苦難こそ誉 | ichiro168のブログ

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7歳から始まり信心して66年が経ちました。これまで多くの難に遭いすべて乗り越えました。

 

経済難もあれば職場での苦境にも遭い怪我する一歩手前もあった。いやがらせにも遭い上の立場の人からの、いじめにもあった。

 

でも、それは全部、信心で乗り越えてきました。今は年金暮らし、楽を楽と思い苦を苦と悟るは妙楽大師の言葉ですね。なんでも基本は忘れないことです。(自分の軌道を外さずに進むことが如何に困難だったか!)今にしてみれば、思い出になっています。

 

海で釣りをしたり、絵を描いたり、家の修理をしたり、庭の整備をしたり調理のレシピを考えて作ることが大の楽しみです。

 

これまでにも何枚か描きましたが、この絵は大聖人門下の先駆の弟子であり門下でもある冨木常忍(ときじょうにん)一家です。朝の題目は一日の始まり健康と無事を祈って唱えている一枚画です。

 

 

我が家はどうかとおもえば、ちゃんとご祈念していますよ。

来年の8月は母(故)96歳の7回忌です。先日は仏壇まわりを掃除、アルコール除菌したり記念の額縁を磨いたり障子も張り替えて綺麗になりました。母は歌♪が好きだったし絵も描くことが好きでした。

 

母が一番気に入った絵

 

南条時光です。母は言った!「白馬の絵がうまいと。」

 

熱原の法難、、母は言った!「これまでで良いよ」と。

それでYakultのTV観戦に火が付いたのです。「村上君!」チームはどん底ですけどねえ。応援していますよ。奥川君が帰って来たことだし希望の光が見えた感じです。

 

最近!また直した絵です

伊豆流罪の絵(静岡県は伊東市川奈のまな板岩です。満ち潮になると水没してしまう怖ーい場所でもあったのです。)

時は戦乱の鎌倉時代、仏法に曰くようやく承久の乱が収まり西側の隣国との貿易も盛んになり金品を含み色んな商品が日本国に入って経済が良くなったと思えば専制政治の時代、云わば封建制度!朝廷から武士が政治の実権を担う世の中になり戒律を重んじ下手に上司にたてつくと暴力を振るわれ下手をすれば死を招くそんな世の中だったんですね。内乱で多くの戦死者が出て神も仏もあったもんじゃない人々は三毒強情(貪瞋痴)になり、貧欲、むさぼり、野心に人の心は変わり果てて行く世の中でした。

時々開いて分厚い大聖人の御書を紐解くと当時の世の中が詳しく書かれています。「なぜ!不穏な世の中になったのでしょう」中期になると世の中はますます不穏な空気につつまれ干ばつや大飢饉、疫病、大風が吹き更には追い打ちをかける大地震に見舞われたり天変地妖(大彗星)が現れ世の人々は不安と恐怖におののき牛や馬は道端に倒れ死者が続出して家屋は倒壊、見るも無残な世の中になってしまいました。(立正安国論より)

こうした時代背景に聖人が現れ彼は黙々と外来から渡った書物(巻物)を読熟、一切経を日本の祖となる伝教大師の比叡山で習得しました。こうして日蓮は不幸な人々救わんがためにただ一人立ち上がり「法華経こそ人々を救うことを確信して立宗宣言され民衆に教え広めて行きます。初めて聞く今日に民衆は感動を覚え多くの信者がお助けと言わんばかりに信じる数が増えて行きます。しかし当時は念仏を中心とする信仰が根強く業が深い人たちが多くいて、また真言宗も流行っていました。従って日蓮は思うにこうした誤った信仰が不幸を招くと厳しく他宗を厳しく非難したため幕府と結託していた高僧は「不届きもの!」と言い悪口や暴力に遭い挙句は度重なる大難に遭いました。日蓮はこの大難は経に書かれてある通り承知の上で実践したからなんですね。「なぜ!なんでしょう」経を紐解けば中国の天台大師は法華経をまとめ上げ一念三千の法門を解き放ちますが流布には至らず理論上の巻物に終始したままでした。隣国の中国は像法時代で争いが多く戦乱の時代で仏説が世に広まることは命が何個あっても足りない世の中だったのです。巻物は釈尊の法を根本とした仏の知恵が書かれてあり仏になるがための尊い教えに唱えていくならば必ず成仏できると約束されています。しかしながら信仰するうえで、この経には難があると書かれてあり、それを乗り越える勇気と知恵があります。然るに大乗経典であるが故に一人立って教え導くならば難を乗り越え大勢の不幸な人々を救っていくことが出来るとあり初めて日蓮が世の不幸な人々を救わんがために行動を起こした結果が度重なる大難に遭ったわけです。像法の終わり末法の初めと言う日蓮の言葉に「まったく人は猶多怨嫉が多く悪世末法だと思いながら、たった一人で闘ったのです。」時は過ぎ4度目の法難に遭います。竜の口の法難です。処刑の場にて、そばに駆け付けた門下の四条金吾は「臨終只今!」と叫んだ!!。日蓮は天に向かって叫んだ!日本の神、八幡大菩薩に「なぜ!守護せん」と、その時だった江の島の方角から不思議なまりのような球が現れたと思えば暗い闇夜が一変して「どっかーん」とものすごい音がして家来たちは仰天して宙を舞い、ぶるぶる震える者もいれば手を合わせ拝む武士も居た。そして神々しく黄金の光に包まれ斬首することが出来ず、日蓮は迹を払い凡夫の姿から御本仏となったのです。「さあ、どうしようか!」と平の左衛門は屈辱にあい武士の面目を失い挙句は死罪同様の「さどがしま」へ流罪となり果てたのでした。(つづく)

