やったよ‼️5年寛解‼️ | 明日も公園行こうね!(次男が神経芽腫に!?)

明日も公園行こうね!(次男が神経芽腫に!?)

次男(第3子)の神経芽腫闘病の記録とその後の日々について、ゆるーく書いています。
治療の影響で腎機能も低下したため、そのことも少し書いていきます。

皆さま、ついにこの日がやってまいりました。
…というか実はだいぶ過ぎましたが笑い泣き

先日7/2は
ちぃ兄の最終治療日=臍帯血移植日でした。
あの日から5年、
ついに寛解を迎えました爆笑花火


入院当初、教授から受けた話下矢印
告げられた再発率は70%でした。


生存率は我が子の命の指標として
高いのか低いのか全くピンと来なかったけど、
それよりも再発率が高さがショックでした。

再発した場合、教授が言うには
『細い針に糸を通すような治療だ』
ということで、だからこそちぃ兄の病院は
初発の治療に力を入れていると。

結果としてちぃ兄は
標準治療ではない
追加の化学療法と臍帯血移植まで行い、
通常の倍以上の2年という時間がかかりました。


こんな風に書いたからといって、
ちぃ兄の病院の治療がすごく良かったビックリマーク
だから寛解できたビックリマーク
なんてこと思ってるわけではないです。

当時、ちぃ兄と同じ治療を受けている
お友達が2人いました。
同い年、同じ病気、同じステージ、
治療の進み具合も
その子たちの方が1〜2週間くらい
進んでいるだけでほぼ同じでした。
うれしかったしとっても心強かったんです。

3人同じように進んで、
大量化学療法&自家移植やって
臍帯血移植やって退院して、
退院後は外来で会えるんだろう。
だから一緒にがんばろうグー
なんて思っていました。

でも、そうはなりませんでした。
その子達は2人とも追加の化学療法から再燃、
そこから治療を変えたものの
それぞれお空へ帰りました。

この2人以外にも、どこかのタイミングで
悪化してしまう子はいました。
でも逆に、色々悪い条件が揃ってるように
見えても、無事に治療を終えて
元気に退院する子もいました。

どうなるかなんてわからないし、
悪化する時はする、
再発する時はするんだと思いました。


だから、これだけの治療をしても、
再発しないなんて保証はなくて
ただ大丈夫と信じるしかなかったです。


入院中は、そもそもリスクの高い治療を
無事に終えて退院できるかどうか、
退院できたらまず1年再発しないかどうか、
感染症にかからないかどうか、
そこから2年、3年、4年、5年と
再発しないかどうか、
たくさんのステップがありました。

そしてその間に
幼稚園、小学校に入園したり、
ダイフェンの内服がなくなったり、
予防接種が始まったりして、
その度に体調を崩しました。
謎の頭痛や足が痛いと言われることも
結構ありました。

それでも大丈夫と思っていたし、
再発に常にビクビクしてたわけではないけど、
次男の体調が悪い時、長引く時には
やはり頭をよぎるので、頭の片隅に置かざるを
得なかったです。


だから、5年寛解はすごいと思うし
本当にうれしいですピンクハート

生着時や退院時と違って
じんわり、やったー照れって思う。
宿題をやりたくなくて泣くちぃ兄に
『やらんかいムキー
って怒れる毎日をうれしく思う。


だけど同時に、さみしく思うんです。
お空に帰った子達が浮かびます。
成長した子ども達が並ぶ姿を見たかったとか
どんな話をしたのかな、とかなのかな。
私なんかよりも誰よりも
そのママ達が思うことなんだろうけど。

なぜお前がはてなマーク
なぜ今になってそんなにはてなマーク
と自分でもホント思うし
なんでなのかもよくわからないのですが、
その子達が浮かんでは堪えきれない量の涙が…
更年期始まったかな(笑)

うれしい話なのにしんみりしてしまって
どう書き終えていいのか
着地点がわからなくなってきた泣き笑い


とにかく、色々思うところはあるんだけど、
5年寛解やったー!!