「観る」ことこそ、「すべて」。
☆
爻辞すべてに観の字がある。
九五と上九は同じ事を言っているようにも見える。
咎められる筋合いはないのだ。
君子ならば。
こういう句は「でもそう(君子)じゃないよね、アナタは」という含みがあるように思えてならない。しかも2回繰り返している。
君子。
「風(上卦巽)」のようになれるかどうか。
六三がその分水嶺である。
ぼくのような小人(凡人、凡夫)は、まずは無邪気に、先入観なしに、「観る」ということから始めなければならないようだ(初六)。
それとて、カンタンにできることとは思えないが。
