行きすぎた「インクルーシブ教育」の問題:一緒にすればいいというものではない | 場面かんもく相談室「いちりづか」

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場面緘黙の子にとって、

「安心して過ごせる場」はとても大切。

 

 行きすぎた「インクルーシブ教育」 

全国の方から相談を受けているので、色々な地域のローカル・ルールに出くわします。

中でも私が一番問題が大きいと思うのは、行きすぎた「インクルーシブ教育」です。

 

インクルーシブ教育を推進しすぎて、特別支援学級が機能しなくなっている地域があります。


インクルーシブ教育には、個々の障害や疾患、子どもの状態などへの深い理解が必要です。

個々に応じた必要な支援・配慮があってはじめて成り立つものです。

それがなければ、ただの「多数派への統合」になってしまいます。

 

 「インクルーシブ教育」によって、居場所がなくなる 

「特別支援学級を基本的な居場所にしながら通常の学級と「交流」の時間を確保する」

これが特別支援学級の通常の運用方法です。

 

ところが、大阪府のいくつかの自治体では「インクルーシブ教育」を過度に推進してしまい、

「特別支援学級の子たちも通常の学級だけで過ごす」という運用をしています。

特別支援学級を「居場所」として利用することが認められません。

 

場面緘黙や強い不安症状のある子たちが

「特別支援学級で過ごす」ことを希望しても、

それが認められない学校が多くあるのです

 

場面緘黙の症状のある子の多くは、緘黙症状以外にも行動の抑制などの問題を伴います。

学校生活全般にわたって支援や配慮が必要な子もいます。

短時間の取り出しでの個別の指導だけでなく、「居場所そのもの」が必要なケースです。

 

特別支援学級を「居場所」として活用することが大切なのです。

 

 行きすぎた「インクルーシブ教育」のどこに問題があるのか 

この「インクルーシブ教育」の問題は、「多様性の理解の欠如」です。

 

「集団が苦手」「人がいるところが苦手」という子がいる

ことへの理解と配慮が欠けているのです。

 

支援や配慮や指導方法の工夫さえあれば、集団に十分に参加できるという障害もあります。

それは、障害の本質が「集団への参加」「人との関わり」の部分にある訳ではないからです。

 

しかし、社交不安や視線恐怖、パニック障害等に代表される「不安症」の症状は異なります。

「集団への参加」「人との関わり」そのものに苦手さがあるのです。

(社交不安等の不安症の症状は場面緘黙に併存することが極めて多いです)

 

人の多いところやザワザワした場所では安心して過ごすことができないからこそ、

特別支援学級という「居場所」が制度によって保障されているのです。

 

こういった子たちにも機械的に「同じ場で学ぶ」ことを求めるのは、

共生社会の実現からはほど遠い、単なる「多数派への統合」です。

多数派への統合というのは、私はとても怖いことだと思っています。

 

 「インクルーシブ教育」を進めるなら 

私は「インクルーシブ教育」の理念や考え方には賛成です。

障害の有無や重症度に関わらず同じ場で学べることは、理念としては素晴らしいです。

 

ですが機械的に「同じ場で学ぶ」だけを採り入れるのは、インクルーシブ教育とは呼べません

インクルーシブ教育を進めるなら、個々の障害や疾患などへのより深い理解が不可欠です。

 

インクルーシブ教育の理念の基でも、特別支援学校や特別支援学級は必要です。

居場所としての「特別支援学級」の利用を認めるべきだと私は考えています。