歩くサウンドサイネージ | 不況になると口紅が売れる

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 寺田寅彦の最晩年のエッセイ「物売りの声」(1935)  には、次のような商品を街中に売りに来た商人の呼び声についての記載がある。 


 ・豆腐、納豆、豆、玄米パン、生菓子、桃、七味辛子などの食品

 ・朝顔、苗、鯉、山オコゼなどの動植物

 ・枇杷葉湯、千金丹などの医薬品(もどき)


 寺田少年は、たまに遭遇する「山オコゼ売り」老人の神秘的な姿に畏れを抱いたそうだが、「山オコゼ」とは何なのか、よくわからない。

 親にねだって買ってもらった(士族の子だからね、おぼっちゃんなのであった)ところ、それは一種の巻貝のようなもので、要するに「マスコット」みたいなものだという説明を受ける。


 これは恐らく、鎌倉期あたりから活動を行っていた「熊野比丘尼」が布教のために持参したプレミアムグッズ「須貝」の残影であろう。

 須貝とは、紀州のどこでもとれる貝にすぎないのだが、「貝の蓋を半球面側を下にして酢に浸すと、酸で蓋の石灰質が溶解する際に、二酸化炭素の気泡を出しつつ、くるくると回転することから、古くから子供の遊びとなっていた」(加藤秀俊)ものである。 

 熊野比丘尼は「仏教説話の描かれた絵図」「熊野牛王という神札」とともに「須貝」を持参した。

 これを明治期でも売り歩く人がいた、ということである。


 山オコゼは、博打打ちのお守りだったという説もある。

 寺田少年の親は「そんなことに興味を持つな」と思ったに違いなく、まあ「マスコット」で片づけたわけだ。


 この老人、「北の山から時々現れてきた」ということだが、山オコゼとともに売り歩いていたのが「丸葉柳」である。

 寺田は、この丸葉柳が何なのか、さっぱりわからぬままだったと記している。


 どうもこの丸葉柳、歯磨きに使われていたらしい。

 丸葉柳は健胃薬としての効能もあるとされており、歯ブラシが普及する前は、楊枝のような役割で使われていたという。

 ただ、ダンタカーシュタ(インドの歯木・楊木)が日本に伝来したのは仏教伝来と同時、奈良時代である。

 ちなみにこの「ダンタ」は、「デンタル」の語源となっている。


 つまり、仏教との微かな関わりを秘めた物売りの末裔が、この老人なのであった。

 「マタギ」とも関係があるかも知れないが、よくわからない。

 いずれにせよ、商業と技芸、そして信仰とは、本来深い結びつきがあった。

 今日でも「物語を買う」「夢を買う」というのは、そうした意味合いがある。


 寺田寅彦は、こうした商人たちの「呼声が呼び起こす旧日本の夢幻的な情調」を懐かしみ、国家がアーカイブ化すべき文化だと結んでいる。

 こうした「歩くサウンドサイネージ(音響看板)」ともいえる商人の喪失は、文化の喪失でもある、という意味であろう。