どのような瞬間に笑いが生じるのか、についてはさまざまな議論がある。
いくつかの代表的な事例を挙げてみたい。
・優越感の理論(スタンダール、ホッブス)
⇒思いがけない形で自己の優越感を確認する
・放出(期待外れ)の理論(カント、リップス)
⇒緊張した期待が無に変わる
・不調和(ズレ)の理論(ショウペンハウエル、サリー)
⇒期待した像とその実態との不適合に気づく
・卑属化の理論(ベイン)
⇒権威ある者が卑俗な者に転落する
・凝固の理論(ベルクソン)
⇒融通の利かない精神や態度に出くわす
しかし森下伸也(1996)は、こうした先人たちの理論にとどまることなく、ベルクソンらの浅墓さを批判し、「ユーモア」を以下のように再定義する。
「カオスから知恵を汲み上げてくる」
「創造的直感によって合理的思考を超えようとするもの」
「合理主義を根幹とする近代文明を超えて、より高い文明に到達するため脱近代の方法」
「人間が自らの根源的悲劇性を超えて、より高い次元に到達するための<非-知>の方法」
…
森下はここに6番目の笑いの理論を提唱する。
・超越の理論(ニーチェ)
⇒生の躍動(エラン・ヴィタル)につながる大いなる笑い、哄笑
そういえば柳田國男も「笑の本願」の自序において、次のような指摘をしている。
「虎渓の三笑とか寒山拾得の呵呵大笑とか…閻魔大王の笑い顔とか、まだベルクソン氏らの言わなかった笑いが、色々とこちら(日本、アジア)には有る」
こうなるともはや哲学や宗教の領域に突入してしまうが、「笑い」いは至高体験やアナーキズムと隣り合わせの認知行為だという理解が必要ということだ。
吉田拓郎の名曲に「人間なんてララララララララ」という歌詞があるが、これに倣えば、「人間なんてハハハハハハハハ」と笑い飛ばしてしまうのが、ニーチェや寒山拾得の笑い(哄笑)である。
人間のあらゆる営為を宙吊りにするのが笑いの本質であり、至高である。
それが俗化され、日常化された事例こそが「優越」「放出」「不調和」「卑俗化」「凝固」の笑いといってもよいのかもしれない。
①技
レトリック、洒落、もじり、意外性、予測外し、異物混入、無駄言及、遠まわし、比喩・連想、擬人化、極端・誇張
②人のあり方
下ネタ、自慢、自虐、悪口、失敗、誤解、場違い、非常識、違和感、矛盾
③心のあや
こじつけ、独断、不可心議、奇想、おとぼけ、うやむや、機転、観察・発見、心のあや、ヒューマー
中村明(2008)「笑いの日本語事典」(筑摩書房)による
レトリック、洒落、もじり、意外性、予測外し、異物混入、無駄言及、遠まわし、比喩・連想、擬人化、極端・誇張
②人のあり方
下ネタ、自慢、自虐、悪口、失敗、誤解、場違い、非常識、違和感、矛盾
③心のあや
こじつけ、独断、不可心議、奇想、おとぼけ、うやむや、機転、観察・発見、心のあや、ヒューマー
中村明(2008)「笑いの日本語事典」(筑摩書房)による
顧客コミュニケーションにおいて「ユーモア」を非常に大切にするサウスウエスト航空の事例などが取り沙汰されてきてはいるものの、これまでのいわゆる経営管理型のマーケティングにおいて、「笑い」のポジションは、はっきり言ってどこにもなかったともいえる。
基本的には「エクセレントカンパニー」「尊敬されるブランド」が正しい方向性であって、「笑いのとれる会社」「ユーモラスなブランド」を好む経営者などほとんどいない。
あるいは大半の経営において、そうした心の余裕やセンスがない。
また、顧客の笑いの総和と売上の関係について、回帰式を描こうとした研究者なんか、いないはずである(たぶん)。
マーケティングというご立派な(?)理論が体系化される中で、笑いやユーモアなどが入り込む余地はまずなかったといえる。
一方、広告宣伝の世界では、事情は真逆であった。
「笑いをとる」のは自明の行為であって、なぜ、どんな人を、どのように笑わせるのか、といった基本的な議論もないままに「ユーモア広告」が展開されてきた。
今日でも米国のCMの40%はユーモア広告であるといわれる。
