おきらくで、生きて生きたい願望を持つ、主婦 -5ページ目

おきらくで、生きて生きたい願望を持つ、主婦

好奇心だけでは生きていけないことをツクヅク実感しております。
自分の本音も勘違いをしていましたし、アラフォー世代ですがマダマダこれから柔軟な修行の必要性を感じている最中でございます。
自主的に楽しい日々を送る努力をしますね。

7月に入ってから、ピグのゲームは止めました。


目も悪くなり、家事もおろそかに成り、生活が落ち着かなくなりました。


6月後半は結構寒い日もあり、冬物の敷物は先週にやっといぐさに変えました、母の部屋のカーペットも1畳敷きですが干していぐさに変更。


台風のせいでしょうか今のところ風が家全体を通過してくれているおかげで、ここち良い生活を送れています。


ピグのゲームに明け暮れて、ブログの記事も書きたいと思いつつ誘惑に負けてしまい、幼稚園のお迎えと母の通院、時間を有効につかえていません、やりたいことが多すぎて安きに流れてしまっているおきらくです。


実はこの三か月余りメールの受信が出来なくなっています、インターネット・ピグのゲームは出来ていますので不自由は感じていませんので、プロバイダーには問い合わせはしていないおきらくものであります。


お米の発注などはメール送信だけしてフリーダイヤルで確認をしている始末であります。


我が家の夫も定年を迎えていますが継続で勤めてくれていますので現状維持が続いています、収入は多くありませんが一日交替で夫が留守でありますので、有難く感じております。


どこかで夫もケジメつけなければいけない時期が来ると感じますが健康で働き続けてくれることを願ってやみません。


1日家に居たら無いもしないで食事を夫にまっていられることを想像するとぞっとします。


おきらくがどうにかなりそうな気がして怖さを感じます。


母は主婦の大変さをある程度理解してくれていますので、遣り易いところがあります。


クーラーの無い生活を続けていますので熱中症とは縁が無いのかもしれません。






此方は青天ですが肌寒く感じます。


夫の帰宅は、遅めでタクシー運転手を63歳に成った今も正規雇用で続けてくれています、最近

母との葛藤、息子の結婚と想像もできない事柄に遭遇しているおきらくであります。


ブログで自分見つめと何度投稿してきたことか投稿しているわりに自分見つめがどうもできていなかった気が最近してきております。


母の娘に対する躾の言葉バカ夫婦の行い行動が心配なあまり母なりの言葉で助言してくれていることを素直に聞けていなかったことを感じるのですが母の教えてくれることが嫌で仕方がありませんでした。


(内容が解っていませんでした。)


母とは生まれた時代背景も違い父が病気や怪我ばかりで、母も祖父から我が娘を夫に養ってもらえる様に家庭の影働きが出来るように娘を働きに出したくなかったようで、専業主婦を目標として育てられた母の心の惨めさ、赤穂の田舎から都会に出てきて生活できるかどうかの心の不安さも思いやることなく生きてきたように感じています。


(昭和5年生まれで生活のために勤めにでなければならなくなった母の気持の惨めさは子供のおきらくには理解が出来ていませんでした。)


(高度成長の名残りもあり、労働をいとわなければ私たちの時代はそれなりに社会にも会社にも守られて生きてこられたように感じます。)


父親やの責任感が希薄なことは母が責任感が強くて、そんなにみじめにも育っていなかった感じです、母の実家の伯父や伯母のお蔭でかばってもらって成長してきたことにも感じ取ることが出来ていませんでした。


(父は父でどう表現すればよいのかわかりませんが、成長過程で大切な時期に親に甘えられず自分のしたいことは戦争もあって希望の職種したいことは出来ていなかったように感じます、ものの道理が解らず父独特の決まりがあったようで家族の厄介者扱いされていた感じがしますが、性格が曲がったままであったことを気づかずに死んでいったと思うものがあります。)


祖父の貢献もあり大手の製薬会社に勤務することが出来ていましたが母が父から去った後は仕事を続けることが出来なかった人です。


赤穂工場から道修町まで出来上がった薬を船で運んでいたのですが、父は機関誌をしていました、航海日誌を書く義務付けがありましたが、字を書くことの苦手な父は当たり前のことが出来なくなっていました。


