兆しの考現学 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

多くの人はたったひとつきりの現実しかないと信じ込んでいるが実はそうではない。現実はミルフィーユのように薄い無数の[層|レイヤ]に分かれていて、そのレイヤ一枚一枚が独立した現実である。レイヤは現実を生きる各個人の分だけある。個人個人は、それぞれが別々のレイヤに住んでいる。

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手垢のついた例だが、水が入ったグラスがあって、このグラスの中の水を見て「こんなにたくさんある」と思うか、「これだけしかない」と思うかで、ふたつの[現実|レイヤ]があることになる。
もうひとつ例をあげれば、あなたが完全に没交渉にしたかつての友人、知人は、決してあなたの現実の層にあらわれることはない。あらわれたように見えたとしても、あなたはその人を以前のようには認識しない。

ミルフィーユの層どうしは完全に分離していて、層がちがえば完全に無関係というわけでもない。あるところでは分離して、あるところでは密着して、あるところでは重なりあって、またあるところでは融合してひとつの層を共有していたりもする。
しかも現実の層はミルフィーユの層のようにじっとしていない。常に流動している。ひどく食べにくいデザートなのだ。

この無数の[層|レイヤ]の広がりの中で一般に「ひとつだ」と信じられている領域が合意的現実であり(唯識でいう器世間。けだし、適切な述語である)この「合意的現実」こそバーチャルなのである。実態は個人個人別々の層の重なり合いの流れといったほうが正しい。

これら無数のレイヤのうち、特定の個人がどのようなレイヤに位置するかは、その個人の思考が忠実に反映される。いいかえれば、あなたはあなたの思ったとおりの世界に住んでいる。思考の傾向を変えれば、別のレイヤに乗りかえることができる(このようなお話に興味がある人はトランサーフィン関連の書籍((*1)(*2)など)を参照のこと。同著者による邦訳は過去にも何冊か出ているが、入手しづらくなってしまったので省略)。

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自分がいるレイヤが切りかわったどうかは、「兆し」を読むことによって判断することができるのではないか、というお話をしてみたい。

「兆し」とは新しいレイヤで新しい現実の流れが始まるという兆候、シルシであり、具体的にいえば「ありえないことではないが、ふだんはあまりないこと」である。
この定義をかみ砕くなら、「ふだん」というのが以前にいたレイヤで、「あまりないこと」が新しいレイヤでのイベントである。

乗りかえる前のレイヤと、乗りかえた後のレイヤの間には「距離」がある。
「ありえないことではないが」の意味は、極端に離れたレイヤに、いきなりジャンプはできないということだ。

水が入ったグラスの例でいえば「こんなにたくさんある」という[現実|レイヤ]と、「これだけしかない」という[現実|レイヤ]とは、レイヤとしては別だが、ものの観方がちがうだけで、その間の距離は小さく、ほとんど密着しているといってよい。

もうひとつの例である没交渉にした人物があなたの世界に二度とあらわれないというケースでは、その人物が位置するレイヤとあなたが位置するレイヤが、水の入ったグラスを観察するふたりがそれぞれ位置するレイヤ間の「距離」よりも、はるかに離れている。

念のため付け加えておくと、ふたりが通う学校、所属するクラス、勤め先が、べつだとか同じだとか、住まいが近いとか離れている、とかいうことではない。それは器世間、合意的現実における社会制度的あるいは、三次元空間的距離だ。そういった時空連続体内における物理感的、時空間感的な距離ではなく、レイヤとレイヤの間という形而上学的な「距離」が大きいのである。この「距離」が大きければ、たとえ隣の家に住んでいても、会わない人とは会わない。住んでいる「現実」がちがうからだ。

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仮説だが、「兆し」の性質を観察することによって、自分がもといたレイヤから、どのくらい離れたレイヤにジャンプしたのか、ある程度うかがい知ることができるのではないだろうか。くりかえすと、「兆し」とは「ありえないことではないが、ふだんはあまりないこと」である。
起きた[事象|イベント]の曖昧さの度合いは、乗り換えたレイヤ間の距離に相関しているのではないか。

ふたたび、水が入ったグラスの例をあげるなら「こんなにたくさんある」「これだけしかない」というレイヤは、きわめて主観的な感覚であり、どこがレイヤ間の分水嶺になるのか不明確で、ここでお話ししている仮説に沿って[現実|レイヤ]を乗りかえたのだ、とは[他人|ひと]対して説明しづらい。


他方、「あいつに会わなくなった」というレイヤと、「しょっちゅう一緒にいた」というレイヤが、それぞれが別の現実なのだということは、水の例よりも比較的容易に説明できる。
つまりこの例におけるレイヤ間の距離の方が、水の例におけるレイヤ間の距離よりも「大きい」「離れている」と考えられるのではないだろうか、という仮説である。

