たったひとつの物語 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

ようやくイベントに参加できるようになった。

そんなわけで、ホームページでだけ頒布していた本も、イベントで頒布すべく、気が向いたら新装版を作ってみようとは思っている。

そのプロセスで旧作を見直すことになる。

眺めていると似通った話ばかりだ。

登場人物やプロットを決めてという設計をしてから書くというやり方で書いているわけではなく、アクティブ・イマジネーションのやり方を応用して……と言えば、もっともらしく聞こえるかもしれないが、筆まかせというか、要は思いつきなのである。

無意識に書いたとも言えそうだが、それが似通った話になるという事は、結局、自分の深いところにあるハナシというのは一本の物語というカタマリなのではなかろうか。

人は誰でも、自らの内に「一冊の本」がア・プリオリに与えられていて、人生の目的というのは、その一冊の本を読むことなのだ、というのは勝手な思い込みによる持論である。

もうちょっとハナシをすすめて、ひょっとしたら、家族、民族、人類に対応した一冊の本、物語があるのかもしれない。

いや、そこまで広げなくても、後天的に任意に作った集まりにでさえも、その集まりが創造された瞬間に、同時にその集団・集合意識に対応した物語が生じるのかもしれない。

つまるところ、この世はすべて「物語」でできているのかもしれない。

たぶんそのおおもとは、たったひとつの物語にちがいない。