは希望のそれに等しい」(魯迅)、「明日世界が終ろうとも、今日私はリンゴの木を植える」(ルター)という箴言を採りあげ、それに「良質の笑いを以て」と言い添えたいとも述べる。
笑いの機会を増やすのは、個人や社会の健康上、必要不可欠である。
国家戦略として「お笑い省」をつくってもよさそうなもんである。
厚生労働省の外郭団体でもいいな。
国民の「笑い」を増進させることは、健康と幸福感の向上に寄与するんだから。
我が国における長期間にわたる不況と、「お笑いブーム」との関係を調べてみる必要もあるだろうな。
ただしかし、お笑い番組をやたらに見ればいい、ってもんでもない。
笑いは、人と人との関係の中で生じるものであり、笑いあえる気軽なコミュニティが良質の笑いを生み出すのである。
しかし今日の日本社会は、気軽に笑いあえるコミュニティそのものを失いはじめている。
笑いのインフラの喪失、である。
近年のうつ病の増加は、お笑いインフラの減退に起因しているような気がしてならない。
そこで、日常的な商業コミュニケーションの中で、失われつつある「笑い」を取り戻していけないか、というのが私の希望である。
「笑い」の贈与こそが、マーケティングの基本ではないか、ということでもある。
そのための方法論を、これからぼちぼちと綴ってみたい。