通りすがりの教会前 | IDDM(一型糖尿病)・ipocoの暮らし

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こんにちは。ipocoです。


本日のテーマは、
休憩。



通勤の時、道路工事で迂回の看板が出ていたので、いつもは通らない細い住宅街の横道に入った。



そこには小さなキリスト教会があり、何派とかそういうのはよく知らんけども、まあとにかく「今週の聖書の言葉」みたいなのが、白い紙に書いて入口脇の掲示板に貼ってあった。重荷を背負ってつかれた人は、自分のとこに来て、ちょっと休んだらええ…というような言葉だった。



そのとき、自分がたまたまコントロールのことや仕事、人間関係などでものすごくくたびれた気分だったので、私はその言葉を(信者でもないのに)、勝手に前向きに受け取った。


それを読んで通り過ぎ、自分の中でしばらくの間、他の雑然とした生活のいろんなことを考えて時間が経ったとき、それまでのどんよりと曇った空のような、張り詰めたような気分が、少し緩んだのがわかった。



休んで行けって、見知らぬ他人のipocoに言ってくれるなんて、イエス様って親切じゃん…。


私が実際に休憩することはないし、たったの1日ですら、この重荷をおろすことは許されないが、休んでいいよと言われるだけで心が安らぐものだと思った。



なんとなく、真夏の旅で峠のお茶屋に入り、店の気の良さそうなおばちゃんが、冷たいお茶とおいしいお団子を出してくれて、「都会から来なすったんか。都会は遠いのう…、ここまで来られるのはえらいことでしたな…まあ、少しのんびり休んで行ってな」と声をかけてくれるのと似ている…



一瞬、気を休めるのは、数時間、体を休めるよりも効果があるもんだな…と思いました。



 昔の人は言いました…
気の持ちよう、病は気から。

ipoco、また頑張るよ。ぼちぼちな。





最後に、
大昔に神様は殺すな騙すな奪うな…という当たり前かつ普通にある程度正直に暮らしていれば守れるはずの、基本的な幾つかの契約事項を、ガリガリと石の板に彫って人民に与えたという話を思い出し、そして何千年か経っても基本事項は全く守られていないことをぼんやりと考えた。



おしまい。