不況になると口紅が売れる -21ページ目

不況になると口紅が売れる

~遊びゴコロで、世界を救おう!~


「伝統」は、明治以降につくられた言葉である。
つまり「伝統」という考え方自体、たかが150年の伝統しか持たない、ということだ。

しかるにわが国においては、相撲も茶道も歌舞伎も神社も陶芸も、全て「伝統」という名のもとに、素人や外国人に対してある種の不可侵領域を作り出すことで生き延びてきたともいえる。

これらが諸外国において「ミステリアスな国」というイメージを喚起し、19世紀のジャポニズムから今日のクールジャパンまで、それなりに機能してきた面もあろう。

しかし近代の日本人は、こうした伝統文化の多くを博物館送りにし、今の自分たちとは関係ない、過去の遺物として見物する姿勢を見せることで、自らの近代化・西欧化を誇示しようとしてきた。
無論その背景には、「明治維新」と「敗戦」という2つの歴史的断絶がある。
今日、それなりに頑張っている伝統文化のほとんどは、昭和に入ってから"中興の祖"が立て直したものである。


辻井喬は「大衆のなかに浸透している運動のエネルギー」として伝統を捉える西欧の考え方に比して、こうした日本の伝統観を批判する。
「伝統は郷愁ではない」とまで言い放つ。

辻井によると、伝統は過去にあって、固定化された文化・崇め奉る対象ではない。
現代に生き、現代人の日常生活に根づいた、民族的な思考術であるべきだ。

伝統の「形式」「様式」「表象」を残すのはなぜか。
それは形として残されたものを通じて、伝統的な「思考法」「価値観」「美意識」「技術」「精神」「生活術」といった無形文化に後世の者が"気づく"ためである。
鳥居や注連縄、刀、兜、将棋の駒、茶道具、土俵入り、歌舞伎の見得、祭りの儀式…こうした目に見える形そのものが重要なのではない。
形は、その根底にある無形文化を呼び起こす媒体にすぎないのだ。
例えば東日本大震災においてクローズアップされた「波分神社」の存在にしても、同様の意味があろう。

和食だ和菓子だ和服だと、有形性のある「文化」はわかりやすい。
しかし今日の日本人は、無形の伝統文化を意識化し、言語化(見える化、ですね)し、それらが現代の生活やビジネス、芸術などにどう生かせるかを、あえて考えていく使命があるように思う。

そこを150年間疎かにしてきたからこそ、今日の学術用語のほとんどは「外来語」「翻訳語」なのである。
ポストモダンが叫ばれた20世紀の後半に、翻訳語思考の袋小路が来たということはわかっていた。
「のれん」「もったいない」「おもてなし」といった日本語が注目を集めているのは、こうした無形文化の再発掘につながるためであろう。
電王戦に参加した森下卓九段は、今後棋士とコンピュータが対戦する場合、棋士側が盤駒を使って読み手順を確認しながら対戦できるようにしたらどうか、というルール提唱をしている。

これに対しては批判もあるようだが、私は一理ある提案だと思っている。
森下が提唱するのは「ヒューマンエラーが最小化された状態での純粋な頭脳勝負」ということだ。
あくまでそれを成立させるためのひとつの手法として、人間側の盤駒使用、といった提案なのである。

これに加えてもうひとつ提唱したいのは、棋士の体力低下・集中力低下の防止に関する考慮である。

将棋は終盤になればなるほど選択肢が増え、間違いが起きやすくなるゲームだ。
ベテランより若手の勝率が高いのは、終盤になっても体力が残っているからである。
しかしコンピュータ相手に、終盤に入って全く体力のない人間が、どんな優勢であっても勝ちきれるかどうか…。
そして仮に、そうした原因で決着がつくとしたら、それは面白い勝負だったといえるのかどうか。

