「客が偉い国」のスポーツ | 不況になると口紅が売れる

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マスコミが、服装が乱れている、態度が悪いといってコクボを叩いている。

こんなことで大騒ぎするのなら、国際諸団体がスノボーを五輪競技に入れたこと自体に問題がある、ととらえねばなるまいな。

「そのへんの、態度の悪い21歳の学生」というが、そういう連中の支持(さらにいうと視聴率やグッズ購入)も仰ぎたいから、スノーボードを正式競技にしたという話すらある。


「自分にとって五輪はスノボ競技のひとつ」という発言も問題になった。

これに対しては、国を代表しているのにとか、公人のくせにとか(もっといやらしいのは、税金を使って云々という理屈)いう批判もあるが、一方で有力な選手たちは、国籍を変えてまで五輪に出ている状況もあるのだ。

つまり、いまや国家と選手の国籍とは一致していない。

国民の代表、ではなく、一国の国内予選の成績優秀者なのである。


そもそも、今回のバンクーバーだって82カ国しか参加していない。

競技人口が少ないといわれて五輪から弾き出された野球だって、国際連盟に112カ国が加盟している。

スキーだスケートだアイスホッケーだというのは、雪や氷というよりも、立派な道具や施設が整っていないとできないスポーツだという点を、まずは前提として語るべきだろう。

アフリカや東南アジアからの参加は当分不可能であって、欧米中心の、一部の先進国によるスポーツ競技会でしかない。これは本来の、クーベルタン精神に反するはず。

だとしたら、五輪のみを神聖な場として、いつまでも持ち上げていること自体に違和感を覚えるべきだ。


まあ、そこまで反旗を翻すなら、最初から参加しなくてもいいはずなのだが、そこはコクボくんなので、ついつい調子こいて出ちゃった、というところか。

ただ、こういう21歳も、いまや「代表的な日本人」。

そんなことは、毎日高田馬場や渋谷を歩いてりゃ、誰にでもわかる(というか、慣れる笑)。


自分たちは観客であり、4年に一度、国威を発揚したいという観客ニーズを満足させない選手は叩かれて当然という姿勢が、いつから正当化されるようになったのか。

今回のサッカーを見ていてもそうだが、出場する選手を応援する、という単純かつ基本的なスタンスが崩れているような気がする。

「客が偉い国」「客がつけあがる国」のスポーツのあり方について、今回の騒動は考えさせてくれた。

特にマスメディア。

こうした国民意識を反映したような報道が、結局は自分たちの首を絞めるだけという点には留意されたほうがよろしい。


まあ、ともあれ、頑張れってコクボ!!