「ヒカルの碁」で、主人公の進藤ヒカルがプロ試験を受けるさいに、母親が「囲碁もいいけど、期末テストの勉強しなさい」みたいなことを言う。それに対してヒカルは、「期末テスト――って、プロ試験受かっちゃえば、そんなのもうカンケーねえじゃん」と答える。母親は何のことかわからず、キョトンとしている。(「ヒカルの碁」第8巻より)
おそらく母親というものは、そうしたものなのだろう。何のために学校の勉強をするのか、といった話は捨象しておいて、とりあえず勉強を頑張ることが正義だとする感覚だ。しかし母親だけではない。父親だって、先生だってそうだ。いやいや、会社に入ってもそうなのだ。学校だけでなく、いまや会社もまた「学校化」されつつあるのである。
上野千鶴子によると、学校化とは「がんばり競争におけるタテマエ平等イデオロギー」が蔓延することだという。つまり、宮台真司のいう「形にこだわるコミュニケーションだけで満足してしまう実存的おじさんおばさん」たちが、学校的な秩序を家や地域、会社にまで持ち込むことによる弊害である。
日本の競争力が低下したというが、その原因は、日本の企業社会全体を侵食しつつある、この学校化秩序なのではないか、と思う。
とりあえず今思いつく「学校化」の症例は、こんな感じである。こういうことは、もう止めにしよう。
・売上トップ企業の社長が代表になるといった業界団体の慣習。
・就職に関して「どこそこの会社に受かった」と発言するような学生。
・「上司」を「先生」に投影し、褒めてくれる人探しをするような社員。
・上司が見てないところでサボるのはOKだとする社員。
・「印象的勤勉」に基づいた社員評価。
・偏差値もどきのつまらないランキングデータに基づいたマーケティング。