不況になると口紅が売れる -26ページ目

不況になると口紅が売れる

~遊びゴコロで、世界を救おう!~

ゆるキャラブームは衰えを知らず、いまやキャラクターを設置しない企業・団体・組織のほうが珍しい時代となった。

ダイキン工業の「ぴちょんくん」など、企業によっては、このキャラクターをライセンシングして利益をあげているケースもあり、その育て方によっては貴重な財産となりうる、という認識が高まってきた。


そこで政府自民党は、税制調査会の提言を受け、法人税を軽減する見返りとして、企業や団体が保有する「キャラクター」に課税するという方針を固めたとみられる。


キャラクターに課税というと、世田谷区桜新町商店街の「サザエさん銅像」が課税された件を思い出す方もおられるかもしれない。

この銅像は「商店街の宣伝目的で設置されているため」、つまり利益を誘発する看板としての意味合いが強いから課税した、というのがその根拠である。

つまり、企業の利益に貢献しているキャラクターは、課税の対象としてもなんら不自然ではないし、そもそもキャラクターなどと悠長なことを言っていられる企業は、「取れるところから取る」「逃げられない奴から取る」という徴税のターゲットとして、十分にその資格の可能性があるという判断とみなされる。

ちなみに同じ銅像でも葛飾区亀有の両さんや鳥取県境市の鬼太郎などは町興しのためであり、「公共性が高い」「美術品である」ため、非課税になるという理屈だ。

法的根拠としては、キャラクターは「無形固定資産」にあたるという解釈がある。

無形固定資産とは、「物質的実体のない識別可能な非貨幣性資産であり、たとえばコンピュータ・ソフトウェアや特許、版権、著作権などが該当する」と定義されるが、解釈次第ではキャラクターもこの範疇に入れることは十分可能である。


ただしこれは、今日のキャラクターブームに水をさす施策ともみなされ、企業によっては「廃キャラ」を志向するケースも現れるかもしれない。


ただ、「なんでもかんでもバカみたいに、横並びでキャラクターにすればいいってもんじゃない。後世における批判も含め、そのリスクについて考えるきっかけを与える法案かもしれない」(東京富士大学・山川悟教授/コンテンツマーケティング論)といった非常にひねくれた見解もあり、この「キャラクター課税」は今後、議論を呼びそうである。




▼東京都主税局イメージキャラクター「 タックス タクちゃん」




 米国下院は昨日の本会議で「日本におけるマグロ解体ショー非難決議案」を賛成多数で可決した。

 

 日本ではマグロと共に行動するイルカの群れを見つけて捕獲する「ドルフィン・セット」というマグロ漁を行ってきたケースがあり、その際にはイルカも同時に捕獲されてしまう。

 イルカ追い込み漁に限らず、こうした、どさくさに紛れてイルカが補殺されるケースに対しても、米国では40年ほど前から強い非難が浴びせられてきた。


 決議提唱者のランドルフ議員は「マグロとイルカは海の中では友人。そしてイルカは人間にとっても友人なのだから、友達の友達を虐殺する姿を、食事しながら鑑賞する日本人は明らかに野蛮だ」と強く非難する。

 反論した日系のホンダ議員は「解体ショーは日本の文化」だと主張。「ランドルフ議員が先週行ったベニハナの鉄板焼きのようなショーの一種である」と説明した。

 しかしそれに対しても、「何でも文化だ伝統だと言えば許されるものではない」「単なるビーフと海のお友達とは違う」「日本では友達の友達が来たら、友達じゃないから家に入れないというのか」という批判が相次いだとされる。


 近年、マグロ解体ショーはレストランや宴会場、結婚式などの目玉企画として定着しつつあり、来日した多くの外国人からも絶賛されている。

 さらに水産高校や海洋系大学の中では、「解体ショー」を授業科目として採り入れようという機運まで高まっている。

 和歌山大学の南洋一教授(海洋経済学)は「いったん好評を博すと、猫も杓子も同じことをしはじめる日本人の体質に釘を刺すとともに、ここ数年伸張しつつある日本からの食糧輸出に歯止めをかけようとする狙いもあるのでは」と指摘する。


 ただし当のランドルフ議員は来日した経験がなく、「マグロ解体ショーをYouTubeで見た」と語っているが、どうもデンマークの動物園で行われた「仔キリンの解体ショー」のようなものと勘違いしている(関係者筋)といった見方もある。

 なお、韓国では最近「マグロ解体ショーは韓国が起源」という説が一部のマスコミで報道されたが、本決議案の審議とともに、現在ではなりをひそめている様子である。





この写真だが、どこの駅かわかるだろうか?

ホームに雪が残ったまま、誰も顧みようとしない。

奥に見える高架道路の剥がれ落ちた壁面が、ますます寒さを増長している。

秋田? 群馬? 北陸?


