万年筆は何もしてくれない。
たとえばオーディアなら、ツマミを回せば音が出る。
カメラなら、シャッターを切れば写真が撮れる。
電子レンジなら、ボタンを押せば料理の温めができる。
でも、そのような“製品”と違って、万年筆は手に取っただけでは
何をしてくれない。
書き出すまでに、書いているときに、書いた後でも、
多大な労力を必要とする。
動力の主体はすべて自分だからだ。
万年筆を使いこなすには、自分を磨くしかない。
パフォーマンスが重んじられる世の中にあって、
これは、生成AIの反対語のようにも思う。
