某学会で、「ゲーミフィケーション」をテーマとする研究発表があるというので聞きに行った。
正直言って、内容はいささか残念としか言いようのないレベルであったが、
思ったよりも「ゲーミフィケーション知らない族」からの反発は、
いまだに強いものがあるんだなあ…という印象を持った。
研究発表後の、「知らない族」のトンチンカンと思える質問・意見に対しては、
あまりの水準の低さに発表者が可哀そうになり、
助け船を出そうとも思ったくらいである。
しかし、そうした反発を生み出すだけの理由はわかる。
「ゲーミフィケーションの定義が不明」とかいう、
誰でも指摘できそうなツッコミもさることながら、
ゲーミフィケーション・マーケティングに対しては、
少なくとも以下の6つくらいの潜在的批判があるものと思う。
①射幸心を煽るという問題点(コンプガチャ問題)
②ユーザーの過集中による本来的効果の希薄化
③ゲーム弱者(嫌い、不得意、平和主義…)、結果的敗者の離脱
④フィードバックコストの増大
⑤「やらされている感」「乗せられている感」によるユーザーの反感
⑥ソーシャルゲームのクオリティ劣化、同質化
だからゲーミフィケーションがダメ、なのではなく、
ゲーミフィケーションはそれなりに有効だが、
副作用も強い劇薬のようなものという前提でモノを語る必要がある、
ということがわか。る
あと、ゲームユーザーにフロー体験(チクセントミハイ)が生じるのを、
バッジだのオンポーディングだのリーダーボードだのといった
「ゲームメカニズム」に帰因させようというとする姿勢は、やはり浅墓でマズい。
というより、ちょっとおっちょこちょいな感じもする。
なぜなら、所詮コンサル屋さんの営業支援をするだけになる可能性があるからだ。
また、こうした新奇性溢れる外来語に対する反感も…あるはず。
まあしかし。
Nike+とかForsquareとかの事例じゃなくて、
もっと根源のところからゲーミフィケーションを位置づけたうえで、、
知らない族の知ってる領域に踏み込んだ上で議論する必要があるんだろうね。