おきらくはこのどんくさい父の因子も受け継いでいます何を覚えるのも人の三倍かかった様な気がします勤めていた会社を辞めたくなくて必死でした、父が病気ばかりしていましたので父が同じ会社に勤めていた友達とも我が家は子供心に貧乏であったことは解っていました。


やすんでばかりいたら給料は普通の給料の6分しかもらえませんから、いまの時代から見ればリストロラに成らなかったのが幸いだったのです。


(父のことを情けなく見ていたような気はします。)


子供ながらに私も働き続ければ人並みの生活が出来るようになるだろうと漠然と考えていたような気がします。


父と母の後姿を見て育ったおきらくは男性に養ってもらうということが身についてませんでした。


娘の生き方を見て母が一番心配していた事柄のようです。


夫は夫で現代版ギャルのような姑に育てられていますので所帯主の自覚をどうすればよいのかわかっていなかったのです、おきらくも相談の仕方も解りませんし私たち夫婦の天秤棒を母が買って出てくれなかったら、生活が成り立たなくなって離婚の憂き目に成っていたことをヤット理解が出来る様に成りました。


兄妹のいない寂しさは教えてもらわなくても肌で感じて生きてきたように思っています。


母は親戚づきあいの面倒さも兄妹関係の難しさも感じていたと思うのですが娘には意識のないところで苦労させたくなかった様子ですが、無いもの欲しさのおきらくは出番が無いと意識のないところで寂しく感じていたようです。


こころの摩擦もなく人の中に入るのは苦手でした、振り返ってみれば思っていることの感じていることの表現下手だったとかんじます、運動も苦手で不器用で勉強も出来ませんでした。


三丁目の夕日の一平君世代に生きてきたおきらくは今振り返るとテレビがお友達でした。


脳天気でお人よしこの性格は現在も続いているような気がしていますが。


(おきらくなんです、恥ずかしながら。)


母が娘を進学させたくて決死の覚悟で父の元を家出した胸の内も察することが出来ていませんでした。


生活が目いっぱいで母子共話し合いも出来ていませんでしたが、伝える難しさも察する難しさも今は実感しています。


母子でお互い何故が無かったのです、自分の本当の境遇も理解していませんでした。


境遇の中で培っていた寂しさも自分で自分のことが見えていませんでした。



意識のないところでそんな面倒な事考えても仕方が無いじゃないと、息子にも何時までも独身を続けていたらもし私たちが病気や怪我をしてあなたの援助が必要になったとき仕事と親の面倒を両方見ることは出来ないでしょとアドバイスしたのはおきらくです。


結婚できない人が結構多く一人息子で条件も良くありませんまさかこんなに早くパートナーが見つかるなんて考えてもみませんでした。


夫とはお互い協力して夫婦生活が出来ていませんでしたので意識のないところで息子を心の支えにしていたようです。


母はおきらくに対して厳しいばかりで反発も甘えることも出来ていませんでした、母なりに精一杯であったことは感じていたような気がします。 姑は大正の初期に生まれている人ですが4人姉妹の末っ子結構経済的には余裕のある家庭で育た感じのする人です。


おきらくのような性格だったらまさか33歳過ぎまでも独身ではいないと思います、お姉さんたにも、注意も小言も言われずに育ってきている様子で姑の生きざまを見ていると夫が気の毒に感じていました、このようなこともどうも偉そうな見解のようですが自分自身の偉そうさは理解していませんでした。 親の自覚のない人に育った人はかわいそうと感じていました自分はそんな親に成りたくないと感じていたようです。


人から言われたこともでもなく意識のないところで、自然に養われたこころのような気がしています 。



夫のような性格には育てたくないとも考えていました、嫁ぎ先の姑の様には成りたくないともっと違った形でかかわりたいと思っていました。


息子は結構素直で所帯主の責任感は理解できているようですお嫁さんにも優しく接している様子で感謝もしています、この事柄を母親として喜べば簡単ですがおきらくは複雑な気持ちでいます、喜びきれないのです、意識のないところで気づいたのですが息子夫婦のことをやきもち焼いている感じです。


