治療開始と先生からのお話 | 明日も公園行こうね!(次男が神経芽腫に!?)

明日も公園行こうね!(次男が神経芽腫に!?)

次男(第3子)の神経芽腫闘病の記録とその後の日々について、ゆるーく書いています。
治療の影響で腎機能も低下したため、そのことも少し書いていきます。

手術後、顔はむくんでいたチビでしたが、特に痛そうな様子もなく、これといった変化は…先生を異様に怖がるようになったことくらいでしょうかアセアセ


入院3日目に手術を受け、
その後も色々検査を受けつつ、
入院7日目にはハイドレーションが始まり、
入院8日目からいよいよ抗がん剤投与が始まりました。


少し前にネットやSNSなどで
〈抗がん剤は効かない〉
〈がんではなく抗がん剤が人を殺す〉
などという記事を目にしたのもあり、その信憑性はともかくとして、抗がん剤という得体の知れないものを子供に投与することに、私も多少なりとも抵抗はありました。

でもこの時のチビは、入院してたった数日なのに、体調がさらに悪くなっているように見えました。元気も笑顔も一切なく、身体を横にしている時間も日に日に長くなっていました。

子供に笑顔が一切見られない、
これほど異常で悲しいことはないように思えました。

なので、抗がん剤への抵抗感よりも、とにかく早く治療が始まってほしい、早く良くなってほしい!という思いが強かったので、ようやく治療が始まってホッとしました。



そしてこの日、一番上の先生からのお話を聞くことになっていました真顔

主治医の先生から事前に〈抗がん剤治療のお話〉と聞いていたので、今回の治療や投与薬のことかと思っていましたが、チビの病状と、今後の治療のざっくりとした流れ、見通しの話でした。


この時、私たち夫婦は、チビのお腹と首の腫瘍はどちらも左側にのみあったので、ステージ2ではないかと考えていました。

でも告げられたのはステージ4。
そしてハイリスク。

ショックでした。
最初の病院で告知を受けた時のように、頭が熱くなりました。

先生からの話はざっくりこんな感じでした。


『神経芽腫のステージは1→4へと進行していくものではありません。ステージ1のものはステージ1のままだし、ステージ4のものは、例え発見が半年や1年早かったとしても、見つかった時点ではステージ4なのです。ステージ4の神経芽腫は最初からあちこちに転移する、そういう性格を持っているのです。

そして、チビ君の場合、発見時ですでに1歳半を超えているので、MYCNや他の因子はどうであれ、高リスク、予後不良です。』


ハッキリ言われました。
予後不良ゲローゲローゲローゲローゲローゲローゲローゲローゲローゲロー
ついでにパーセンテージまで。

腫瘍が見つかり、ドン底に落ちて、でも色々調べたりしながらようやく少し上を向きかけていた時に、さらに突き落とされました。


そして、そこから、
『ハイリスクの子には、うちの病院ではこんな治療をしていきます。抗がん剤治療数クール、ここまででざっくり半年。このあと大量化学療法やって、どーのこーの。退院後はどーのこーの。退院までは最低でも1年はかかります。』


気づけば入院期間も倍に…笑い泣き
期間はこの際仕方ないけど、予後不良チーンチーンチーンチーンチーン

ひどく重くのしかかりました。


話が終わり、気持ちが落ち込んですぐに部屋に戻ることができず、チビの好きな電車を眺めてから部屋に戻りました。


想像以上に重く厳しい現実に、旦那は涙していました。旦那を励ます私も、重苦しい気持ちは同じでしたチーン涙が出るよりも、モヤモヤ気持ち悪くて仕方なかったですゲロー

旦那がいる間にと、コンビニと外来の文書発行窓口に行きました。会社に提出が必要な診断書をもらいたかったのです。

1人になったらなぜか泣けてきました。
…くやしい。



しばらくしてチビは寝て、旦那は帰りました。


私は、モヤモヤすれども、
チビとにぃにが2人で幼稚園に通う姿がとにかく見たい!見るぞメラメラ
と、気持ちを立て直しましたウインク



そして、抗がん剤投与後、初めての夜を迎えました。