晩秋のゼンタングル | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

久しぶりにゼンタングルを描いた。
何かに夢中になることは、気持ちの整理をつけるにはいい。
描き終えるのにさほど時間はかからない。
何時間も何日も苦労してひとつのものを仕上げることで得られる達成感には格別なものがあるだろうけど、それよりも手軽に達成感・満足感が得られる。

「手軽に」とはいっても、インスタントというわけじゃない。
それなりに手間と時間は必要。けど、いわゆる「才能」は不要。
メソッドに従ってやれば誰でもできる。
システムとしての、このあたりのさじ加減が好き。

近くの公園で落ち葉を拾ってきた。

長いことゼンタングルを描いていると、どのような形にするかは悩みどころ。
月並みだけど落ち葉の輪郭を使ってみようと思った。
今までそんなことをしたことはなかったから。

最初の一枚はこんな↓感じで、アイディアは月並みだけれど、自然の造作はぜんぜん月並みじゃない。


【落ち葉タングル1】

太い葉脈に沿ってパターンを分けた。

これらのパターンはすべて「はじめてのゼンタングル さとういずみ著 自由国民社 2014」からのもの。

この本はバイブルのようなもので、2015年の11月あたりに著者のレクチャーに一コマだけ参加して描き始めてから、もう7年。

いまだにこの本から一歩も出られずにいる。
というより、あまり「出る」気もない。
バイブルに収録されている公式パターンが、五十音のワンセットのようにも思える。それらが集まってひとつの文章(物語)になる。

単語か文節かわからないが、パターンがひとつに絞られたものはモノタングルと呼ばれる。散文は定型詩に凝縮される。


【落ち葉タングル2】

パターンをふたつ使ったタングルはデュオ。
定型詩はちょっとした自由詩のようになる。


【落ち葉タングル3】

ゼンタングルは絵じゃない。

小さな「タイル」と呼ばれる画用紙を「ストリング」と呼ばれる境界線で区切って、区切られた領域をパターンで埋めていく。

基本はそれだけ。

パターンは、一定のモチーフを繰り返す模様のようなもの。
これを描く動作が瞑想的な効果をもたらすのだろう。

一服の清涼剤に過ぎないと言われるかもしれない。

まあでも、いいんだ。

そんなにすごいことをしてるわけじゃないし。