境界村の祭典 -4ページ目

リアリティの話~マンガを描いても売れない時代(その7)

コンテンツをつくるには、軸となるリアリティが大事だが、

読者がどんなことにリアリティを感じるかを知るためには、

人間をよく観察する必要があった。


人間には表層の意識と深層の意識(無意識)があるので、

これらは区別して考えないといけない。


人が困ってる人を助けるときには、

・困ってる人を助けたいという感情

と

・困ってる人を助けている自分がかわいい

というものもあるのではないか。


両者は、行動は同じでも、中身の感情は

まったく違うものであると言える。


ここで、この2つを比べて良し悪しを語ることは、

話の流れとして重要ではない。

コンテンツをつくる上では、人間のより深層の意識を

知ることが大事であるということなのだ。


人間の思考の大部分は無意識において行われるからだ。


さて、困ってる人を助ける、というのは、

そこに明確な目標があるということでもある。

しかし、エンターテイメントはいつも読者に目標を与えられる

わけではなく、


むしろ、何も目標がないことのほうが圧倒的に多い。


現実において目の前に明らかな目標(解決すべき問題)

がない状態でも、エンターテイメントは何らかの感情を

生み出さないといけない。


特にやることがなくて退屈している人に対して

何でもよいから一時的な夢・幻想を見せる


ということをやっていかないといけないことが、

圧倒的に多いわけなのだ。


しかし、人間の心はそれでも何かを求めていたり、

飢えていたりするはずで、そこに訴えかけるものを

作れれば、そのコンテンツはおもしろいということに

なるはずだ。


では、何もやることがなくても、人間の心に訴えるもの

ようするに、


より深層の無意識に訴えかけるリアリティとは何なのか?


ということを考える必要があるだろう。

(つづく)

リアリティの話~マンガを描いても売れない時代(その6)

書いていて、さすがに疲れてきたが、書くことにする。

その6です。


テレビを見ていて思ったことがあるのですが。

東日本大震災により、多くの被災者が出たとき、

若い人は率先して現地におもむき、ボランティア活動をしました。


これはやはり困っている人を助けたいという精神から

来るものだと思います。

なんか政治家の人たちがごちゃごちゃ政権争いしてるときに、

若い方が迅速な行動をしていただいて、本当に

ありがとうございます。

(若い方っていっても、自分も20代だから、若い方に入ってるんだよな??)


さて、さらによくテレビを見ていると、

ボランティアをしていただいた人たちの中には、

困ってる人を助けるという意志の他にも、

人の役に立つことで社会の一員として使命を果たしている

というか、「自分が社会に所属している喜び」を感じたという人も、

実は多かったのではないでしょうか?


筆者の主観的な感覚では、そう感じられたのですが、

そうではないという人もいるかもしれません。


現代人はいろいろとストレスが多く、競争社会の中で、

孤立感を感じながら生きている人が相当いるんではないかと、

推測するのですが、

そんな中で、ボランティア活動を通して、

「自分が社会に所属している」という感覚、

「自分の居場所・役割を発見した喜び」というようなものを

感じて、そういったことにリアリティを感じていた若者も、

たくさんいたように思うわけです。

(あくまで筆者の主観ですが)


伊達直人のニュースもありましたが、

小学校にランドセルを置いて、名前も名乗らずに消える

というのは、子どもにランドセルをつかってほしい!

という感情以外にも、より深層意識の部分において、

「自分が社会に関わって、影響している」

「自分は社会の中に確かに存在している」

ということに、リアリティを感じている部分も、

少なからずあるのではないかと推測します。


ハルヒが中学生の頃、学校の校庭に

「わたしはここにいる」とか書いて宇宙人に

アピールしてましたが、

共通する部分はないわけではないかと

思ったりもします。


まあ、何が言いたいかというと、

(今回かなり話が脱線しましたが)

