ここ数か月、ボーカルレッスン(1回50分)に通っています。
50分のレッスンは30分ほどが発生練習でその後、20分ほど歌の練習という流れです。

先日から2曲目の課題曲 「慕情」サザンオールスターズ  を始めたのですが


♪ユノウマイハートイズオンザウェイトゥ~♪ のところで先生から
「(優しく歌わず)もっと声を張って出すといいですよ」とご指導を頂きました。

実際にアドバイス通りにやってみると…全然声の雰囲気が違う!声が出る。前にボンっと出てくる。
一曲通してこの感覚で歌った時、荒っぽいけど音の輪郭がしっかりした歌に変わりました。(歌いながら目が点に)

この目が点になる瞬間、頭の中で「これって私の人生全体を支配する『ものの考えかた』だ」と気づいたんです。
メガトン級の「aha体験」でした。

私、感動してレッスン後思わず先生に「先生、自分の欠点が見えた気がします」と言ってしまいました。

この「aha」体験をレッスンの帰り道、歩きながらすごくいっぱい考えました。その時、言葉に浮かんだのは

  • 意識しているようにしか、筋肉は動かないんだ。
  • そして筋肉が動くようにしか行動もできないんだ。


ということ。


歌を歌うというのは、声帯、肺、お腹、背中、いろんな筋肉を動かしながら音を作り、その音を口から出す作業です。

先生から「高い音を出すには声帯と息(空気)の量のバランス、のどをよく開いて首や口を力ませない」ことが大事だと習いました。


ただし、私は習っただけで終わっていました。
言い換えると、古い意識の上に、先生のアドバイス(新しい考え方)を乗せて歌っていたのでした。

この時の私は大げさに言えば「自分で作った壁を突破できた」のでした。
先生が「声を張って!」と言ってくれたことで、私の意識が揺さぶられ、古い意識が壊れ、今までの自分にはない「新しい意識」で筋肉を動かしたからです。

これ、考え方を拡大すると、筋肉の動きは、体全体でみたら「行動」レベルの変化につながる。だから古い意識が新しい意識へアップデートされていないと、行動レベルで「古い意識に支配された」状態で「無理やり動かしている」から「すぐ元に昔のやり方に戻る」のだと気づいたのです。


実は1曲目にも突破した瞬間はあったんです。
(この時は「君が思い出になる前に」スピッツを歌った)

この時も先生からサビのところ(きみがぁ思い出になるぅ前に)で、もっと声を張って!と指導されました。
そしたら、その時もすごい雰囲気が変わって、「俺も男だぜっ」的な前に自分の声の存在感が出てくるみたいな感覚があって、やっぱり歌がパリッと輪郭が出てきたんですよ。

でも、2曲目を歌っているときは「古い意識が戻って」しまい、すっかり私の筋肉は「古い意識」で動いていたんですね。だから声を「こじんまりとまとめよう」としたんです。


この経験を更に更に深堀していくと、私は「体裁を整えて、小手先でごまかす」意識が強いということに気づきました。
荒削りでもいいから、ぐいっと突破するような泥臭さが欠けている

だから何をしていても「まあまあ」で終わってしまう。
振り切った経験が少ないんですね。だからいつも人生、まあまあ。
ある程度は上達したり、成長したり、出世したりするけど、そこで終わってしまう。

これは私の古い意識がそう意識しているから筋肉がそう動いて、行動がそうなるからなんだ!ということに気づきました。


この意識、そうとう自分の深いところから出てくるので、なかなかすぐには消えないと思っています。だから私はこれからも何度もゾンビのように出てくる「古い意識」である「体裁を整えて、小手先でごまかす」意識を出てくるたびに気づいて殺さないといけない。壊して捨てないといけない。

50後半の年齢でこれに気づいてよかった。
突破しよう。


少なくとも、そういう意識で筋肉を動かそう!
何回も動かしていたら、少しは変化するだろう。

古い意識は完全にはなくならない。
でも、それが出てきたらぶっ壊す人になろう。
ぶっ壊して突破する勇気を持つ。

これ、人生100年時代を生きる私の後半人生の裏目標にしよう。

 

そんなことを思った、めちゃくちゃ有意義なボーカルレッスンでした!

先生に感謝!!!!

 

★追伸★

もしあなたが何か今の自分の人生に満足していない方がいたら、何か体を動かす技能を学んでみることをお勧めします。ボーカルレッスンのほかに、空手や柔道などもいいかも。何かしてみたらきっと自分の深層心理を発見できると思いますよ!

