ニューヨークに出張して約一週間、後金土日、仕事を終え月曜日はロサンゼルスに帰り半日休んで夜は、たこ焼きディナーなどと案を練っているとニューヨークの新しいヤンキースタジアムが見えてきた。
そこで、今日はブログを休もうかと思いましたが、ロサンゼルスの甥っ子“タカ”に連絡を取り急遽ヤンキースタジアムのエピソードを書きます。
(ヤンキースタジアムでキャッシュマン/ゼネラルマネージャーと2ショット)
(前ヤンキースタジアム1923年~2008年)
(ヤンキースタジアム2009年~現在)
幸運にも、2008年のヤンキースタジアム最後の年にイベントがあり人生で二度と撮れない永遠の思い出を残す事ができた。それはスタジアム内のマウンドで記念写真が撮れたという事だ
このホームベースを踏んで何万という野球のドラマが生まれ、何百億の人達が涙を流し、喜び、悲しんだのだろうか?1923年よりアメリカのベーブルースはもちろん、日本、キューバ、etc…と世界中の野球気狂がこの神聖なるヤンキースタジアムを目掛けたのだろうか。
それを考えていくうちに不思議な感覚に落ち入った。それは、もしこのヤンキースタジアムを日本流に解釈するとしたら、恐らく高校生が目標にしている甲子園だという事だ。
もし野球を地球レベルで考えるとヤンキースタジアムは、日本人が考える “ 世界の甲子園 ” なのだと気づいた。
ピッチャーでもないのにマウンドに立った瞬間、喜びよりも恐怖を感じた。このマウンドで野茂、伊良部、斉藤選手達が、激戦を繰り広げたという重圧を感じた。私もプロの武道家である。その重圧は、“ローマのコロシアム”でも感じた事がある。歴史が造り出す空気圧とでもいうのか???
(元ドジャース斉藤隆投手、ホープオブロサンゼルス(ロサンゼルスの希望賞授与) 左/一柳 タカ)
男にとり、もし野球を選んだならヤンキースタジアムは、イチロー・田中選手にとっての “ 世界の甲子園 ” なのだと・・・
女性にとっての “ 世界の甲子園 ” は!!!パリのシャンゼリゼ大通りのショッピング街、ニューヨークの五番街、ビバリーヒルズのロデオドライブ!!!(あくまでも興奮度で例えてみました)
このレフトスタンドで松井選手が活躍され本当にご苦労様でした。
この日は、丁度A・ロッド選手が500本、本塁打を目の前で打ってくれた。でもプロの硬球は、音を聞くだけでも下手な格闘技より迫力があった。VIP席からの観戦は、あまりにも選手に近く怖いものがあった。(ただで貰った席なので文句は無し)
最後に6連勝を続けてるマー君でも、あの伝統を生んだヤンキースタジアム(ピッチャーマウンド)に立つ事はできない。伝統の前ヤンキースタジアム(ピッチャーマウンド)よこのラッキーなチャンスをありがとう!
里田まいさん旦那さんのできない事をしてしまって申し訳ない、ちなみに私は光星高校出身です。 (隣同士という事でご勘弁を)