「越境」→「危機」→「成長」→「勝利」というパッセージは、物語の鉄則となる文法である。
これは、何千年も語り継がれた古典的なパターンとして、人類の普遍的な無意識と化している。
もちろん、個人がものを創作するようになった近代の文学においては、こうした構成を意図的に外した形式のものも多い。
というか、物語が「芸術」になってからというもの、このパターンをいかに外すかが作家の課題となった。
しかしそういう作品が、読者の脳(無意識)に快感をもたらすわけではない。
だが、エンターテイメントはこのパターンを生真面目に踏襲する。
「千と千尋」だって「ハリーポッター」だって、みんなこのパターンの中にある。
「もしもインディ・ジョーンズが何の困難もなく聖杯を見つけることができたら、それは物語とはいえない」と、ボネットは語る。
つまりはエンターテイメントのほうが、古典的な表現形式の中で、いかに新味を出していくかを常に問われているわけなので、ある意味、高度な技を求められるわけだ。
表現として人間の生理に近く、真面目で、古典に忠実なのは、むしろエンターテイメントのほうなのだ。