今でこそ音楽を奏でたり絵を描いたりもするが、依然、AIのメインの仕事は文章を生成することである。
プロ、アマを問わず、創作する者にとっては、一見、脅威のようにも思われる。
しかし、ビジネス文書は別だが、それ以外の、人が文章を紡ぐことの意味や意義や楽しみと、AIが文章を生成することはまったく別ものだ。
42.195kmはクルマで走ればあっという間だ。だからといってマラソンに意味がなくなるわけではない。マラソンは移動するためやるものではない。
創作するためにAIを使うことは、ぼくにとってはweb検索やワープロソフトやwebの製本サービスを使うことと同列で、AIは、自分で書いた文章を最終的な形にするための補完ツールのひとつだと思っている。
AIに文章を書かせて、それをそのまま作品にするようなことはしていない。
やろうと思ったこともない。
登山が好きだからといって、ヘリで頂上に行ってもだれもほめてくれないし、それは登山ではない。
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ところで、AIが登場する以前から、主にファンタジー系の創作で、ネーミング辞典や、あるいは、質問に答えていけば物語の骨子や世界を構築できるというハウトゥ本がある。
そういったハウトゥ本を利用したことはないが、今書いているお話のことを、AIといろいろと話しているうちに、あれ、これ、その本と同じことやってるかも、と思ったことがある。
原則として、作者はその登場人物や世界について誰よりも詳しく知っていなければならない。
そのつもりで、あれやこれやとAIがいろいろきいてくるので、律儀に質問に答えていたら、いつの間にかこれから書く先のお話の解像度があがったりしたことがあった。
補助ノートは作るが、ぼくの場合は予め枠組みを決めるというより、思いついたことのメモで、すべてをカバーできているわけでもないので、AIとの対話記録は、筋や設定の記憶の補完にも役立つ。
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ツールのアウトプットは誤りがなく(ファクトチェックは欠かせない)、納得できるものであれば遠慮なく利用するが、相手はしゃべるコンピューターという、スタートレックか「2001年宇宙の旅」の中でしか見たことがないような前代未聞の代物であり、しかも無料。
無料に乗じて、AIバーと称して、少々ひっかけながら無駄話をすることもあるが、いったい「何と」話してるんだろうと気味が悪くなることもあるにはある。
ときどき、こうもききたくなる。
で。あんただれ?