無い物ねだりで身の程知らずの欲望も持っている感じですが身の丈の有った小さな幸せを見つけることがとても下手なような気がしています。


自分見つめ自分見つめと、言聞かせながら見つめきれていません。


戦後教育の平等意識も強くナカナカ本当の意味の感謝が出来ていません。


還暦をもうすぐ迎えますがまだまだ深みのある人には成りきれていません。


心のもやもやがやっと見えかけてきたかなという感じでお恥ずかしい限りでございます。

先月の24日に我が家約築25年で集合住宅の家庭の電器と水道が使えていませんでしたが、4月30日は、エレベーター使用で来ましたが、掲示板の説明を熟読して無かったんですね。


照明器具もつかえましたが、テレビの画像が全然見れませんでした、いつもは携帯電話で連絡をする用事がありませんでしたがたまたま来客があって途中でおきらくの用事もあり外出しました。


昼食の準備のことで来客分も用意する必要があるのか母に聞きたくて連絡を入れました。


テレビは映らなかったので工事が終わるまで視聴できない事解っていました。


まさか電波障害で電話までは繋がらない事を理解していませんでした。


久し振りにお弁当を購入して昼食を食べる計画を立てていたんですが来客分も用意しなければいけない事を聞きたかったのですが諦めました。


無駄に成っても良いので一つ多めに購入しました。


この方は頻繁に来訪されるので、あまり気を使いません、良い意味半分家族のような存在です。


会話も弾み良い関係を保っています、お互い良い意味で刺激し合っているところがあります。


遠慮気兼ねされる方のほうが、受け入れる側も意識のないところで気を使ってしまうところがありますが、あまり壁は無い方なので身動きの不自由な母のところに訪問してくれることに感謝してます。


それにしても、考慮の浅いおきらくであります、主婦の責任感が希薄だと反省しております。


最近春だと言うのに寒い日が続き、管理組合も暖かい頃を選んで工事に取り掛かっていると思いますが、今年の天候は本当に異常ですよね。


管理事務所の大きなブレイカーも新品に成りました、24日の工事は17時まで電気も水道もつかえない事を覚悟していましたが、14時ごろ早めに工事は完了していました。


実はおきらく工事中にリンカーンの映画見にいつていましたが、雨も大雨で家のことも気に成り胸騒ぎがして早めに帰宅していました。


母のディーサービスのお迎えも気に成っていました、実は車椅子1階の駐車場に置かせてもらっていました、近所のスーパーまで迎えに行くつもりしていましたので、それがお迎えもしなくて良くなり。


お世話に成ってる施設に連絡を入れて、母も早めに帰宅することが出来ました。


イロイロ初体験で戸惑っていますがヤット落ち着いた生活に戻っております。


電気の要領が拡大して一安心でございます。


建物を維持すすることも大変でございます。


今日は薄曇り春の気配はしますが肌寒く感じる1日でした。


母の通院している眼科が、床工事のため5月の祭日を挟んで4月28日から約二週間お休みに成るため今日の通院は診察室患者で一杯でしたいつもより早めに出かけましたが、午後からは運が悪ければ雨模様で、整骨院の治療と、眼科の検診を済ませ結構忙しかったです。


幸いすることは夫の出勤日で昼からはゆっくり過ごせました。


明日は母のディーサービス工事で明日に変更してもらい、最近寒く感じる日が多く明日も雨が降る様子で電気も水道もつかえませんので変更してよかったです。


25年も住み続けていますので住民の電気使用量が増え続け配電盤の要領が足りなくなったようです。


こんなに長時間水道も電気もつかえないのは初めての経験ですが致し方ありません。


夫は帰宅日ですが会社で体を休めてもらうほうが健康には良いのではと思っています、寝るだけなのでもしかしたら帰宅するかもしれないと言って出勤しましたが、トイレの流す水だけは用意しておかなければならないのかなと考えています。


母はディサービスが17時以前に帰宅するようになるのだったら近所のスーパーの憩いの広場で時間待ちの段取りをしているようです。


エレベーターが動くように成らなければ階段を登ることが出来ませんから。


自分自身で段取りをつけてくれるのが感謝です。


今日は一日早く母の部屋の掃除は済ませました。


明日は冷凍庫の食べ物をクーラーバックに保存しようと考えています。


電気や水が止まると言うことは本当に大変です。


おきらくは、映画を見に行く予定です、雨が降ってもテレビも見れませんしトイレも不自由、出かけているほうが落ち着くように感じます。


ご近所さんもそれなりに計画を立てていられるようです。








18歳で就職してから只今59歳のおきらくです。


同期の友で仲良くしていた友達がいましたが、生活の仕方特に家庭生活の工夫が堪能な人に感じて自分で考えて工夫の出来ないおきらく、便利だな良いことだなと感じたことは真似させて貰っていました。


