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IDDM(一型糖尿病)・ipocoの暮らし

がんばりすぎない1型糖尿病・ipocoのブログです。一型糖尿病に関する情報や、暮らしの様子を書いています。
気長に一緒にがんばりましょう!

こんにちは。ipoco だよ。


今日のテーマはインスリンポンプ。
デュアルボーラスを使う」です。



私はデュアルボーラスをほぼ毎日使って暮らしていますが、以前何かの患者さんの会で、ポンプユーザーにスクエアやデュアルボーラスをどのくらい使っているのか聞いてみました(注射の場合は、後上がり対応として時間差の二回打ちしてるという人もいるので、それもデュアルと同じです)。


その時の回答は、
「ほとんど使わない」
「使い方がよくわからない」
「ほぼノーマルだけでいけるので使わない」
という人が7割くらい。注射している人の場合は2回針を刺すことになるため、抵抗感や煩わしさから使わないという人もいるようだったし、「結果的に高血糖になったら追加で打つので不要」という人や「恐ろしくて使えない」「存在を知らない」という意見もあった。


なので、さらに突っ込んで「使うひとは、どの程度の頻度でデュアルを使っているか」という話になると、全然わからない。私がよく知っているのは自分の生活だけなので、データが少なすぎる。


自分がデュアルをほぼ毎日つかうのは多すぎるのだろうか…?


その辺のことを統計的なデータが取れそうなほど知っていそうな人といえば医師である。そこで診察の時にデュアルの適切な使用頻度について尋ねてみたところ、「普通の人のインスリンの出方は、ほぼデュアル。だから、毎日・毎食使ってても、べつに普通」という話ではあった。自分がやってることが特に人と違う体質だからではないと言うことは納得したが、


しかし、前述の通りデュアルを使ってる患者よりも、使わない人の方が多いらしい(その時は7割くらいだった)というのはどういうことなのだろう。


その辺を更に聞いてみると、「それはその人がそれで済ませている(または済んでいる)だけ」という回答だった。たしかに、そういう食事をしなかっただけ(済ませた)かもしれないし、自己分泌が少し残っている人ならば、多少の血糖値変動はデュアルを使わなくても自力で対応できてる(済んだ)かもしれない。


逆にいうと、食後4〜5時間も経った頃に血糖値がグイグイ上がってきて、250とか300とかいうケースを頻発している人は、デュアルを駆使すればそれを叩き潰していくことが(完全でないにせよ)ある程度可能になるということだ。


しかし毎食、食事内容を見てデュアルの割合を決めるというのはなかなか面倒な話だ。デュアルをやらなくても、そこそこのコントロールをできるならやらなくていい人も沢山いるのだろう。結局のところ、どこまでやるかは体調と相談、個人の自由、自己満足いうことか。



私はポンプを使い始めた当初は、油物とかうどんなどの麺類とか、特定の食べ物を使うときだけデュアルやスクエアを使っていたのだが、年数を重ね、研究をしていくうちに、より頻繁に比率や時間を変化させてデュアルボーラスを使いまくるようになった。その方が血糖値が次の食事まで長時間安定する傾向にある。


こういうことがわかってきたのは、リブレやCGMなどの持続型血糖値モニターの進化と普及によるものだ。食後数時間の血糖値の動きと、食べ物の関連性が目に見えるようになって、ポンプの使い方はかなり変わった。

しかし同時にそのために膨大な量の失敗をしてデータ収集をしたともいえる。おかしな話だが、「今までと同じコントロールを続けていても、この注入が間違いであったとしても、どちらにしたって失敗だなんだ」と思ったら、失敗することが当たり前すぎて、試してみることを怖いとはあまり思わなかった。多分、自分は死ぬまでこの調子で行くと思う。まあ人による。みんな、自分勝手に生きたらいいと思う。



デュアルを使うためには、
①ノーマルとスクエアに分割するインスリンの単位(分割比率)と、②食後、何時間目の血糖値を下げたいか(ターゲット時刻)を、割り出す必要があります。そのためには、失敗した時に以下のことを調べておく必要があるとおもいます。

・どんな食事をした時だったか
・食後、血糖値はどのように変動したか(食後すぐから、5〜6時間目までの血糖値変動)
・食後、もっとも高血糖になったのは何時間目だったか
・追加注射した場合、何単位必要だったか 
・合計で何グラムの糖質を食べたか

をメモしておくとデュアル対策が立てやすくなるとおもいます。

おわり。

こんにちは。ipocoです。


しばらく更新していませんでしたが、
どうされてましたか?
お身体の具合はどうですか?


