【世界史人物17】張騫「信頼」 | 新見一郎

新見一郎

勉学を通じて成長をナビゲートする講師。
2008年に技術士合格後、「技術士を目指す人の会」を立ち上げ、多数の技術士を輩出。自身も勉学ノウハウを活かして行政書士、世界史検定2級、電験三種に合格。

世界史の人物を紹介します。

今回は、張騫(ちょうけん)です

は、山川の教科書のP71、《漢代の政治》で登場します。

 

●いつの時代?

BC141年(武帝が即位)

 

●どこの人?

中国人

 

●何をした人?

漢は中国の王朝です。

張騫は、第7代皇帝の武帝の頃、外交官をしていた人物です。

 

 

●「秦」から「漢」へ

BC221年、「秦」が中国を統一します。

BC206年、「秦」が滅び、BC202年、劉邦が「漢」をたてます。

劉邦は、自らを高祖と名乗ります。都を長安(現在の西安)を建設します。

「漢」は、「秦」の領土を継承した上で、領土を拡げていきました。

この時代の中国にとって、最大の敵は北部にいた騎馬遊牧民族でした。

この騎馬民族を「匈奴」と言います。

「匈奴」の侵入を防ぐため、「秦」の始皇帝は長城を作りました。

その後、「漢」の時代になっても、「匈奴」の侵入防止のため、長城の整備を継続します。

そして、BC141年、武帝が即位します。

武帝は守る人ではなく、攻める人でした。

領土を拡大するため、北の脅威であった「匈奴」を撃退します。

漢は戦いに勝利し、「匈奴」西域に追いやります。

武帝の勢いは止まりません。

次に、朝鮮半島の「衛氏朝鮮」を滅ぼし、南部の「南越」も滅ぼして、領土を最大にします。

さらに、武帝は、西域の領土も得たいと考えました。

しかし、西域には、以前追い払った「匈奴」と「大月氏」という国がありました。

そこで、武帝は、「大月氏」と同盟を組んで、「匈奴」を攻撃しようと考えました。

実は、「大月氏」は、過去に「匈奴」と戦っていて、その時は敗戦しています。

「大月氏」は「匈奴」に恨みがあるので、同盟に応じると考えたわけです。

武帝は、この同盟を実現するため、「大月氏」に使者を送りました。

この使者が張騫(ちょうけん)です。

 

 

●張騫の旅路

張騫は、「大月氏」と同盟を組むため、「漢」を出発します。

ところが、「大月氏」に到着する前に、「匈奴」に捕まってしまいます。

拘留されて拷問を受けたかもしれません。普通であれば、殺されていたはずです。

ところがです。

張騫は相当な人物だったようで、敵であるはずの「匈奴」のトップに気に入られてしまいます。

驚くことに、約10年間、「匈奴」で暮らします。

10年もいたわけですから、匈奴からも信頼を得ていたのだと思います。

ところがです。

張騫は、やはり「漢」の男です。

隙を見て、脱出します。

ここで、普通の人であれば、「漢」に逃げ帰ります。

ところが、張騫は違います。

「大月氏」に向かいます。

同盟を組むという目的を達成するためです。

命懸けで移動をします。

そして、ついに「大月氏」に到着。

王様と接見し、同盟の話を持ち掛けます。

ところがです。

張騫が出発して10年が経過してましたから、世の中が変わっていました。

「大月氏」は西域での貿易がうまくいっていて、国が経済的に安定していました。

「匈奴」は憎いけれど、戦争をすることはリスキーだと考えました。

「大月氏」は同盟の話を断ります。

「漢」と「大月氏」の同盟は失敗に終わっていまったわけです。

張騫は、失意のまま、「漢」に帰ることにします。

ところがです。

帰路の途中で、またしても「匈奴」に捕らえられてしまいます。

運が悪すぎます。

張騫は、「匈奴」から逃亡したわけですから、普通であれば、殺されていたはずです。

ところがです。

「匈奴」のトップに、よほど気に入られていたのでしょう。

死刑にはなりませんでした。

収監されていたと思います。

ただしです。またしても、張騫は再び脱出することに成功します。

そして、ついに、BC126年、「漢」に帰還します。

とっくの昔に死んたと思われたはずです。

武帝もさぞかし驚いたことでしょう。

ただ、張騫は当初の目的である「大月氏」との同盟に失敗しています。

「匈奴」で10年も住んでいたけですから、スパイ容疑をかけられてもおかしくありません。

西域の地理や文化等、様々な情報を報告しても、それを信じてもらえないのが普通です。

ところが、張騫は、信頼されていたようです。

西域の情報を持ちかえった功績が認められます。

張騫は、要職に就くことができました。

その後も外交官として活躍しました。

 

●張騫の名言

張騫の名言について、ネットで検索しましたがヒットしませんでした。

しかし、これまでに述べたように、張騫は、味方だけではなく、敵からも一目を置かれました。

目的意識も高かったでしょうし、誠実な人物だったと推測できま。

そして、魅力的な人柄だったのだと思われます。

このため、味方からも、敵からも、信頼を勝ち得ました。

つまり、張騫を語る上で、次の言葉が重要になります。

 

信頼

 

少し話はそれますが、昔、『スピード・オブ・トラスト』という書籍を読んだことがあります。

 

 

相手から信頼されれば、自分が語ることを信じてもらえます。

多くを説明せずとも、承認や賛同が得られやすくなる。

つまり、信頼を勝ち得れば、時間と労力のロスが少なくなるわけです。

もちろん、信頼を勝ち得るまでは、相応の時間と労力が必要ですが、急がば回れです。

トータルで考えれば、信頼を勝ち得た方が、時短になります。

さらに、信頼されることで、自らの影響力も最大にすることができます。

信頼が効率と効果を生むわけです。

張騫は、多くの人に信頼されていました。

その結果、自らの命をも救うことができわけですね。

 

 

●張騫の画像

画像参照元:ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E9%A8%AB

 

 

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