棋士の体力を終盤まで維持するには、どんな食事をどんな時間に摂ればいいのか、飲み物の成分はどうあるべきか、サプリメントは有効か、前日は何時に眠ればいいのか、集中と発散はどのくらいのスパンで行えばよいのか、日常的な筋トレやストレッチなどはどの程度必要なのか、対局中の仮眠や休憩の効果はどうなのか…などを、将棋連盟としてきちんと研究したらどうかと思うのだ。
そして、こうした調査から得られたデータをもとに、実践する棋士を増やしていくべきだ。

アスリートに関しては、こうした研究が既に進んでいる。
しかし、将棋や囲碁の対局におけるプレイヤーの体力維持については、あくまで自助努力の範囲や個人の経験で処理するものと目されている。
大学研究室や医薬品メーカーなどに協力を依頼し、プロ棋士のフィジカル・マネジメント研究を進めてみたらどうだろうか?

たぶんその結果は、われわれアマチュアにとっても有意義なデータとなるだろう。
また、脳を酷使する仕事(大学教授はたぶん違うけど…)をするビジネスマンたちにとっても、大いに参考になると思う。

棋士の頭脳を神格化し、そこをトリガーとして世の人気を得ようとする「定跡手順」はもはや捨てるべきだ。
生身の人間の弱さを認め、弱いところをカバーする努力や工夫に対して評価を得る、という方向に転換する必要があると思う。

そして単にどちらが勝った負けた、どちらが強い弱いではなく、コンピュータとの対局を、将棋界を進化させるきっかけにすべきなのだと思う。

棋士のフィジカルな進化をもたらす知見が現れたら、今よりさらに良い棋譜が見られるだろうし、中年以上の棋士が活躍する期間も長くなると思う。


あ、ついでにいうと「おやつタイム」がさらに注目を集めるかも…。
 中世の市庭(市場)においては物売りに限らず、鍛冶、鋳物師、染殿、綾織、蚕飼、伯楽、紙漉、唐紙師、烏帽子織などの技術者・職人、そして遊女、傀儡師、白拍子、琵琶法師、傾城、猿楽師、田楽師、獅子舞、詩歌の宗匠、管弦の上手、手書、能書、絵師などの芸能民、文化人らも集まった。

 純粋な商人がモノを置いていたというよりも、自らが技術を披露し、その技術を見せて楽しませる技能エンタテインメントの場でもあった。
 こうした場では、製造と販売は未分化であり、さらに芸能と技能との関係も未分化であった。

 つまり、部品や原材料をその場で加工して販売する行為もまた、一種のエンターテイメントとして客に受け入れられたと考えられる。

 これらの残滓は、近代では<香具師の口上>となっていく。
「ガマの油売り/大道易学/ヤホンたたき売り/七味唐辛子売り/物産あめ売り/のぞきからくり/演歌師/百貨売り/薬草売り/バナちゃん節/見世物口上/万年筆売り/インク消し売り/ばあさん売り/リッショ/キンケン/ういらう売り」…以上は、大道芸研究会・企画制作による「大道芸口上集」の内容である。
 むろん平成の日本においてはもはや、こうした香具師やテキヤたちの「啖呵売」も聞かれなくなった。

 今日、ネット販売~ショールーミングの定着、そしてOtoOビジネスの拡張とともに、「店頭」の意味が問われ始めている。
 そうした文脈で、中世の市庭のあり方を見直してみる価値はあるように思う。

 日置(02)は、過度の大規模化によって失われた小売の特質を回復する姿勢が不可欠だとし、流通が単に商品を陳列するだけでなく、販売の現場における商品づくり=「市場内加工」を提唱する。

 基本的に日置の主張は、売れ残り・廃棄を防ぐため、賞味期限が迫った生鮮品を流通の現場で加工して販売せよ、というものであるが、そこに技芸が組み合わせられれば、より個性溢れる売場が創出されるはずである。
 東急ハンズなどは、これを意識した販売戦略を強めつつある。

 これをなとんなく「インストアライブ販売」と呼んでみたい。
 食品のライブエンタテインメント、である(食品以外でも可能であろう)。
 バックヤードの作業を表に出し、そこで顧客コミュニケーションの機会を創り出す。
 場合によっては、そこに顧客を参加させる。