一人娘で競り合う気持ちが希薄だったと思うのです。


母の愚痴やお互い家族の人には言えない事の話し合いなんかも結構していました。


兄妹もなく、子供も一人息子のおきらく、厳しい母の元母の不足も今振り返ると聞いてもらっていました。


親子なので本心から母のことを嫌いではなかったと感じますが、あなたのことを思っての躾が嫌で仕方がありませんでした。


嫌がりながら振り返ってみると結構母の物の見方考え方をしていることに気づきました。


友達はハッキリとは意思表示をしない人でしたがハッキリしないところが心地良かったおきらくが、浅はかだったと気づくのですがそうなんよねと話し合えることが嬉しかったように思います。


持家のことも母がおきらく夫婦に姑の希望に沿ってそれならば何もない若夫婦親の面倒をいずれ見るのなら持ち家を急がなければいけないのではとアドバイスしてくれたようです。


ゆとりの全然ない、おきらくは大変でした夫にも大変さを具体的に説明できる能力もなく、独り相撲してきたような気がしてなりません。


友達からは貴女お母さん考えどうりで貴女は何を思っているのと問いかけられていたと今では理解できますが、問いかけの内容も全く理解していませんでした。(主体性のないことを問いかけられていたと思うのですが)


多少は夫も生活面で協力してくれると持っていましたが、協力してもらった記憶が皆目ありません。


おきらくのもやもやの原因がヤット理解できるようになりました。


母にも夫にも自分の本心の意思表示が出来ていませんでした。


友達は姑の考えていることを理解しながらだんまりを決め込んで避けることの能力を持っていたように思います。


長男の嫁と言うことでおきらくから見ると大切にしてもらっているように見えていましたが心では喜んでいなかったところがあります。


おきらくは姑のような人には成りたくないなと思っていたところはあります母親の自覚のない親に育って夫のことを気の毒に感じているところがありましたから。


そうかと言って責任感の強い我が母のことを尊敬も出来ていなかったおきらくです。


人間て得手勝手なところがあるとつくづく感じるときがあります。


友達の舅姑も友達の考えていることが年月を重ねて見えてくるようになったのだなと、思える事柄がありました、男ばかりの4人兄弟で長男の嫁を友達はしていました。


お正月に家族が挨拶に揃う時に友達夫婦だけが招待されていなかったことを告白されていた時があります、長女の娘がこの事実を知ったときに驚いた様子ですが友達は端から見るとドキドキは伝わってきませんでした、自分に自信のないおきらくはそんなことされたら、悲しいだろうなと思っていましたが言葉では発することが出来ませんでした。


どちらかと言えば能力はありませんが御願いされたり頼まれごとは心が弾んでドンドン身軽に体が動くおきらくと、だんまりを決め込んで自分の考えどうりに人から友達の選択の言葉を発するように仕向ける技を友達は持っていたような気がしてなりません。


人の役に立ちながら、自分の考えを表現できるように成るのにおきらくは30年以上費やしたような気がします。(協力することとできない事を最近ハッキリ言えるようになりました。)


本音を言えるように成るのに必死で努力しました、人に良い人に思って貰おうと考えていた時は体が鉛のように重かったです意識のないところで無理をしていたんだなと気づくことが出来ましす。


この友達とも数少ない本音の言える友達とおきらくが勝手に思っていたと思うのですが、最近考えるところがあって意識的に距離を置いていましたが勇気を奮って連絡を入れてみました。


喧嘩はしませんでしたが、やり取りの中でおきらくが疑問に思っていた事柄が具体的に理解が出来るようになりました。


色々な思いをしましたが、やっと気持ちの処理が出来たような気がします。


マダマダですが還暦に向かって自立の心構えが出来てきたような気がしています。


ブログは友達は内職で忙しい様子なので読まないと思います、アメンバでなくて堂々と公表しておきます。

梅の花を見たいみたいと思っている間にあっという間にの季節に成り驚いています。


我が家の近くのさくらは今のところ三分咲という感じです。


桜の季節に成りましたが結構寒く感じています、スギ花粉からヒノキの花粉に変わりつつありますが体調の変化かどうか定かではありませんが、鼻水とくしゃみに悩ませられています。


