るーちぇさんが昨日書かれている記事を読んで、こんな記事が書きたくなりました。
るーちぇさんの記事↑
ワタクシ、、、、、学生時代は、鍾乳洞の学術調査をやっておりました。
地質や洞内生物を調べ、測量します。
地質や洞内生物を調べ、測量します。
大学1年の時に、全国の大学からメンバーが集まり、
沖縄鍾乳洞の学術調査を1ヶ月半にわたり行ったのです。
沖縄鍾乳洞の学術調査を1ヶ月半にわたり行ったのです。
メンバーといっても9名なのですが、地元のテレビニュースにも何回か取り上げられ、
新聞にも再三載ったので、沖縄の方は知っているかも。
新聞にも再三載ったので、沖縄の方は知っているかも。
さて、我々の調査が何故必要だったかというと。
沖縄は元々珊瑚礁でできていますから、島は鍾乳洞だらけなんです。
沖縄は元々珊瑚礁でできていますから、島は鍾乳洞だらけなんです。
ところが、きちんとした調査はいっさい行われていなかったのです。
(鍾乳洞はお墓にもなっている神聖な場所でもあります。)
ですから地元の人も街の下にある鍾乳洞がどのようにつながっているか分かりません。
(鍾乳洞はお墓にもなっている神聖な場所でもあります。)
ですから地元の人も街の下にある鍾乳洞がどのようにつながっているか分かりません。
私は、測量担当だったので、洞窟を測量して、
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191104/02/ichiro3da/f5/40/j/o1149094714630976045.jpg?caw=800)
こんな、測量図を作ります。(私が書いた測量図です。)
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191104/02/ichiro3da/f5/40/j/o1149094714630976045.jpg?caw=800)
こんな、測量図を作ります。(私が書いた測量図です。)
実際の街の地図と重ねると、街の下の鍾乳洞の様子が分かります。
多くの鍾乳洞を、戦後初めて我々の調査隊が、測量したのです。
ちなみに、この鍾乳洞、、、、街から米軍基地までつながっていて、米軍基地に入れちゃうんです。
(今は、どうなっているのかなあ。)
(今は、どうなっているのかなあ。)
洞口から出たら基地の中にいたので、焦りました。(笑)
普天間基地の下にも鍾乳洞があって測量しました。
で、調査されていない洞窟の中は戦争が終わっていませんでした。
地上戦の行われた沖縄は、鍾乳洞が防空壕ですから、生活痕から、手榴弾まで、
戦争の爪痕が、、、、、そのまま残されていたんです。
戦争の爪痕が、、、、、そのまま残されていたんです。
狭い洞窟をほふく前進で進んでいたら、鉄兜があって、どかさないと進めないので、
持ち上げたら、その中には頭蓋骨があり、目が合ってしまいました。(汗)
持ち上げたら、その中には頭蓋骨があり、目が合ってしまいました。(汗)
多くの全身白骨も見ましたし、頭蓋骨の上に鍾乳石(石筍)ができはじめていた場所もありました。
洞内生物調査もしなくてはならないので、人骨ではないと思われる動物の骨は回収します。
1ヶ月間で段ボール3箱の動物の骨を回収し、国立科学博物館に送り、同定してもらいました。
人骨は場所だけ記録し、人骨ではない骨だけを回収したつもりだったんですが、
99%が人骨だったんです。もちろん、地元に送らせていただきました。
人骨は場所だけ記録し、人骨ではない骨だけを回収したつもりだったんですが、
99%が人骨だったんです。もちろん、地元に送らせていただきました。
1945年の終戦から、我々が調査した1979年までの34年間も放置されていたのです。
また、洞口の石灰石の色が変わっている洞窟がいくつもあったんです。
それは、アメリカ軍が、洞内にいる人を殺すために火炎放射器で焼いた後だそうです。
それは、アメリカ軍が、洞内にいる人を殺すために火炎放射器で焼いた後だそうです。
洞窟のヒヤリングのため、地元のお年寄りにお話しを聞こうとすると
「やまとんちゅー(本土の人)の言葉は分からんからあっちにいけ」
と何回も言われました。
「やまとんちゅー(本土の人)の言葉は分からんからあっちにいけ」
と何回も言われました。
地元のために調査しているのに、、、、、と思ったんですが、今考えると、
お年寄りの本土の人に対する気持ちって複雑だったのでしょう。
私の人生での衝撃の1ヶ月半でした。
測量図や、遺骨を地元に渡すことができたので、少しはお役に立てたのかなあ。
測量図や、遺骨を地元に渡すことができたので、少しはお役に立てたのかなあ。
いちろうの独り言
我々の豊かな生活、子供を戦争に行かせなくて良い世の中は、沖縄の皆様の犠牲に上に
成り立っていることを忘れてはいけないと思っています。
同じ日本人として、沖縄の基地問題はしっかり考えていきたいとるーちぇさんの記事を読んで思いました。
沖縄の大地には、今でも多くの遺骨と、沖縄の人々の血潮が眠っているのです。
るーちぇさんの記事にあったように
辺野古にアメリカ軍基地を作る埋め立てに、沖縄の人々の遺骨が眠る沖縄南部の土を使うのは止めて欲しいです。
私が学生時代に調査に行ったのは、730の半年後です。
石垣島の離島ターミナルの近くに730記念碑があるのをご存じですか?
そもそも、730って言って、何か分かる人が、このブログを読んでいる人の何人が知っているのでしょう。
戦後の沖縄は、アメリカに占領されておりました。なので、右側通行だったのです。
1972年(昭和47年)5月15日に、日本に返還されましたが、その後も右側通行が続き、
1978年7月30日に自動車が右側通行から左側通行に変更されました。
たった、一晩で、沖縄本島から離島まで全ての道が左側通行になったのです。
一晩で全ての信号、標識を左側通行用にするって、凄い作業だったことでしょう。
私は、その半年後の1月に1ヶ月半滞在しました。
まだ、道の矢印が、逆を向いていた痕跡もいっぱいありました。
そんな思い入れもあって、以降40年以上、沖縄は大切な場所になりました。
いちろうのもう一言
2011年1月3日の「さんタク」というバラエティ番組で
キムタクとさんまさんが、玉泉新洞に入った様子を放送していましたね。10年前だから皆さん覚えていないですよね。
キムタクとさんまさんが、玉泉新洞に入った様子を放送していましたね。10年前だから皆さん覚えていないですよね。
玉泉新洞は、一般の人が入れない場所で、危険を伴う洞窟探検です。
素人の二人、それも有名人がよく入ったなあ。と懐かしく思い出しました。
素人の二人、それも有名人がよく入ったなあ。と懐かしく思い出しました。
我々も入っているんですが、身体を水没させて耳を水に浸けて口だけを水面に出して進む箇所が
何回かあるんですよ。パニックになったら、、、、怪我じゃ済みません。
何回かあるんですよ。パニックになったら、、、、怪我じゃ済みません。
良く入ったなあと驚いた番組でした。