思いつきはいけません。 | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

 易卦(第56卦)にもありますが、かつては旅といえば命がけで、帰れるかどうかすらわからないものでした。


現代では、旅は安全な物見遊山ですが、とはいえ……あれはマズかった! という旅もあります。

   ☆

そうだ屋久島行こう。

 

思いつきで、夫婦で出かけたのはいつのころだったでしょうか。すでに記憶の彼方ですが、当時トレッキングにハマっていて、週末にはときどき山「歩き」に出かけていました。

 

 

クルマやバイクの運転でもそうですが、ちょっと慣れてきたくらいの時期が一番ヤバかったりします。

海路もありますが、鹿児島からプロペラ機で飛びました。気分はもうジョーンズ博士です。実は最初は、屋久島で「山歩き」をするつもりはなかったのです。登山道入り口の案内板を見かけて、これなら行けるか! と。

 

軽装。軽い気持ち。登山計画未提出。ダメダメ三拍子。

道といっても、最初はよかったのですが、途中からは胸のあたりまで深く生い茂るクマザサの中を、樹々にピンクのリボンが点々と結ばれているだけの「道」です。無計画が祟り、途中で日が暮れてしまいます。

 

日が傾き書けた頃から、さすがにヤバいのはわかります。宿に連絡をとろうにもガラケーの時代ですから、山中からは圏外でケータイは役に立ちません。GPSなんてもちろんありません。

ルートを見失ったら一巻の終わりです。こうなったらヘタに動いてはいけないというチエくらいは働いて、とにかくルートからそれない山中泊の場所くらい定めておこうと、小さなホラのある杉の根元を見つけました。その夜はビバーク。露営。

 

非常用の持ち物はペラペラのツエルト(簡易テント)と、これまたペラペラの断熱アルミシートだけでした。食べ物は板チョコ一枚。水は少し。

屋久島の野生動物は猿と鹿、それ以外は小動物なのは知識として知ってはいましたが、ふだんはノホホンと暮らしている町のネズミです。

 

1月にもかかわらず、気温は比較的暖かだったのと、この雨の島で、たまたま雨が少なく、地面も乾いていたのは幸いでした。その日は満月か、満月に近く、あたりは明るかったのですが、心細いのは致し方ありません。遠くから、猿だか鹿だかの声も聞こえてくるし、ヤマビルが落ちてきたり、マダニでも上がってきたらどうしようとか、寝るといってもウトウトするくらいが関の山でした。

 

 

 

夜が明けて、樹に結ばれたリボンが見えるようになってからすぐ出発しました。なんとか9時半頃には宿にたどり着きましたが、その後、警察から電話があり、事情聴取がありました。10時を過ぎても戻らなかったら山狩りだったと聞かされました。

 

宿泊客が戻らないと宿から警察に連絡が行き、警察が、町のネズミ2匹を登山道の入り口で下ろしたと、タクシー会社から聞き取ったということでした。

 

新聞沙汰にならなかっただけで、立派な遭難です。

 

本来なら改めて訪問するなどして、宿のスタッフの方々、警察の方々、タクシー会社の方々に菓子折のひとつでも持って御礼・お詫びに回ってしかるべきところですが、仕事があるから……飛行機の時間が……と、さっさと帰ってしまってそのままという体たらく。

しかし、あの時の、宿の方々、警察の方々、タクシー会社の方々、お名前も存じ上げない方々に護られ、森の中で生かされて、今のぼくがあるのだと思っています。

今でも、それだけはよく覚えているのですが、登山道に入ってすぐ、まるでなにかの遺跡のような巨大な矩形の岩があるあたりで、猿だと思うのですが、上の方から「ギャァ~ッ!!」と叫ばれました。

たぶん「来るな!」「戻れ!」ということだったのでしょう。

 

あのとき、その声に従って引き返していれば、山中泊にはならなかったと思います。しかし当時は気にも止めませんでした。

   ☆

もう「山歩き」はしていません。イベント参加などの用事で動くことはあっても、いわゆる「旅行」にも滅多に行かなくなりました。

ま、歳ですね。

山歩き、山登りがブームになっていると聞きます。ぼくはもう山に行く気などはありませんが、登り慣れた低山で遭難するケースもあります。お出かけになられる方は、登山計画も必ず出して、よく山の声を聴いて、くれぐれも慎重になさってください。


楽しいお出かけに水をさす気は毛頭ございませんが、老爺心ながら、付け加えておきます。