最近のお世話する赤ちゃんは一年未満の赤ちゃんが結構多いです。
独身生活の長いお母さんの赤ちゃんと、そこそこの年齢で結婚して事情までは不明ですが、子育てを心配しながらも生きることに前向きに挑んでいるお母さんの子供の違いを垣間見てしまう時があります。
母の勉強している会の教えも気持が純情なうちに,ご縁があるほうが真っ白な気持ちで、耳を傾けられるのかなと思ってしまったり。
毎日子供と向き合っていると自分自身の気持が鬼のようになってしまって怖さで一生懸命に実践に励んでいる会友さんのお世話を結構しています。
子供は親の言ってることは素直に聞いてくれませんが、親の行いは言わなくても真似はしているんです。
親の心の大切さ本音の怖さをハッとするときがあります。
振り返ってみるとおきらくもそうです、父が病気や怪我ばかりしていたので、母が生活のために一生懸命に働いている後姿を子供なりに見ていて、夫に養ってもらう気持ちが希薄だったです。
母の娘の行動を見て心配している内容が理解出来るように成るのに随分時間がかかりましたものね。
当たり前のようですが当たり前が意味不明で解らなかったです。
親の言うことはナカナカ反発心があって素直な気持ちで聞くことが出来なかったです。
反対に夫の悪口を言われてるような気がしてきぶんがわるかったですから。
何か聞いてみようかな、自分自身に心配なことがあってその気に成らないと聞く耳を持てないのではと思ってしまいます。
40歳近くも担っての結婚は現実大変だなと感じるおきらくです。
出産はしたものの本人の親も結構高齢に成ってるし、子育て親の介護が同時進行されてる人もいます。
生活の忙しさ気持ちのイライラが募ってかわいいわが子に当たり気を意識のないところでしている方も、
現実社会の実態も知りすぎて人目も気に成って素直な気持ちで相談もできないのではとふと感じてしまう時があります。
裸の自分自身をさらけ出すのは勇気のいることだし自分の心配内容が具体的に認識できていない部分も多々ありますから。
何を思って何を考えているのか、意識のないところで他人と比べて競争心邁進していたことをおきらくの場合反省するものがあります。
人は人自分は自分と思いつつ競っていたのかなと。
可愛いばかりでは子供は育たないと言うことも、お世話しながら感じるときがあります。
良いお母さんでは子供がしなければならない事を、自覚できませんから。
おきらくの場合一人娘でしたが、父の病気で働くばりの母の後姿を見ていて、曲がりなりにも親の出助けをしながら生活習慣が構築できたのではと思える様になりました。
専業主婦で、母が家庭を守っていたらおきらくの世話は母がして当たり前と感じていたのでは。
勉強もできないし生活習習慣も出来ていなかったら社会に出てから本当に辛い経験をしていたのではと気づけるようになりました。
無理やり教えるのは子供も抵抗すると感じます。
良い意味で親が忙しくするのも良いことの様な。
子供の捨て育て夫の捨て育てが必要不可欠なような気がしてなりません。
我が家は貧乏が子供をたくましく成長したのかなとつい思ってしまった瞬間です。
独立心が強く寂しい思いもしますが寂しい思いが幸いなのではと。
苦難が成長することを最近感じられるようになりました。





























天岩戸神社の隣少し歩いて天安河原に成っています。