私は低血糖や高血糖をやりつつも、
わりと元気にしてたと思います。
生活には多少の変化がありましたが、
大事件というほどのことはありませんでした。



それでは
ここ数ヶ月の間にあったこと…


・ポンプを新しいのに変えた。

低血糖になりそうになると、自動的に基礎インスリンが止まるやつ。これはすごい。けっこう、低血糖を回避できている。ひどい低血糖に突入するような下がり方でなければ、ある程度ポンプにおまかせで放っておいたほうが、焦って補食するより上手く行ったりすることもある様子だけど、まだよくわからない。慣れるのには、少し時間がかかりそうです。


・血糖値測定器をリブレに変えて、結構経つ。

とても便利です。でも、実測血糖値とグルコース値で40mg/dlくらいの誤差が出る時が多い。そうかと思うと本当に低血糖の時は寸分違わず正しかったりすることもあり、合ってんのか合ってないのか良く分からないのが一番困る。


・編み物の学校に通っていて、棒針編み指導員の1年間コースを修了した。


習い事っつーのは何でもお金がかかるんですな。2週間に1回通うのだが、その度にちょこちょこ売店でお金を落として帰ってきてる…、新作毛糸を見ると、つい買って編んでみたくなる。来月から秋のコースが始まるので、2年後の師範取得を目指して新たな勉強を続けます。好きなことを勉強するのはとても楽しいです。



・映画を観てガーンと心を打たれた。

テレビ放送の録画で残っていた「風の谷のナウシカ」を久し振りに観たら、あまりに感動したので、続けてもう一回観たが2回とも泣くほど感動した。あの映画には素晴らしいものが全て詰まっているといつも思う。また観よ…漫画も読み直したいなー。


あと、ケーブルテレビでやってた「イマジン」。白杖を持たないで歩こうとする盲目の青年の映画だ。映画を通して、盲目の人の生活の様子や日々の苦悩を、私もほんの少しだけ体験した。目が見えないというのは何と大変なことなんだろう…。映画の中で、彼らは視覚以外の嗅覚、聴覚、触覚などを情報源として、懸命に生きていた。


あと、次もケーブルテレビで放送してたマーティン・スコセッシ監督の「沈黙」。小説家・遠藤周作の同名小説を映画化したわりと新しい映画で、キリシタン迫害の話。若い頃に読んだ同じく遠藤周作の小説「白い人・黄色い人」を思い出し、旅行で行った長崎で、キリシタン殉教者のブロンズ像を置いてあった丘の上の公園のことも思い出した。

今はグローバル化で、日本の若い世代はこれまでとは人種に対する感覚が変わっていくのかもしれないが、私は自分が世界の中で「黄色い人」だと意識して暮らしている。そして未だに白い人がKKKやってるの見ると、ミシシッピは今でもバーニングなんだと思いゾッとする。


・固定観念というものについて考えた。

「○○してはいけない」
「それは▲▲とは言わない」
というようなことを言われて、そういうもんなのか…と思いかけたが、

そういう人々の話をよくよく聞いてみると、正として定義しているものが漠然とした理想論みたいなので、訳が分からなくなった。固定観念を持っている本人が、楽でないことだけは確かなようだった。

多分、それぞれの人に色んな事情や出来事があり、色んな理由でそれらの固定観念を持つに至ったのだろう。

固定観念を持つのは各自自由だが、そういうものはできる限り自分の頭の中だけでこね回しておきたいと思った。



おしまい。



こんにちは。ipocoです。


本日のテーマは、
休憩。



通勤の時、道路工事で迂回の看板が出ていたので、いつもは通らない細い住宅街の横道に入った。



そこには小さなキリスト教会があり、何派とかそういうのはよく知らんけども、まあとにかく「今週の聖書の言葉」みたいなのが、白い紙に書いて入口脇の掲示板に貼ってあった。重荷を背負ってつかれた人は、自分のとこに来て、ちょっと休んだらええ…というような言葉だった。



そのとき、自分がたまたまコントロールのことや仕事、人間関係などでものすごくくたびれた気分だったので、私はその言葉を(信者でもないのに)、勝手に前向きに受け取った。


それを読んで通り過ぎ、自分の中でしばらくの間、他の雑然とした生活のいろんなことを考えて時間が経ったとき、それまでのどんよりと曇った空のような、張り詰めたような気分が、少し緩んだのがわかった。



休んで行けって、見知らぬ他人のipocoに言ってくれるなんて、イエス様って親切じゃん…。


私が実際に休憩することはないし、たったの1日ですら、この重荷をおろすことは許されないが、休んでいいよと言われるだけで心が安らぐものだと思った。



なんとなく、真夏の旅で峠のお茶屋に入り、店の気の良さそうなおばちゃんが、冷たいお茶とおいしいお団子を出してくれて、「都会から来なすったんか。都会は遠いのう…、ここまで来られるのはえらいことでしたな…まあ、少しのんびり休んで行ってな」と声をかけてくれるのと似ている…



一瞬、気を休めるのは、数時間、体を休めるよりも効果があるもんだな…と思いました。



 昔の人は言いました…
気の持ちよう、病は気から。

ipoco、また頑張るよ。ぼちぼちな。





最後に、
大昔に神様は殺すな騙すな奪うな…という当たり前かつ普通にある程度正直に暮らしていれば守れるはずの、基本的な幾つかの契約事項を、ガリガリと石の板に彫って人民に与えたという話を思い出し、そして何千年か経っても基本事項は全く守られていないことをぼんやりと考えた。



おしまい。