 こんな発想から、商店街の活性化策などを考え直してもよいのかもしれない。
笑いとは、社会的な毒ともいえる。

しかし、この毒のおかげで人は癒され、社会は生まれ変わることができる。

「ユーモアとは<にも関わらず>笑うことである」(ドイツの諺)

「ユーモアは魂の武器」ヴィクトル・フランクル(02)「夜と霧」

「もうひとつの現実がひとを癒す」ピーター・バーガー(99)「癒しとしての笑い」

(笑いとは)「社会に蓄積されたエントロピーを発散させる文化的仕掛け」
「マイナスエネルギーを創造的エネルギーに転化する仲立ち」山口昌男(84)「笑いと逸脱」
 「日本らしさ」の本質を発見し、言い当てるのは、えてして来日した外国人であることが多い。
 ラフカディオ・ハーンもそのひとりである。
 
 「耳なし芳一」の話は、18世紀後半の一夕散人作「臥遊奇談」第二巻「琵琶秘曲泣幽霊(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」を典拠としている。

 一番恐ろしいシーン。
 平家の落武者の霊が現れ、身体中に経典が書かれた芳一の「耳」だけを千切り取って、最後は幽界に帰っていく。

 和尚は芳一に「耳だけ書き忘れた」と詫び、その後の芳一の面倒を一生見たという。
 しかし冷静になって考えてみるに、これだけ法力のある立派な和尚さんが、そんなミスをするだろうか?

 実は書き忘れたのではなかったのではないか、と思う。
 そう。和尚はわざと、耳だけに経典を書かなかったのである。
 この、耳という「おみやげ」を提供しなければ落武者は成仏せず、繰り返しこの世に現れたであろうし、芳一の苦しみは続いていたはずである。
 その結果どうなるかというと、芳一は結局あちらの世界に引き込まれていくに違いない、と和尚は考えた。
 芳一をこの世に引き止め、なおかつ落武者を成仏させる方法は何か?
 それは芳一を無防備にし(法事で出かける)、かつ芳一の一部(耳)をあえて落武者に提供することであった。
 私たちは、目でこそ見えませんでしたが(芳一は盲目だった)あなた方の声(気配)は感じていましたよ、という証拠がこの耳である。


 日本文化が大切にしてきた「間」とは、言い換えると「相手が突っ込む場所」でもある。
 顧客コミュニケーションにおいて、この「間」を提供することがいまや、大変重要な意味を持ちつつある。
 顧客満足を上げるためには、十全な価値を提供することだけではなく、あえて欠損(間)のあるものを提示し、そこを顧客に埋めてもらうプロセスが必要となる。
 「ひと手間」「トッピング」「カスタマイズ」「オプション」「デコレーション」「オーナメント」「マイ~化」などは、すべてそうした意味合いがある。
 最後の一歩を自分で歩んでもらうための仕掛けこそが、この「間」なのである。
 それによって、価値の完全性と独自性とが同時に成立していくことにつながるのだ。

 わび茶の先駆者・珠光和尚がこんなことを言っている。
 「月も雲間のなきは嫌にて候」
 …完璧な満月ではなく、ちょっと欠けていたり雲がかかっていた方に風情を感じる。

 「完全なものより欠けたものが勝る」という日本人の美意識(千宗屋「茶 利休と今をつなぐ」新潮社)の根底には、鑑賞する側(顧客側・落武者側)の行為や技能を尊重する心があるように思う。


 あれ以来、「おもてなし」とか言って、なんでもかんでも先回りしてやってあげることがいい、みたいなサービス精神が日本の心だという風潮が出てきているが、どうもそれは違うような気がする。
 あえて、何か空白の部分を残す。
 顧客がそこを埋めて、商品やサービスが上手く完成する。 
 そうした綿密で繊細なやりとりこそが、日本型のマーケティングなのだろう。