コンテンツを創作するときに、人間を観察することが

かなり大事なポイントになってきますが、


コンテンツにおけるリアリティとは人間のより無意識に

訴えかける性質のものであるので、

人間がどんなことにリアリティを感じるかを知るためには、


”表層の意識だけでなく、より無意識の部分を観察しなければならない”


ということなんです。

それが簡単にできりゃ、苦労はしないんですがね……。



リアリティの話~マンガを描いても売れない時代(その5)

コンテンツの面白さの軸であるリアリティ。

今、主流のリアリティは、「コミュニティ」、「人とのつながり」。

マンガやゲームは、「コミュニティ」を表現するには、一長一短。

理想的なコンテンツがつくれない=作品が売れない。

それは困る。


・マンガ

長所:作家がキャラのセリフを書くので、「理想的なコミュニティ」をつくれる。

短所:あくまで、作者→読者の一方向の表現であり、読者は枠の外からただ眺めているだけ。


・ゲーム

長所:リアルな人間とのコミュニティを簡単につくることができる。

短所:ただし、それが「理想的なコミュニティ」とは限らない。


・ネット掲示板

(基本的にゲームと同じ)

長所:パソコン越しだが、リアルにいる人間とコミュニティをつくれる。

短所:やはり、悪口や罵倒などにより、殺伐とした空気のコミュニティになることがある。


理想的なコミュニティである必要はあるのか?

という疑問も浮かび上がってくるが、

やはりコンテンツというのは、作品を発表して読者からお金をもらう、

という商売なので、

「理想的なコミュニティ」を創作しなければ、人に買ってもらえないし、

作家の理想とする世界を表現することが、「創作」であるとも思う。


そんなわけで、上に書いたそれぞれのコンテンツは、良い点も悪い点もあって、なかなかうまい具合にはいかない状態だ。

それでも、作品が売れないと作家は困ってしまうので、

なんとかしなければならない。


どんなものを作って売ればいいかということを知るには、

やはり人間をよく観察することだと思われる。

(任天堂のマリオ作った宮本茂は、ゲームつくるとき、ゲームを遊んでる人間の表情をよく見る、とどっかのインタビューで答えていた)


だから、2ちゃんねるやテレビで、人間の行動を注意して見ていると、

彼らがどんなことに興味を持ち、面白さを感じているか、ということが

わかってくると思うのです。


今、日本人はどんなことにリアリティを感じているのか?

それを知らなければ、コンテンツを作っても、軸がブレまくりで、

まったく面白くなくなってしまうのだ。

(つづく)


リアリティの話~マンガを描いても売れない時代(その4)

最近、アニメ・マンガなどのコンテンツが売れないのは、

その面白さの軸であるリアリティが受け入れられていないからだ。


マンガのリアリティとしては、「バトル」、「ギャグ」などのほかに、

「ゆるい日常」、「部活動もの」というのもあるが、

「コミュニティ」、「人とつながっている感」の表現には、

なかなか成功していないのではないか。


じゃあ、どうすりゃいいのか?



「けいおん」は楽しいアニメだけど、それでも「コミュニティ」感みたいなものを

(アニメという表現の限界により)完全に表現しきれていないのではないか?

ということを前回、書いたのですが、

では、ゲームは「コミュニティ」表現に関して、どうなんでしょう?


ここで、協力プレイで遊べるモンスターハンターというゲームについて、

考えてみます。


モンスターハンター(略してモンハン)は、

みんなで寄ってたかって動物を殺戮するゲームで

みんなで協力して怖いモンスターを狩るゲームで、

めちゃくちゃ売れています。


モンハンの売りは、強大なモンスターを”みんなで協力して”倒すことにある。

これは最近のブームである「コミュニティ」とか「人とつながってる感」に

もろに合致していて、まさに時代の王道を行っているゲームと言える。


友だちが多い人は、めちゃくちゃ楽しいゲームらしい。

(筆者は友だちいないからできないけど)


つまり、ゲームはわりと「コミュニティ」のリアリティを実現しやすいツールといえるかもしれない。


でも、アニメやマンガは、キャラに理想的なセリフを言わせられるので、

作家の腕により、その作品世界の中に「理想的なコミュニティ」を創作できる。


対してゲームは、リアルな人間とのコミュニケーションということになるので、

個々人が自由に発言し、あまり平和的なコミュニティが形成されないかもしれない。


2ちゃんねるが良い例だけど、個々人が自由に発言するコミュニティだと、

他人を傷つけたり、罵倒したりして、殺伐とした空気になることがある。

それはコンテンツとして「理想的なコミュニティ」を表現できているとは

言えないのではないか?