通院や幼稚園のお迎えとそれなりに忙しい日々を送っていました花粉対策が滞っていましたいつもなら予防を兼ねて1月後半から、予防の薬を病院で処方してもらっていましたが今年は忘れていました。


母の体調もそれなりに落ち着いてきて足の痛みはありますが、軽い買い物など自分で一人で店内を見たいらしく、ゆっくり車椅子を自分で押してショッピングを楽しめるようになっています。


母の行動とおきらくの行動の波長が違うので内心有難いと感じつつイライラするときがあります。


所定の場所でおとなしく待っててくれているほうがおきらくは助かるのですが、リハビリには成りませんから複雑な心境です。


入院したり急性腸炎に成ったりのことを振り返ると感謝なのですが、人間得手勝手な不足がてきているのかなと反省しております。


曇り空で湿気も感じます、風が強風で曇っていますが洗濯は乾燥しました。


桜の花は寒くて満開は時間がかかりそうですが雨が降ったら散ってしまいそうで複雑な心境です。


ナカナカ晴天には成りきれずまだまだダウンのコートからは解放できません、桜の花が咲いて冬物のコートを着用して、生活していますが今までにない経験をしております。


我が家のマンションの公園で早朝にウグイスの鳴き声を聞くことが出来ました。


母の実家の裏庭で子供のころに良く聞いていましたが大阪で聞けるとは思ってもいませんでした。


公園の植木も古木に成ってきて、垣根に使用している植木を掘り返して植え替えています。


25年在住していますが植木も変換気が来ているようです。


藤棚の藤も最近花が咲きにくくなっています。


植木費用の結構かさむようで管理費で賄うのも大変な様子です。


集合住宅で個人的には外観は管理組合が賄ってくれますので助かります。


個人の庭はありませんが公園の植物を眺めていると季節感は感じ取れます。


暖かい日と寒い日の寒暖差が激しいので体調管理が大変です。


風邪をひかないように注意いたします。



今日は母のディーサービスで体調が整いでかけることができました。


前の時は入浴中にどうも冷や汗が出た様子で風邪が治ったばかりで体調が狂ったようです。


油断大敵ですねつくづく感じるときがあります、あまり心配しすぎてもストレスが溜まりそうでおまかせお任せと自分で言聞かせています。


今日は夫が在宅で、急にレ・ミゼラブルが見たくなって早めに母の部屋の掃除を済ませ出かけてみましたが祭日のことも忘れはるやすみであることも心にとめていない情けないおきらくであります。


こんなとき前後左右考えないで行動に移してしまう浅はかさがあります。


B・Sプレミアムでアカデミー賞の授賞式場面を見ていてレ・ミゼラブルに興味が出てきて急に見たくなっていました、梅田の地下街などに大きな宣伝用のポスターが貼ってた時は興味が無かったのですが、受賞にノミネートされた女優さんの歌を聞いてみたくなりました。


空席の表示板全然満杯の様で本日は諦めるしありませんでした。


子供のころにああ無情の本を読んで感激した記憶があります。


舞台なども良く公演してましたが映画は珍しいですよね、また様子を見ながら見るチャンスを作りたいものです。


何時もは平日で結構急に見に行っても余裕で見ることが出来ていましたので甘く見ていたところがあります。


雨の中折角梅田迄出かけましたが残念ですが致し方ありません。


もう少し余裕をもって計画を立てることにします。

昨日の午後からの天候と大変身で今日は今日は清々しく小春日和でした。


最近夕刊は家の入口まで届けてもらえません夕方玄関先のポストまで取りに行くのですが、雨はドシャ降り、風は台風を感じさせる豪風で、いつもは非常階段を下りて取りに行くのですが滑って転びそうなのでエレベーターを利用しました。