それらが本当に面白いかどうかは別として。
つまり、マーケティングの一環としての広告の世界では、「笑い」は当たり前の手法すぎて考察の対象になってこなかったのだ。
というわけで、「笑い」は顧客コミュニケーションにおいて極めて重要であるにもかかわらず、マーケティング理論からは無視され、広告業界では無意識のうちに軽く扱われてきた。
笑いとマーケティングについてまともに語られた文献がないのは、こうした不幸な歴史的背景があるものと思われる。
基本的には「エクセレントカンパニー」「尊敬されるブランド」が正しい方向性であって、「笑いのとれる会社」「ユーモラスなブランド」を好む経営者などほとんどいない。
あるいは大半の経営において、そうした心の余裕やセンスがない。
また、顧客の笑いの総和と売上の関係について、回帰式を描こうとした研究者なんか、いないはずである(たぶん)。
マーケティングというご立派な(?)理論が体系化される中で、笑いやユーモアなどが入り込む余地はまずなかったといえる。
一方、広告宣伝の世界では、事情は真逆であった。
「笑いをとる」のは自明の行為であって、なぜ、どんな人を、どのように笑わせるのか、といった基本的な議論もないままに「ユーモア広告」が展開されてきた。
今日でも米国のCMの40%はユーモア広告であるといわれる。
それらが本当に面白いかどうかは別として。
つまり、マーケティングの一環としての広告の世界では、「笑い」は当たり前の手法すぎて考察の対象になってこなかったのだ。
というわけで、「笑い」は顧客コミュニケーションにおいて極めて重要であるにもかかわらず、マーケティング理論からは無視され、広告業界では無意識のうちに軽く扱われてきた。
笑いとマーケティングについてまともに語られた文献がないのは、こうした不幸な歴史的背景があるものと思われる。
ゲーミフィケーションとお笑い化には似たような効果がある、と書いた。
確かに遊びと笑いとは共通点も多い。
例えば、「言葉や世代を超えてコミュニケーションができる」といった側面がある。
また「時の為政者や権力者が管理できない」という特徴についても同様であろう。
「聖」と「俗」の間に立つ文化的なパワーとして、両者は人間社会の存立に必要不可欠な装置なのである。
しかし、違いもある。
①笑いは、遊び以上に人間固有のものである(猿でも遊ぶが、笑うのは人間だけ)
②笑いは、遊び以上に移ろいやすく、日常生活に溶け込みやすい
③笑いは「知覚」であり、遊びは「行為」である
④笑いはカオス(混沌)によって、ゲームはコスモス(ルール)によって日常を活性化する
~参考:木村洋二(1983)「笑いの社会学」
確かに遊びと笑いとは共通点も多い。
例えば、「言葉や世代を超えてコミュニケーションができる」といった側面がある。
また「時の為政者や権力者が管理できない」という特徴についても同様であろう。
「聖」と「俗」の間に立つ文化的なパワーとして、両者は人間社会の存立に必要不可欠な装置なのである。
しかし、違いもある。
①笑いは、遊び以上に人間固有のものである(猿でも遊ぶが、笑うのは人間だけ)
②笑いは、遊び以上に移ろいやすく、日常生活に溶け込みやすい
③笑いは「知覚」であり、遊びは「行為」である
④笑いはカオス(混沌)によって、ゲームはコスモス(ルール)によって日常を活性化する
~参考:木村洋二(1983)「笑いの社会学」
経営管理の発想からすれば、「笑い」の効果測定をどうすればいいのか、という問題はある。
「笑う角には福来る」は誰でも知っている諺のひとつだ。
顧客と従業員の関係の中に、あるいは社内に「笑い」が生み出されることには大きな意義がある、という経験的な理解はあっても、それがどんな・どのくらいの効果をもたらすものなのかについては判然としない。
当然逆効果もあり、「真面目」「努力」「根性」を是とする体質の多くの日本企業にとって、笑いはそうたやすくおおっぴらに現場に導入できない劇薬でもあった。