ゲームとマンガの違いがそこにある。


マンガは、作家がキャラのセリフを作るので、自由に「理想的なコミュニティ」をつくることができる。

ただし、マンガはあくまで、読者に対して”一方向の表現”しか許されていない。


対してゲームは、協力プレイゲームやネットゲームなどのように、カンタンにリアルな「コミュニティ」をつくれる。

ただし、そのコミュニティが「理想的である」とは限らない。


そんなわけで、「楽しいコミュニティ」を何らかのコンテンツとして創作しようと思っても、案外、マンガもゲームも一長一短で、うまい具合に「理想的なコンテンツ」を創作できないのだ。


そして、昨今、マンガ・アニメ・ゲーム、どのジャンルにおいても、コンテンツは昔ほど売れなくなってきている。

これらの表現は、今や、”時代に合っていない”古いものになってしまったのかもしれない。


創作に関わっている人は、今のこの状況について、じっくり考えてみる必要があるのではないか?

そして、今の時代に合った、というか、次の時代のコンテンツとは、いったいどのような形のものになるのか?

(つづく)

リアリティの話~マンガを描いても売れない時代(その3)

コンテンツのおもしろさとは、リアリティである。

リアリティには、時代に合ったものがある。

じゃあ、作家は時代に合ったリアリティを描けばいい。



でも、売れない。じゃあ、どうすりゃいいのよ(え~ん……)



「ゆるい日常もの」とか「部活動もの」のアニメならあるんですよ。

でも、「コミュニティ」とか「ツイッター的なゆるいつながり」をちゃんとリアリティとして表現しきれているか?

ということだと思うんです。



(ややっこしいですね)



カンタンに述べるなら、

「コミュニティ」として人気のモバゲーとか2ちゃんねるがやってるような、

”人とつながってる感”をマンガは、それ単体で、表現できるのか?

ということで。



たとえば、けいおんを見ていて、画面の中の世界がまぶしすぎて、

途中で苦しくなったりした人っていませんか?



けいおんって、

女子高生が楽しくおしゃべりしているのを見て、楽しい気分になれる

とっても完成度の高いアニメだと思うんですが、

それでも、女子高生は部活仲間どうしでしゃべっているだけで、

視聴者のほうを向いて話しているわけではないですよね。

視聴者は、キャラクターが楽しくしゃべっているのを、画面の外で

ただ傍観しているだけです。



それゆえ、女子高生が楽しく部活動しているのに、自分はただそれを眺めているだけで、

女子高生になってその輪の中に混じれない、という現実に虚しさをおぼえるんだと思います。



エロマンガを見ながらオナニーしていても、実際にそれに触れるわけではないので、

したあとに虚しくなるのと似ているかもしれない。



ようするに、

マンガは向こうの世界で繰り広げられていることを、

読者は一方的に読まされるだけなので、

ネット上の掲示板みたいな「コミュニティ」感を

表現しきれないのではないかと思うわけなのです。



”表現形式の不完全さ”ゆえに、マンガを読んだあと、ある種の虚しさをおぼえる。

マンガは不完全な表現なのではないか、ということなんです。



もちろん、マンガやアニメでも、ちゃんと作れば、

見ているだけでも楽しい気分になれるものはできるとおもうのですが、

それはかなり難しいことなのかもしれない。



昨今のマンガが売れないのは、そういったところに原因があるのではないか?

じゃあ、マンガには希望はないのか?

(つづく)