「環境」という言葉 | 不況になると口紅が売れる

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 ライアル・ワトソンが死去したというニュースを、今朝の新聞で見た。

 訃報の解説が、ほぼほぼウィキペディアのコピペであったみたいだが(笑)、もはや新聞社のやることにはたいして期待などしていないので、そこんところは単なる苦笑。


 若い頃、翻訳だったが「風の博物誌」「生命潮流」「スーパーネイチュア」などの著作を読ませていただいた。

 彼は日本についても詳しくて(相撲オタクだった!)、ちょくちょく日本の文化や自然についてもコメントしていた。

 その中で、何に書いてあったのか忘れたのだが、「平家ガニ」について、確かこんなことを言っていたと思う。


 「平家ガニの顔、あれは擬態であって、地球上最強の動物である「ニンゲン」に似せることによって、自らの身を守っているのだ」…


 人間も生物界の一部であり、その社会的行為が自然界、特にこうした生物の創発にも影響を与えているのだ、ということを知らされたフレーズであった(本当かどうかは、よくわからないが)。


 われわれは生意気にも「環境」などという言葉を平気で使うようになった。

 あたかも自分たちの外側の存在として「環境」というものがあり、それに守られたり、それのせいで自分が利口になったり病気になったりする、というニュアンスが、その言葉から感じられるのは私だけか。

 「環境」という言葉があるから「環境のせい」にする者だっているのだ。

 自分自身も、その「環境」を形成する要因である、という考え方に立たないと、なにひとつ解決しない、というのが最近の常識であり、そうした考え方に立った言葉の使い方を志向していく必要があろう。


 誰が開発したのかはわからないが、この「環境」という日本語、これを改めて見直してもよいかもしれない。

 地球環境問題って、結局「地球の自分たち問題」なんだろうし。