不況になると口紅が売れる -18ページ目

不況になると口紅が売れる

~遊びゴコロで、世界を救おう!~

中国の海岸のゴミがひどい、という報道が続いている。

まあ、日本だってかつてはひどいもんだったし、
人のことは言えないけれど、
人心の改善というレベルではね(笑)、
変えられる事態でもなさそうだ。


というわけで、いま開発すべきなのは「海岸掃除ロボット」であろう。


と思ったら、コンテストやってた。
http://iseem.fc2web.com/contest.html

今年は、やらなかのかな?



富士ゼロックスが展開する「四次元ポケットPROJECT」。

複数の中小企業の技術を駆使して、ドラえもんに出てくる「ひみつ道具」作りに挑戦するというプロジェクトだ。

http://www.fujixerox.co.jp/company/ad/4d-project/


以前のブログにも書いたけど、「ドラえもん」の世界にあって、いま発明して欲しいものベスト3は、次の通りだ。

①土管の置いてある空き地
②他人の子をひっぱたく親
③通りから簡単に覗ける風呂場


ぜひ、日本の先端技術を駆使して、ソ、ソリューションしてほしいぞっ!!


 スポーツの世界でも、マーケティングの概念が重視されつつある。

 ひとつは、「スポーツを活用したマーケティング」。ナイキやアディダスといったスポーツ用品メーカーのシンボルアスリート戦略や、サッカーの国際試合の冠スポンサーを続けるキリン、自社スポーツチームに有力な格闘系選手を抱えて広告宣伝に活用する綜合警備保障(アルソック)…などが、その代表的な事例として挙げられる。
 もうひとつは「スポーツそのもののマーケティング」である。プロスポーツチームの運営、スタジアム運営、スポーツ振興といった領域がここに該当する。その際、核となる商品は「試合」や「イベント」となり、それらをライブで提供するか、メディアを通じて提供するか、2次利用はどうればいいか…といった課題が議論される。
 しかし、ファンを増やし、惹きつけ、熱狂させるのは、試合だけでなく、選手やチームにまつわる「エピソード」の存在であることを忘れてはならない。

 昭和のプロ野球人気を牽引したのは読売ジャイアンツであり、なかでも長島茂雄と王貞治については突出した人気があった。
 野球マンガにも実名で登場し、設定は「主人公たちよりも格が上」という、なかば神格化された存在として扱われた。
 六大学のヒーローとして鳴り物入りで球界入りした長島は、天才的な才能を持つ選手とみなされたのに対し、甲子園で優勝しながらも野手にコンバートされ、二軍で練習を重ねてきた王は、「努力の人」という見方をされるのが常であった。

 しかし、実はこのファンの思い込みは、マスコミが勝手にでっち上げた虚構であったらしい。
 現役時代の長嶋選手は、本当は練習の虫であった。徹底して相手ピッチャーを研究し、納得するまでバットを振ったという。しかし長島は、自らが努力する姿を徹底的に隠したそうである。彼は練習などしなくても打てる「天才」だとするファンの確信(つまり、長嶋選手に関する物語)を、そのような工夫によって裏切らないようにしていたということだ。つまり、「天才長嶋」を演じていたのである。
 一方の王選手は若い頃、ちょくちょく練習をさぼって麻雀に出かけるなど、結構いい加減なところもあったらしい。多摩川寮では門限破りの常連で、「窓からこっそり出て夜の街に繰り出す」と、当時チームメイトだった伊藤芳明氏が述懐している(「朝日新聞」2012.8.21)。しかし、長嶋選手とのコントラストを生み出すため、「努力家」のレッテルを貼られることになる。荒川コーチとの二人三脚で、納得のいくまでバットを振り続ける映像がニュース報道などで流されると、ファンによる王=努力家像が定着してしまう。結果的に、王選手自身もその物語を裏切らない努力を重ね、それが世界のホームラン王への礎になった、と述懐している。