ぎっくり腰です。
正確には違うかもしれんけど、結果は同じ。

ベースを座って練習したのがいかんかった。ネックが長い分、どうしても無理な姿勢になる。

それを長く続けていると、腰の筋肉が引っ張られて(つまり体が硬いのだけど)、そこから痛みが発生してしまう。分かっていても、練習始めるとつい集中してしまい、結果、翌日以降に痛みが出る。

今回はそんな痛みを無理して動いたのがあかんかった。


「あ”ー!!」と痛みの火山が爆発、大炎症に。

それでも数日経ち、余震レベルの痛みになり騙し騙し動いている。

が…

とにかく動きが「ミリ」単位。
何をするにも普段のX倍の時間がかかる。

椅子に座るのも、着替えるのも、駅に向かうのも、何から何まで大変時間がかかる。


こんな事に最初はイラついていたけど、だんだんと気づくことがあった。

ひとつには、「体が動くのは素晴らしいギフトだ」ということ。動くから行きたいところに行けるし、ひとに貢献することもできる。精神の健康も体の健康があってこそ。痛みがあって動けないと考え方も悲観的になる。

そして何よりも「体はいろんな部分のバランスで成り立ってる」のだという体感を得られる。

痛いところが問題というより、他のバランスが悪いからここに痛みが走るのだとわかる。歩いていると腰を庇うから他の部位の筋肉が疲れる。

そして更なる気づきがあった。

それは何かを体感する時、些細なことをとてもしっかり意識できること。


普段の動きなら間違いなく感じないし、見過ごしてる。


それは言い換えると動くことができるからそのスピードから見える景色で自分の思考が成り立っているとも言えるのではないか?と思った。


大袈裟かもしれんけど人はその人の「動くスピード」が思考のベースになってるのかもしれん。


動けなくなって、普段の思考では見過ごしていた様々な価値に気づいていくと、「ああ、おれは傲慢だったんだ」と気づく。つまり動けることにかまけて、生きるプロセスの中で「何かと俺」の間に生まれる「あいだがら」を感じることなく、ただ漏れの水道水のように、やり過ごしてたんだという意味。


そして豊かな感性はスローな動きに宿るんじゃないか?と気づいた。


こんな風に、たまには「スローな動き」の中で生きるのもいいかもと思える。痛みが治っても、意識的に「スローに生きる」時間をもっと持つことで思考の幅を広げようと思った。

そういう意味でぎっくり腰は素晴らしい経験に変わってきてます。痛いけど。

旅の必須事項といえば…洗濯

朝からぼーっと人の流れを見ながら洗濯。




この1週間楽しかった。

めちゃくちゃ楽しかった。


そして昨日「旅にはいつか終わりがあるんだよなぁ」とふとした瞬間に感じた。


世の中に戻る日が近づいてきたのか。

流れの中で与えられた機会を進んでいくことで、次の展開は自ずとやってくるんだろう。


過去、仕事も私生活も自分の思う通りにならないとドアを蹴ったり叩いたり引っ張ったり押したりしてきたが、段々と歳を重ねていくと、本当に大事なことは流れの中で自然に現れて力を入れないでも前に足が進む方向だったように思う。


「遠山の金さん」の最後のシーン。金さんがノシノシ歩く先の襖が部下の手でさーっと開く。本人は何もしない。あんな感じ。金さんは部下が開けてくれるが、人生は何か不思議な縁が開けてくれる。


また新しい襖が開きつつある。



今週月曜から始まった大阪の旅も第四コーナーに。
段々と大阪にも慣れてきて昨日今日は朝6時からやってる銭湯へ。

昨日はいった日の出湯さん、今日の入船温泉さんは二軒とも外から見ると年季入ってる(すみません)のですが、中はフルリフォームしていて大変キレイ。水は軟水との事で肌触りも柔らかく、少しぬるっとしていて気持ちいい。





地元のおっちゃん、にいちゃんが数人入っているくらいで、お客さんもコミコミでもなく、ゆっくりできました。

こういうのは外国旅行では経験できないですね。いつもどっか外国にいると「あー銭湯入りたいー!」と思うけど、日本なら(どこでもとはいかないながらも)遭遇する可能性は高いです。


本当に銭湯は歩き疲れた身体を緩めるとても良い場所です。

今日行った入船温泉さん、BGMはジャスでした。

#銭湯巡り #銭湯 #大阪 #西成 #朝風呂 #入船温泉

とある県内地方自治体の巡回バスに乗っています。運転手さん、お客さん対応がすごく大変そう。

お客さんの殆どは超がつきそうなご高齢の方々。
中には乗ってから「バスが違ったから降ろしてほしい」とか、バス停から離れたところに待っていて、運良く見つけてもらったから乗れた。とか、
その他、とにかくイレギュラー対応の連続。

質問や説明も、どうも内容がそうしたお客さんには複雑で理解できない様子。(自分が外国でやらかすトラブルの時を思い出す光景だ。言ってることが8割分からない)

そのうち何度も同じ説明するから運転手さんも説明に熱が入るし、心なしか運転もプチアグレッシブな気もする(知らんけど)



介護、介助を必要とされていない「元気な超高齢世代」も、理解力はガクッと落ちてるのね。


自分はそのやりとりを見ていて、自分の外国旅行は思い出すし、万が一にも長生きしてしまったらいつかは俺の番か?と思うと、両者のやり取りを黙って忍耐強く解決するまで待てました(笑)


でも、こういうことも、どこか余裕がないと感じるのが日本。なんでよその国では、こういう場面もなんかゆったりしてるんだろう…(じゃないと俺はいつもイライラされてかなわんし)


みんな、もっと適当に暮らそうよ。

マイクロマネジメントは誰もがきつい。