リアリティの話~マンガを描 いても売れない時代(その2)
リアリティとはコンテンツの中心を成す要素であり、
リアリティには、受け入れられるものと、受け入れられないもの、がある。
最近、受け入れられるのは、「コミュニティ」、「ゆるいつながり」、「日常」、「部活動」
といったものが挙げられるだろう。
それは、今の日本人の多くが求めているものであり、
逆に言うと、それに飢えているということでもある。
大勢が求めているものを提供するのが、エンターテイメントの役割かもしれんし、
そういうものを作らないと、コンテンツは売れないのだ。
ところで、今、マンガやゲームがそうカンタンに売れないようになっているが、
その根本的な問題は、”受け入れられるリアリティを提供できていない”
ということになるだろう。
作家と読者がすれ違っている、と言ってもいいです。
ここでちょっと話が逸れて、回り道しますが、
作家というのは、同人の人とかも含めて、けっこう「ファンタジーもの」とか、
「人生を語ったりするもの」とか「ものすごく複雑な設定の世界観」とかを、
描きたがる傾向にあります。
しかし、そういうものも確かに面白いのですが、日本人の多くが求めていないのであれば、
それは誰からも読まれない作品になってしまうのです。
必要とされないリアリティだからです。
それはいいのですが、
最近は「ゆるい日常もの」とか「部活動もの」みたいなアニメやってますが、
そういう”受け入れられるリアリティ”を描いてる作品でさえ、
そんなにすごい人気にはなっていない感じがするのです。
これはちょっと考えなければいけない点だと思うのです。
読者が求めているものを描いている、
なのに、そんなに売れない。
これは、おかしなことですよね、一見。
でも、やはり、よく考えてみれば、その理由は、こういうことになると思うのです。
結局、そのリアリティは、受け入れられていないから。
じゃあ、どうすりゃいいんでしょう?
(つづく)
リアリティの話~マンガを描いても売れない時代
ゲームやマンガのおもしろさは、本質的に、リアリティが軸となっている。
リアリティとは、もっとカンタンに言うと、感情の種類・カタルシスの質のことである。
RPGの中心的なリアリティは戦闘であるし、
バトルマンガのリアリティもやはり戦闘である。
ただ、ゲームの場合、適切なコマンド選択により戦闘をすすめるのだが、
バトルマンガの場合、キャラの感情を追いかけることにより、いっしょに戦っている気分になる。
こういった感情の起伏の波が、連続することにより、次第にフィクションの世界に入り込んでいく。
そして、連続する感情の波=リアリティは、作品によって、さまざまな種類があるのである。
これは創作をしたことある人なら、なんとなく分かっていることだと思うのですが、
問題は、このリアリティというのが、”受け入れられるもの”と”受け入れられにくいもの”
があるということなのです。
”受け入れられるリアリティ”は時代によっても移り変わります。
最近はモバゲーが人気ですが、なんでアレが人気かというと、
”受け入れられるリアリティ”を自社のゲーム全般に採用しているから、ということになります。
”受け入れられるリアリティ”とは、「コミュニティ」とか「ゆるいつながり」というものです。
ゆるいつながり、といえば、ツイッターもそうですね。
ツイッターの良いところは、人間関係がそこまで深くなりすぎない、”ちょうどいい距離感”
ということになるかと思います。
アニメでいうと、ハルヒとかまどかマギカも、インターネット上でいろいろ盛り上がったり、
議論することが、楽しさの重要なポイントだったと思います。
インターネット上の議論といえば、「ひぐらしのなく頃に」もそうだし、
「東方Project」はニコニコ動画で盛り上がるための、格好のネタを提供した作品といえるでしょう。
「けいおん」なんかは、OPやED動画が気合い入った作りになってますが、
むしろ、けいおん人気の本質は、「女子高生の部活動」とか「ゆるい日常」といったものを
描いていることにあります。
こういったものが”リアリティ”なのです。
落語家の立川談志も、リアリティを非常に大事にしていました。
(テレビで最近見ただけで、よく知らないんですが)
2ちゃんねるみたいな暗いサイトが廃れない理由も、リアリティという軸がぶれてないから
と言えるかもしれませんね。
(つづく)