いえいえ、東京のど真ん中、渋谷区・千駄ヶ谷の駅である。


このホーム、現在では使用されていない。

使用されないまま、50年以上が経過しようとしている。

そう、東京五輪のときに設置された臨時ホーム。

現在では、何の機能も果たしていない「トマソン」的空間だ。


東京を世界一の都市にする、と宣言して、新しい都知事が就任した。

経済も、インフラも、福祉も、スポーツも、全て強い都市を目指すとのことだ

アベノミクスもそうだが、「強いもの」を官民こぞって応援して伸ばしていけば、「弱いもの」もそのおこぼれを頂戴しながら生き延びられるだろう、という考え方が基盤にある。

まさに上から目線の「経世済民」思想であり、その政策の主軸はせいぜい公共投資という名のハコモノ建設だったり、姑息な知恵者だけが得をする補助金制度だったりする。

いいかげん、そうした「経済学」から卒業した地点で、物事を考えるべきなんだろうけど。


そうした発想で推進されたプランからは、取り残される・見捨てられる・切り捨てられるものが必ずあらわれてくる。

強いものを伸ばすのは「経済」の範疇の出来事でよくて、弱者に視線を注ぐのが「政治」の役割だろう。


ただむしろ、取り残された方が幸せだった、という見方もある。

上記の写真でさえ、それなりに風情ってものもあるのかもしれない。

しかしそこは、「取り残し方」も含めて考えるか考えないかで、だいぶ変わってくる。

たいていの強いもの信者たちは、そもそも「考えない」のである。


メダルメダルと騒ぐ五輪応援の仕方も同様。

確かに上位入賞者は讃えるべきだが、それだけではない。

なんたらランキング、もまた然り。

わかりやすさという名のファシズムが、あちこちで加速している。

だが結局、こういったものに自らが押し潰されていくのだ。


「強い」とは異なる軸でものを考え、提案していける日本にするには、どうすればいいのだろう?

日本書籍同業者協会(JBA)は、2014年度より新たに"ゴーストバスターズ制度"を導入すると発表した。


これは、書籍のゴーストライターが「実はあのタレントさんの本、私が書いたんです」とカミングアウトする前に、その兆候があれば業界全体で横の連絡を取り合い、寄ってたかって仕事を発注しないようにするという業界独自のルールを指す。


音楽業界で生じた佐村河内守氏のゴーストライター問題は、いずれ「ゴースト天国」である出版業界にも飛び火するであろうという読みからの導入であり、関係者筋からの情報では「遅過ぎるくらい」との批判も出ている。


出版業界は、ただでさえ書籍・雑誌の落ち込みが激しく、電子出版も波に乗り損ねている観が否めない。

その中で、出せばある程度の部数が稼げる「タレント本」が"ゴースト疑惑"にさらされ、批判を浴びようものなら、業界全体が危機に晒されるという意識が根底にあるようだ。

また、「買い取り」契約した書籍が何かの拍子でベストセラーとなった場合、ゴーストライター側からゴネられるという、よくありがちな面倒臭い状況に対しても、毅然とした態度をとれると目されている。


ただし、「文芸雑誌編集者による新人女性作家の代筆」「編集者によるマンガ家の原作及びネーム制作」等については、実質的にゴーストながらもやってるのが身内であるがために、今回はその対象から外す、としている。


なおJBAでは今後、「パブリシティ効果」という視点から、タレント等の著者名を正当化する方向で検討しているという。

同協会の広報は「本当に書いているわけじゃないなんてことは読者もわかっていますので、そんなことで紛争を起こしたくない」と、保守的なコメントを出している。


某大御所の口述筆記をしてきたというライターのAさんは「まるで秘密保護法のようで怖い」と述べている。

「無企画」「丸投げ」といった体質を顧みず、出版業界そのものの秩序と利権保持を優先する姿勢には、疑問の声も投げかけられているといえよう。


人類の体のサイズが現在の3/4になったら、環境問題や食料問題は解決に向かうだろうか?

 

1000年後の人類は、平均身長が182~213㎝と予測されている。

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=65440

 

しかし、これは本当だろうか?

逆に遺伝子操作によって「燃費の良い身体」に加工されている可能性だってある。

 

仮に平均身長が現在の3/4程度の125cmとなった場合、どんな不都合があるだろうか?

 

…正直、あまりないように思う。

むしろ、いいことづくめなのではないかなあ?

 

そりゃあ狩猟時代においては、野生動物と戦うわけだから、身体がデカく、逞しい方がよかったに違いない。

ただ農耕を覚えてからこっち、「人間同士の闘争」、つまり戦争や闘争の存在がデカイ男を要請してきただけではないか。

しかし、今日では生身の身体で戦うわけでもない。

身体が大きくて有利なのは、スポーツくらいの話だ。

また、大きい身体の方が病気に対する抵抗力が強い、という面もあったのかもしれないが、それとて克服可能な時代でもある。

人間の身体はこれから先、もっともっと小さなものになってもいいのではないか?


 

「成長神話を見直す」というのは、もしかするとそういうことを含めて、なのかもしれない。


 

そうそう。

「ウルトラQ 17話」に『1/8計画』という話があった。

 

 

ついでに「ウルトラマン」の巨大化したフジアキコ隊員。

これは、トラウマ映像だった(笑)。

 

ただ、これって「進撃の巨人」ですよね↑