玄関も水浸しに成っていてゴムの擦り切れた健康サンダルを履いていまして、つるつる滑って怖かったです。


異常気象続きで何か変な気がします今まで60年近く生きてきましたが天候気候のことでは初体験が本当に多いです。


大阪は地震災害大きな気象災害が本当に少ない地区です。


会社の出超で東京に出向いた時軽い地震に遭遇した時に驚いた記憶があります。


阪神大震。災の時も夫は怖い経験をしましたがおきらくは、実際にに怖い経験がありません。


阪神大震災の時も早朝家の近くの駅を自転車で走っていましたので、言うほど揺れの怖さの実感がありません。


駅周辺の時計はA:M5時17分でぴたりと止まっていました、製紙会社に勤めていた頃で、おきらくの後方からトレーラーが走っていたのかなと思っていましたスケールの仕事に携わっていてトレーラーが入ってきたら結構揺れてましたからある程度の揺れは大型車が近づいていると思い込んでおりました。


最近は専業主婦で結構わがまま気儘な生活に成ってるような気はしていますが、良い意味での危機感が必要になってくる木がします。


母の体調は今のところ現状維持で今日は月一回のカットがしたいとのことで整骨の治療を終えて美容院に行ってきました。


カットをしていただいている間におきらくは買い物に出かけこのような時市内在住は便利で助かっております。


ほんと昨日の悪天候とは大変わりで気持が良かったです。


昨日は結構お天気が良かったんです、平日のほうが何かと多忙なおきらく買い物の引き取りとか個人的なお出かけは結構土日に済ませています。


日曜は夫の出勤日でゆっくりと出来ました。


午前中に済ませた洗濯物も昨日は気持ちよく乾き洗濯物をたたんでから、14時前後に梅田迄お出かけしていました、電車の中で女子高校生の二人連れ両足を広げ恥ずかしげもなく椅子をを陣取っています二人の話の内容が聞こえてきます美人は就職も早くできるよ私なんかダメだわ友達いわくもし就職出来なければバイトとか何か考えてるもう一人の彼女何も考えてない様子です。


ブログの記事を書くのも面倒、私の記事にたま~にコメントくれる人の気持ちが不明とのことタイピングでコメントの返事を書くのも面倒だそうです。


ツイッターのほうが良いよう。


何ごとも面倒な様子で若い彼女おきらくから見るとけだるそうに見えました。


おきらくが面接官だったらこんな彼女は会社には入社させません。


(仕事は面倒で当たり前でございます。)


失礼ですがついどんなし躾けられ方をしたのだろうか、親の顔が見てみたいと思ってしまった瞬間です。


誰でもそうではないと感じるのですが、物事の成りたちが理解できていない若者が多すぎる気がしてなりません。


面倒がっていては成長が無いのではと、コマシャルも面倒、めんどくさい方は面倒見させてくださいと発信している企業結構いますよね、人任せは必ずお金が付いて回ります。



危険な思想で恐怖心が走ります今の世の中このような人たちばかりではないと思いますが、いることは事実です。


母は強風で今にも雨が降りそうなので整骨の治療には行かないと言ってました。


おきらくはグラニュウ糖を買わなければいけないし、夕食のおかずの買い物もあるので雨の降らない間に整骨の治療もかねて出かけました。


不順な気候で治療は、早めに済ませることが出来月曜は近所のスーパーの10パーセント引きの日でした、普段値引きのないものも10パーセント引きは私たちとても魅力があります。


御客さんは一杯でしたレジの方も忙しく間違って二重計上の商品があった様子で大きな声で苦情を言っていました、申し訳ありません料金返金しますでは済まされないだろうと、謝りと返金以外にどうすればよいのだろうと不思議に思ってしまったおきらく。


この人70歳前後の男の方だったのですが怒りは上昇して謝りの言葉しか発しない店長に対して警察を呼べと言い出しました。


こんな無理を言うお客に負けないで心の中で祈っていました無理難題言ってる人のこと気に成ってましたがおきらくも何かと忙しいので目的の買い物に店内に向かい必要な品物を買ってからもまだクレームを言って警察を呼んでました、お巡りさんも謝りだけと返金だけで良いことをこの人に説明していましたが引き下がりません。


二日続けて意味不明の人達と遭遇してよほど気を付けて生活していかないと、意味不明の事件に巻き込まれないように注意してい行い行動をとっていかなければと思ってしまったおきらくです。