 

昼食はアジの干物を10枚焼いて見をフォークでほぐし、おぼろ飯にしました。美味しかったです。

 

続けて論じます。竜の口の法難になると門下や弟子の多くは噂やでっち上げで「大聖人が竜の口で殺された。」と嘘が広まりその後、都の鎌倉に於いて火事が頻繁に出て幕府は日蓮の一派のせいだ!と門下や弟子に迫害を起こし幕府から所領没収や追放などの処分を受けました。そして多くの門下や弟子は100人中99人が遠ざかってしまいました。

 

ちょっと、また直して見ました。遠路はるばる、お目通りに来た親子が来ました。妙一尼とその娘、大聖人から激励のお手紙を送られ「法華経を信じる人は冬の如し、冬は必ず春となる」は有名な御文です。また日妙聖人も佐渡に参られて「妙法」に生き抜く姿勢を教えられてお手紙を送られています。同じような苦しい状況下で似ていますが別々の女性信徒です。

流罪された、「さどがしま」

秋が終わり、冬となると寒さはハンパではありません!。間口、1間四方(1,82M×1,82M)葬儀用の輩に入れられ天井は無く屋根の隙間から雪が落ちてきます。壁は隙間だらけで継ぎ目がばらばらで床板だけはしっかりとした構造だったらしい。そして間もなく他宗の僧らが100名以上打ち寄せ法論となりましたが大聖人はこれを喝破と破り他宗の僧らは退いて行きました。また、さどがしまには念仏が流行っていて、ここでも嘘やでっち上げがあり「おい、日蓮という僧がやって来たらしい、極悪人だと!」村の有力人である阿仏房は「そんなに悪い奴か!」と山道を駆け上がり大聖人の命を狙い「おい、日蓮、出て来い!」と大声で言うと日蓮は不動の仏の姿で出て来られました。初めて見て話を聞けば阿仏房は「おお、なんと立派なお方ではないか!」と、そして大聖人から折伏を受け、一旦は家に帰り妻の千日尼に話をすると「あんな山奥でねえ、、食べるものに不自由しているとか」二人は雪が積もる険しい山道を、背中に「おひつ」をしょって雪をかき分け大聖人に食べるものをご供養しつづけました。

その真心に大聖人は筆を執って阿仏房夫妻にお手紙を送りました。「食は命よりも変え難し、その身、自身が七宝で飾られたと当体です」と阿仏房は、わからなかった質問に大聖人は答えると阿仏房夫妻はその場で即身成仏しました。数々のお手紙をいただき、そして何度も食べる食料を運び1年が過ぎたころ、とうとう阿仏房は幕府の役人に見つかりとがめられ、大聖人とお供した日興上人とともに場所を「一の谷」へ護送され約2年半にも及ぶ苦しい状況下でありました、本門の仏の立場として需要な御書を認められました。「開目抄から始まり観心の本尊抄」数少なくなった門下や弟子に激励文のお手紙を通して送られています。そして島流しの刑は「嘘やでっち上げ」の冤罪だとわかり八代執権の北条時宗により無罪放免となって本国に帰還したのです。世界中,何処を探しても門下や弟子に直接、暖かい激励をとばしご指導した聖人はいないとおもいます。私は日蓮だけだと思います。難にあうことは宿命転換のチャンスだと私は常々思う。難を乗り越えて行った四条金吾のようにも思えるよ。先祖の冥福を祈る時、私の先祖は源氏だからです。かと言って門下の南条時光は平家の出身で大聖人から折伏を受け何度もご供養を重ね母(故96歳)は一番好きでした!。そういう母も早いもので来年の8月は7回忌です。はやいものだね!!

