2021年4月5日。私にとって生涯忘れるはずのない日です。
手術当日の朝、病院へは朝8時に来てほしいと言われました。
そして、手術中、呼び出しがあればすぐにかけつけられるよう、近所で待機するために、
ネットで調べて、J大病院から歩いて4分の距離にある、
ホームサン岩崎という、患者家族のための宿泊施設を借りて待機することにしました。
自宅出発は、朝5:00。いつもは車で行くのですが、病院の駐車場が夜には出庫できなくなってしまうことから、
電車で行きました。
病院に着くと、手術室の前で待機するように言われました。
朝8時30分、息子が車椅子に乗って手術室の前にやってきました。
コロナのために家族は病棟へ入ることができないため、救急車で転院して以後、一週間ぶりに息子に会いました。
私「寝られたか?」
息子「ほとんど寝られなかった」
「もう手術が恐ろしいから自分で死のうと思ったんだけど、死ぬ手段がなかった。舌をかむ勇気もなかった。」
私「これから手術で治すのに、死んでどうするんだよ!?」「頑張って治れ」
息子「どうしてこんな病気になっちゃったの?・・・」
チームの先生「息子君は、なんにも悪いことなんかしてない。たんなる偶然、病気になっちゃった。理由なんてないんだよ。でも大丈夫。手術は成功するよ。」
私「よし、家のみんなに見せるから、記念写真撮ろう!」
といって、とった写真がこれです。
私としては、まんがいち、本当にまんがいち手術で命を落としてしまったら、息子と会うのはこれが最後だと思って、
無理して、写真撮りました。頼りなさげなガッツポーズ。不安でいっぱいだったと思います。
◎このとき、チームの若手の先生や看護師さん達は、手術室の前に集合していたのですが、
A先生の姿が見えなかったのでチームの若手の先生に聞きました。
私「A先生はどちらにいらっしゃいますか?」
チームの先生「A先生は、手術室に先に入って精神統一をしています。」
執刀をする、A先生は、早朝から誰よりも早く、一番始めに手術室に入って、精神統一をしていらっしゃるという。
私は、セカンドオピニオンで先生の自信に満ちた「100%とれる」という言葉を聞いて以来、
絶対にA先生なら手術が成功すると信じていましたが、この精神統一をしているという話を聞いたとき、
失敗するわけがない。と思いました。
普通のお医者様ではない。
私のつたない語彙ではあらわしきれません。
次元の異なる、究極的な医師の姿なのだと思いました。おおげさではないです。
私は、最後に「頑張ってこい!」と言って、手術室に入っていく息子を見送りました。
息子は小さな声でしたが、「がんばるよ。」と言っていました。
手術室へ息子が入ってしまった後は、私にできることは、ひたすら深夜まで待つばかりです。
人生で最も長い1日。
どうしても外せない仕事もあったので、待機先の宿泊所でノートパソコンで仕事をしました。
なにもしないで待つより、何かやることがあったほうがいい。
さびしいので、ずっとTVをつけっぱなしにして、気を紛らわせていました。
ほどなく、最低限やらなければならない仕事を終えてしまったので、
あとは、ずっと部屋の中を行ったり来たり。
なかなか時間がすぎないので、コンビニに行って、弁当買って、食べて、帰ってきてまたすぐコンビニ行って、を繰り返しました。ぐるぐるぐるぐると、ずっと落ち着きませんでした。
家族には、夜まで動きはないと伝えてあったのですが、度々、いま、どんな感じか?とLINE連絡がはいります。
妻は、医療的ケア児の三男の日常的なお世話があることもあり、自宅で待機しています。
日が暮れてからがまた長かった。。
私は長年、自律神経などに起因する慢性頭痛で通院していたりするので、この日は1日中、ストレスからか猛烈に頭痛がしてました。当然ですね。
やがて、24時を少し過ぎたころ、
チームの先生から、電話がかかってきました!
手術は無事に終了したとのこと、詳細は会って話したいので、
今から来てください。とのこと。
手術室に入ったのが朝8時30分。姿勢制御等の準備ののち、執刀開始は朝10時とのことでしたので、14時間の大手術でした。
やった!とにかく詳細を聞くために、走ってすぐに、宿泊所から病院へ戻りました。
病院へ着くと、手術着でゴーグルをつけたままのA先生が手術室から出てきました。
両手に摘出した腫瘍が入ったビンを4つ手にしていらっしゃいました。
350mlくらいのビンがひとつ。100mlくらいのビンが3つ。全部で4つです。
「100%全部とれた!約束したからね。」
さらに、「執刀したのは俺だけど、ほかの医師や看護師チームがやったこと。」とのこと。
地元大学病院で、「摘出不可」、「神の手でも取れない」と言われた腫瘍を、
取ると約束したからとった。 とおっしゃる。
神の手でも取れないと言われたものを取ってくれたA先生。
私は、「命を救っていただいてありがとうございました!」と泣きながら言うのが精一杯でした。
先生は、取った腫瘍の説明もしてくださいました。
手術はとてつもなく大変だったそうです。
そして、驚いたことに、「詳しくは成分を検査しないとはっきりしたことは言えないが、実際の腫瘍の質感や取った感じとして、術後の抗がん剤・放射線は足さなくて良いかもしれない」
とのこと、まだCARE1回、ICE1回、放射線治療も途中で中断しているので、術後もまだ治療が続くと思っていた私は、大変おどろきました。
それほどまでに、すっきりキレイに摘出できたということなのだと思いました。
摘出した腫瘍の入ったビンも家族に見せるために写真を撮らせていただきました。
(その写真はちょっと衝撃的すぎるので、こちらには掲載できません。)
先生は、「ではまた、後日よろしくお願いします!」と言って、手術室に戻ってゆきました。
ほどなくして、ストレッチャーに乗った息子が運ばれてきました。ICUへ移動です。
手術直後で当然意識は無いのですが、血色は良さそうに見えました。
私は、息子に、「助かったんだぞ!よくがんばったな」と声をかけました。
エレベーターに息子が乗るのを見届け、
私も病院を後にしました。
帰り道、このことを急いで家族に報告しました。
これほどうれしいことはなかったです。
宿舎に帰っても興奮さめやらず、朝まで起きていました。そして始発で帰りました!まったく疲れなど感じませんでした。
A先生、本当に本当にありがとうございました。言葉では言い尽くせません。