あの状況を見ていると常識は通じません怖い世の中が到来している気がして成りません。






昨日は母の天六の月一回の検診日で車いすを押して電車で通院。


午前中は青天で小春日和でお蔭様、乗っている人はじっとしてるので寒い日は寒さが身に染みるようです。電車乗り降りはぎりぎり母は車から降りて歩いてくれます。


最近駅員さんから手助けしなくて良いですかとよく聞いてくれますがいまのところ大丈夫ですが今後のことは不明です。


今後徐々に母の体力も落ちていくような気はします現状維持でお蔭様です。


A;M11:00時の予約で家をA:M9:30分に出発して10:25分前後に到着しました。


結構順調で予約時間に診察をしていただくことが出来ました、今までの医師が以前勤めていた病院に勤務先が変わり今新しい先生とコミニケーションをし直している最中です。


母も自分の体の調子を一生懸命に説明しています申し送りもしてくれていると思うのですが、最近おまかせでなく自分で体調の説明をする必要性を感じるようになった様子です。


この病院に通院してお楽しみがひとつあります近所の八百屋さんに格安で美味しい焼き芋が年中販売しています便秘気味の母は量はそう食べれませんがこのお店の焼き芋紅あづまというのですが近所のスーパーの三倍くらいの大きさはあります天然の甘味で夫も大好きです。


早めに診察を終えてまだ晴れていましたが徐々に雲行きが怪しくなってきていました、やっと電車に乗って電車が発車するのを待っていたのですが車内放送で南方~十三間で人身事故の発生のため電車が遅れています、普及工事をしていますのでじばらくお待ちください、お急ぎの方は谷町線またはバスにお乗り換え下さいとのことでした。


実は昼から幼稚園のお迎えを頼まれていて一瞬動揺しました間に合わなかったら瑛太君驚くだろうな早めにお迎えできない事をお母さんに連絡しようか迷いました、もう少し待って早めに動けばお迎えの時間に間に合うだろうしお任せの気持でイライラしないように待つことにしました。


そうしたらお蔭様で思ったより早く電車が動いて良かったですもしかして昼食たべる時間が無いかなとも思いましたが母と外食で食べることが出来ました、最近お洒落なおかずを並べてお好みでうどんやラーメン少量で老人向けにも少なくして食べさせてくれるところが駅の近くに出来ました我が家の息子大学に通ってた頃この食堂に4年間バイトさせてもらったお店です。


開店当時から勤めていましたバイトはどうしてもしたかったらしく、不景気でナカナカ学業と並行してのバイト先を見つけるのは大変でした学校の近くは仕事が遅くなったら交通費の負担が多くなるのでナカナカ雇ってもらう事が出来ませんでした。


就職も氷河期のころで家の近くだしバイト先に就職したらとアドバイスしましたが嫌とのことで現在に至っています親側から見ればと遠方の埼玉地で地震も頻繁にある様子で自分から好んで苦労を買って出た人生を送ってる感じはしますが本人の自主的な選択ですので今も気にかけながら見守っている最中でございます。


食事をしている間に小雨交じりに成り、母はあまり濡れることなく帰宅できて良かったです。


瑛太君のお迎えもおきらくの傘とたまたま¥100金で小さな傘を買っていましたので瑛太君の傘も持参しました幼稚園の先生から格安の傘を素敵ですねと褒めていただき思わず¥100金ですよと正直に言ってしまったどうもこのようなところが天然のようです。


歩いて結構遠方ですがシッカリと歩いてくれます、いつもは運動場で遊ぶのですが雨が降り始めて遊ばずに帰宅しました。


ちっとだけスーパーのゲームがあるところと絵本を置いてある所に初めて立ち寄りましたどんなものが置いてあるのかどこにあるのか解らなかったんですが彼がちゃんと案内してくれました知恵の発達の

早さを感じますね。


置いてる絵本読んであげると字は読めませんがしっかり聞いています。


小さな字が読みにくいおきらくおばちゃん読めないところがあるわと言ったんです彼はおきらくのことを心から心配してくれた様子でおばちゃん目が見える周りが見えてるか心配してくれましたおばちゃん遠くは良く見えるんよ、近くの小さな字が読めないの老眼彼は老眼の意味が解らない様子ですが本当に心優しい彼です。


段々と雨が強くなり夕方にはどしゃ降りでした今日の朝は真冬に逆戻りで本当に寒かったです。


風も強く車椅子を押していてかぶっていた帽子が吹き飛びそうになって母子ともに怖かったです。


日々色々なことが起きわきますが大難が小難に終わっている感じで気を引き締めて生活していくことに心がけます。