 

早起きです!「おはようございます」本州は梅雨明けがまだかなと、、今年の夏も暑くなりそうですね。毎日、ヨーグルト食べています。乳酸菌ヨーグルトつくりから始まり今ではビフィズス菌ヨーグルト作りにはまり3回目もなんなくできました。山善のヨーグルトメーカーは操作が簡単で質も良く説明書通りでボタンをタップするだけ後は果報は寝て待て!です。材料選びから始まり、まず牛乳は静岡牛乳、いつものお店へ行くとこればかり売れて、、説明のラベルを見れば乳酸菌は入っていない「ふつうの牛乳」です。だからビフィズス菌を入れたら、うまくできると確信しました。種菌になるビフィズス菌選びですが丁度、棚にあった「かごめビフィズス菌ヨーグルト」パッケージに3個入って値段が¥139円(安っ)飲むヨーグルトですが、出来ると思い作ってみました。ちゃんと程よく固まり味は上出来!癖になるヨーグルトでした。温度設定は42℃タイマーは10時間、、これで👌(オーケー)です。

最近では慣れないスマホの勉強をしてわからないところはドコモのお店へ行き教えてもらっています。だんだんと身についてきました。パソコン歴は40代から始まり30年を過ぎて今年は新しいディスクトップ型のPCに切り替え調子は上場!自分で立ち上げセットアップ、これでいいかなあと思えば「トレンドツールバー」がOFFになっていてセキュリティーが機能せずポップアップがあああっ!どうしたことかと30分ぐらいで「ON」に成功しましたがマイクロソフトの「設定」から手順を拾い出し「あっ!これか」と「ありました」キャリアが物を言いなんなく出来ました。

スマホは小さいですねえ、、字はちっちゃいし読み取るにも大変でしたが一か月あまりである程度は覚えこなしています。カメラ機能はサイズが大きく苦慮しましたが覚え画質も上等!覆歴の削除、メールの削除もわかりCRコードの読み取りは独学中!完全に覚えるまでもうちょっとです。お店で目についたのはdポイントでした。お店の人から勧められ只、払い込むだけでは面白くないと、「そうだなあ」やってみるかと思いdカードGOLDを申し込み先日郵送で来たばかり、開けてみれば年会費が1万円(えええーーーっ!)(高っ!)即やめ、ドコモ店へキャンセルしましたが、よーく考え「待てよ!」と。、、またドコモ店へ「もう一度、ゴールドカード」を見直して家計の決済をカード払いで「あれこれ」と公共料金やショッピング、レジャー用品まで、出来るものを検索、身近な場所で使えるお店を検索、結構ありました。市役所までも、、「できますよ」と。事前の下調べがd払い!出来そうポイントは10倍に「いいかもっ!」お店の人言ってた「ざくざく貯まるよ」と。年会費1万円も安いかな。ポイントが貯まったらお店に来てくださいと!サービスは満点ですね。現ナマは持っているとみんな使っちゃうので、これからはカード一枚でおかいもおおおっ!です。再、申し込みで手続きは完了して一週間ぐらいで郵送で送られてくる予定です。

 

きょう7月4日はまたドコモ店へわからなかったIDやパスを聞いて電力のd払いや方法など聞いて「お手伝い出来る!」とまずは公共料金からdポイントへ、収める税金も電話ではわからないので直接、市役所へ行ってきました。dポイントカード使えると!またドコモ店でお世話になるなあ(笑)エントリーもIDやパスを入力w2回応募して「当たる」と良いなあ。まだまだスマホは勉強中!(🔰初めて、いつものスーパーでd払いで「おかいも」できたし、コンビニでもd払いのおかいもができたよ。(まだまだ修行中!)

 

 

それとスワケチふぁんですが「Dios Es Mi Guia」(スペイン語)訳すると神は私の案内役、サンタナいい選手ですね。いつも応援しています。絵に描いた不軽菩薩(ふきょうぼさつ)のよう、共有できたら光栄です。

 

 

読者から一言=今年は能登半島大地震で携帯にアラームが鳴り響き結構広い範囲に関東まで及びました。気象庁から強い揺れにじ       ゅうぶん注意してくださいと。(なにもなかったですけど怖かったですねえ)

あれから能登半島は災害復旧に国を挙げて復興にご尽力されていますが隠れていた被害が目立つ!大きな地震で津波さえもあって火災もあったりで人命が失い多くの家屋が倒壊したり被害はニュースで見た限り被害甚大で大変したね。改めて「暑中お見舞い申し上げます。どうか!一日でも早い復興支援が出来ることを願っています。」(乙、かしこ)