ただし、すでにさまざまな分野で「笑い」が実践的に採り入れられており、そうした実例から「経営」「マーケティング」が見習う、というステップでもよいのかも知れない。
・医療分野
免疫力を高めるNK細胞を活性化するといわれる。リウマチなどの痛みを軽減する効果もある。
ノーマン・カズンズ(1915-90)が不治の難病を、文字通り「笑い」で治癒したルポルタージュ「笑いと治癒力」はあまりにも有名。認知症予防を目的とした笑いの効果にも期待がもたれている。
・教育分野
ユーモアあふれる教育法は学習者の成績を上げる。「お笑い教師同盟」を結成した上條晴夫氏は、教室の現場で必要な笑いの技術はバラエティ番組を参考にすることが可能で、その本質は「つかみ/キャラ/フォロー」であると主張している。
・対人分野
大島知巳江(2006)「日本の笑いと世界のユーモア」によると、笑いには「聞き手を寛容にさせる」「武装解除」「自己防衛や相手への攻撃」「人間関係をスムーズにする」「聞き手を飽きさせず、集中力を高める」などの効果がある。笑いが沈静化すると場がクリーンアップされ、互いにクールな視点で対象を見直すことにもつながる。
・社会課題の解決
困難な局面からの問題解決を図るうえで笑いは重要な役割を果たす。楽観性が高いほど、復興のスピードが早いともいわれる。
これら以外にも、異文化コミュニケーション、福祉や介護の現場、政治や社会風刺、芸能や祭り…における笑いの効能は非常に大きいはずである。
以上のような文脈で考えていくと、ゲーム化(ゲーミフィケーション)とお笑い化とは、極めて似たような効果をもたらす可能性がある。
よって笑いもまた、高度な文化メソッドとして、もっと幅広い分野に応用されていく必要がある。
「笑う角には福来る」は誰でも知っている諺のひとつだ。
顧客と従業員の関係の中に、あるいは社内に「笑い」が生み出されることには大きな意義がある、という経験的な理解はあっても、それがどんな・どのくらいの効果をもたらすものなのかについては判然としない。
当然逆効果もあり、「真面目」「努力」「根性」を是とする体質の多くの日本企業にとって、笑いはそうたやすくおおっぴらに現場に導入できない劇薬でもあった。
ただし、すでにさまざまな分野で「笑い」が実践的に採り入れられており、そうした実例から「経営」「マーケティング」が見習う、というステップでもよいのかも知れない。
・医療分野
免疫力を高めるNK細胞を活性化するといわれる。リウマチなどの痛みを軽減する効果もある。
ノーマン・カズンズ(1915-90)が不治の難病を、文字通り「笑い」で治癒したルポルタージュ「笑いと治癒力」はあまりにも有名。認知症予防を目的とした笑いの効果にも期待がもたれている。
・教育分野
ユーモアあふれる教育法は学習者の成績を上げる。「お笑い教師同盟」を結成した上條晴夫氏は、教室の現場で必要な笑いの技術はバラエティ番組を参考にすることが可能で、その本質は「つかみ/キャラ/フォロー」であると主張している。
・対人分野
大島知巳江(2006)「日本の笑いと世界のユーモア」によると、笑いには「聞き手を寛容にさせる」「武装解除」「自己防衛や相手への攻撃」「人間関係をスムーズにする」「聞き手を飽きさせず、集中力を高める」などの効果がある。笑いが沈静化すると場がクリーンアップされ、互いにクールな視点で対象を見直すことにもつながる。
・社会課題の解決
困難な局面からの問題解決を図るうえで笑いは重要な役割を果たす。楽観性が高いほど、復興のスピードが早いともいわれる。
これら以外にも、異文化コミュニケーション、福祉や介護の現場、政治や社会風刺、芸能や祭り…における笑いの効能は非常に大きいはずである。
以上のような文脈で考えていくと、ゲーム化(ゲーミフィケーション)とお笑い化とは、極めて似たような効果をもたらす可能性がある。
よって笑いもまた、高度な文化メソッドとして、もっと幅広い分野に応用されていく必要がある。