推敲は、スイコウと読みます。
この言葉は、「文章を作る際、語句や表現を何度も繰り返し練り直す」という意味です。
推敲は、推という漢字と敲という漢字の組み合わせですが、推の訓読みは、推す(おす)です。
敲の訓読みは、敲く(たたく)です。
つまり、推敲は、推(お)して敲(たた)く、という意味になります。
言葉の由来ですが、中国、唐の時代に遡ります。
賈島(かとう)という詩人がいたそうです。
賈島は、馬に乗って移動中に「僧は推す月下の門」という詩を思いついたそうです。
恐らく、良い詩ができたと思ったのでしょう。
ところが、月下の門を「推す」のではなく、「敲く」の方が良いのではないのかと思い始めます。
何度も何度も考えてみましたが、どちらが良いか決まりません。
そうこうしているうちに、賈島が乗っていた馬は目的地に到着します。
「推す」か「敲く」か考え悩む賈島は手綱の操作を誤り、別の馬にぶつかってしまいます。
その馬に乗っていたのは、長安の儒学者、韓愈でした。
韓愈は、古文復興をした偉人として、世界史の教科書にも名が出てくるほどの人物です。
賈島は、「推す」がいいか「敲く」がいいかで、悩んでいることを打ち明けます。
韓愈もいろいろ考えました。
最終的に「敲く」がよいと答えてくれたそうです。
今では、門をたたくことは、入門することの意味になっていますが、当時は、違っていたのかもしれませんね。
さて、何で推敲の意味を話をするのか?
この時期、技術士の解答を作成している人が大勢いると思います。
これは、僕の経験です。
解答を作成するとき、こんなことを考えます。
・原稿用紙を1枚分書けた
・何とか3枚分書けた
・誤字脱字がある
・内容が間違っているところがある
・内容が足りない部分がある
・あの文献に書いてあることを追加しよう
・原稿用紙が3枚半になってしまった
・必要ないところをカットしてなんとか3枚に収まった
ここまでの作業で、一応、解答が完成します。
ところが、これで完了しません。
翌日、自分が作った解答を読んでみると、違和感があります。
・言葉足らずのところがあるからちゃんと説明しよう
・文法的に間違っているところがあるから修正しよう
・「また」とか「さらに」を3回連続して使っているから修正しよう
・主語と述語のミスマッチがあるから修正しよう
いろいろ微調整しながら、3枚に収めます。
今度は大丈夫。
しかし、一週間後。
自分が完璧に作り終えたと思っていた解答を確認すると驚きます。
・そもそも、質問されたことに答えていない
問題文を読んだときは、あのことについて書けばいいと確信したのにも関わらず、冷静に問題文を読むと、別のことが主題になっていることに気が付きます。
この事実から目を逸らしたいところですが、やはりダメなものはダメです。
・ゼロから解答を作り直そう
そして、ようやくの思いで、原稿用紙3枚が完成します。
これで、安心。
プリントアウトしてみます。
すると、PCの画面上では気が付かなった部分が見えてきます。
・何だか一文が長くて読みにくい
・意味が分かりにくいところがある
・構成がおかしい
・あぁもう修正したくない
でも、文章を修正する必要があります。
ようやく完成。
プリントアウトしたものを読んでもOK。
もうこれなら大丈夫。
1週間後、書いてある内容を憶えてみよう。
試しに、解答を声に出して読んでみる。
すると、
・言い回しが悪いところがある
ことに気が付きます。
またまた修正です。
こうして、何度も何度も修正して、完成するのが解答です。
そうです。
解答について推敲するわけです。
僕は、2008年3月に技術士試験に合格してから、今日で13年経過していますが、いまでにこの作業の繰り返しです。
技術士の試験問題の解説を掲載していますが、ちゃんと推敲しているはずなのですが、完成して数日後に解答例を読んだらイマイチです。
自信があったのに、また修正です。
何はともあれ、文章を書くのは難しいですね。
若くして芥川賞を受賞するような作家の頭の中はどうなっているのだろうか、なんてことを思ったりします。
でも、推敲という言葉の語源になった賈島(かとう)という偉人ですら悩むのですから、僕らが文章を書くのが上手くないのはしょうがいないです。
凡人らしく、修正を重ねて、少しでもいい文章を書けるよう、頑張るしかないわけです。
幸いにも、これはみんな一緒です。
というわけで、今日は推敲について説明してみました。