 ブランドとは、「顧客側の思い込み」であるという議論がある。ブランドを保有する企業側が勝手に、「このブランドのコンセプトはこういうことです」と定義するのではなく、顧客側が「こうではないか?」と思い描いた内容こそがブランドだという考え方だ。こう考えると、現役時代のONは、「ONというブランド」「ONという物語の主人公」を演じ続けていたわけである。
 広瀬一郎氏(江戸川大学教授)は「スポーツマーケティングとは…物語を構築する行為である」(「スポーツマーケティングを学ぶ」)と言い切っている。選手やチームに、なんらかの物語があるからファンが熱狂するわけである。

 今日はむろん、ON時代のようなわけにはいかない面も多い。「スター」という虚構が成立しづらくなっている時代である。しかし「物語のプロデュース」こそが、スポーツマーケッターの重要な仕事であることに変わりはない。
 
 むろんそれは、スポーツ界に限った話ではない。
 ブランディングという作業の基本中の基本なのである。



 こうしたシンボルの「上書き保存」は、過去からこれまで、ごくごく当たり前のように続いてきた出来事だろう。
 なにせ、図形商標という概念がなかった時代なのだから仕方がない。

 むろん日本でも、似たような話はいくらでもある。
 むかしむかしこの地に偉いお坊さんの「ダイシさま」がやってきて、「ここを掘れ」というので掘ったら井戸水が出た、といった類の大師伝説はあちこちで残っている。
 恐らくは、各地を旅した修験道の行者による地域貢献策(?)とみなされているが、「ダイシさま」はいつのまにか「弘法大師(空海)さま」ということになってしまい、結果的に全国津々浦々に弘法大師伝説が残されることになる(さらには大師は太子となり、聖徳太子だったという話にも発展する)。

 また、関西で有名な「ビリケンさん」などもその一例である。
 ビリケンは、どうみても大阪生まれっぽいコテコテの顔であり、日本古来のものと思われている節もあるが、もとを辿れば、米国の女性アーティスト、フローレンス・プリッツの作品(1908)が原点。 日本では、大阪の繊維会社が「世界的福神」として販促ツールや広告宣伝などに利用し、流行した。1912年、大阪の新世界にオープンしたルナパークの目玉としてビリケン像が置かれた。
 ルナパーク閉鎖後は、全国の商家などに、一種の縁起物(招き猫的な)として拡散していくことになる。

 古い物語と新しい物語との結びつきは、例えば「らき☆すた」と鷲宮神社(埼玉県)、「東方風神録」と諏訪神社(長野県)、「ひぐらしのなく頃に」と白川八幡神社(岐阜県)、「花咲くいろは」と湯涌稲荷神社(石川県)といった、アニメと寺社との結びつきなどに見られるように、実は今日でも(日々)起こっている。

 ユングが提示した「集合的無意識」や「元型」といった概念は、人類レベルの先天的なイメージというよりは、こうした歴史的なシンボルの上書き保存よって強化された結果なのかも知れない。



 さて、サンタクロースの服が赤い色をしているのは、コカ・コーラ社が1931年に制作したポスターに起因するという説がある。
 もともとサンタクロースの服は、紫や白など多様な色で描かれていたが、この広告によって世界的に赤が「定着」したともいえる。

 ただ、この赤サンタはコカ・コーラ社の「完全創作」ではないらしい。
 聖ニコラウス司教のマントは、自らの命をなげうってでも、信者たちの幸せのためにつくすという意味で、古来より「赤」で描かれることが多かったという。
 これが一般に「赤いサンタ」のイメージをつくり、それをコカ・コーラが自社のブランドカラーと巧妙に一致させたという説が有力である。

 ちなみに今日では、日本ケンタッキー・フライドチキンが毎年のようにクリスマス・キャンペーンを実施している。
 ここで指摘するまででもなく、クリスマスにフライドチキンを食べる習慣は…もともとどこにも存在しない。
 フライドチキン自体が本来、アメリカ黒人の間でのソウルフードである。
 これは「復活祭の七面鳥」の代用品として「クリスマスにフライドチキン」を、という顧客の要請(http://www.kfc.co.jp/qa/index.html#history)をヒントに、1974年から始めた同社のキャンペーンによって定着したローカルな風習なのである。
 ただしそれにも増して、「髭の生えた、やさしそうで、太った老人」である創業者のカーネル・サンダースと、クリスマスの象徴であるサンタクロースとのイメージ的な習合がもたらされているような気がしないでもない。