偶然にしろ意図的にしろ、レイヤを乗りかえた際に発生する「兆し」=「ありえないことではないが、ふだんはあまりないこと」を、たとえば、次の尺度に沿って観察することによって、もといたレイヤからどの程度離れたレイヤにジャンプしたか推測することができるかもしれない。

1=他人に説明できない。
2=他人に説明することはむずかしい。
3=まあまあ他人に説明できる。
4=他人に説明できる。
5=容易に他人に説明できる。

上のリストではジャンプした距離は1~5の五段階評価だ。数が大きいほどジャンプした距離が大きい。「ありえないことではないが、ふだんはあまりないこと」を主観的に認識したこと自体、たとえわずかでもレイヤ間の移動があったことを示すと仮定しているため、ミニマムは1だ。

0はない。

0は「そういうことはない」ふつうの状態を指す。
0というのはつまり、あなたはあなたの時間……人生ラインに沿って粛々と同一レイヤ上を移動している状態である。

   ☆

試みに実際に自分が経験した30の[兆し|サイン]を、上記五段階に分けてみた。

1(他人に説明できない)
・空に光るものをちらっと見る。
・ワンカット、ワンシーンのデジャヴを経験する。
・象徴的な夢を見る。
・見慣れた風景がいつもとちがって見える。
・珍しい形の雲を見る。
・診察券を拾う。

2(他人に説明することはむずかしい)
・誰かの言葉に癒やされる。
・誰かのTシャツに自分へのメッセージを見る。
・ベランダに落ちた一枚の鳥の羽を見つける。
・霊柩車を見る。
・だれもいないのに近くに人がいる気がする。
・線香の匂いがする。

3(まあまあ他人に説明できる)
・遠くの神社のお守りを拾う。
・宅配便が誤配される。
・老人に道をたずねられる
・めったに便りをくれない人から便り(手紙、はがき、メール、DM、SM、ファボ、コメント等々)がある。
・目にしたチラシの中に気になる講座をみつける。
・使っていた道具が壊れる、故障する(デジタル・ガジェットは反応しやすい)。

4(他人に説明できる)
・外国人に道をきかれ目的地まで案内する。
・スマホを忘れた見知らぬ女性に時間をたずねられる。
・100円玉を拾う。
・正面から歩いてきた男と、すれちがいざまに肩がぶつかる。
・[楽団員|オーケストラ]の会員証を拾う。
・本屋で目の前に本が落ちてくる。

5(容易に他人に説明できる)
・じゃれあって歩く男の子ふたりの上に飛んできたカラスが、くわえていたカップ麺の空容器を、ふたりの上に落とすのを見る。
・エスカレータ前で困っている老婦人の手を取り(先方が手を出してきた)、エスカレーターの終わりまで同行する。
・知らない誰かが、知らない誰かに宛てたハガキを拾う。
・人の死に目に会う。
・封筒に入った一万円札を拾う。
・目の前で人が倒れたので救急車を呼ぶ。

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定性的所感だが、距離が近いレイヤへの乗りかえはしょっちゅう起きていると思う。単純にいえば人生が長ければ長いほど、もといたレイヤからは少しずつ離れていくということだ。場合によっては逆に、年齢をいくら重ねてもレイヤ間の移動幅がさほど大きくない人生を送る人もいるだろう。この場合は「ふだんはあまりないこと」自体が、その人の人生にはあまり起きていないということになる。もちろんどちらがいい、わるいという話ではない。人生行路に優劣などない。

より意義のある調査にするには1~5における典型例をモデル化して、標準化されたイベントそれぞれの、単位期間中における「兆し」の出現頻度を測る必要がある。

とはいえ……

「典型例を標準化する」といってもむずかしい。たとえば、「モノを拾う」というイベントひとつとってみても、そもそも「モノを拾う」ことが「ふだんあまりない」ことかどうか人によって異なるだろうし、そういう文脈も含めて、どのような状況下で、いつ、どこで、なにを拾うかによって、他人に説明できる容易さはちがってくる。
「他人に説明できる容易さ」とは、要するにそのイベントが起こる珍しさであり、そこにはどうしても、それを語るもの、聴くものの主観が入り込む。

とはいえ……

物語は、おもしろいにこしたことはない。

とはいえ……

「おもしろさ」こそ、主観そのものではないだろうか。


……というようなお話、「おもしろ」かったでしょうか。

お楽しみいただけたならよかったのですが。

ご清聴ありがとうございました。

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(*1)「タフティ・ザ・プリステース 世界が変わる現実創造のメソッド」 ヴァジム・ゼランド 成瀬まゆみ モリモト七海 SBクリエイティブ 2023

(*2)「78日間トランサーフィン実践マニュアル 量子力学的に現実創造する方法」 ヴァジム・ゼランド 成瀬まゆみ モリモト七海 SBクリエイティブ 2025