86:師
18:同人
TP19:集うこと
☆
「師」とは、軍隊のこと。
「同人」は同人誌の「同人」。
同人という言葉は易からきている。
志を同じくする者どうしの集まりである。
このペアに共通なのは「群衆」というテーマ。
ツイストペアの意味も「集うこと」にした。
ゼンタングルで、小さな○が集まってできたパターンを「ティップル」という。

【ティップル(個人)】

【ティップル(集団)】
易タングルで中心に点のある小さな○は「個人」をあらわしている……とみたてているから、小さな○があつまってできたティップルのパターンはすなわち、群衆をあらわすことになる。

【86:師】
「群衆」といってもさまざま。
ただなんとなく群れた「烏合の衆」もあれば、明確な目的を持って集まった集団もある。
「師」は「烏合の衆」の対極にある。
命令(律)によってきびしく統一された「師団(軍隊)」あるいはそれに類する組織のことである。
集団を率い、統一をとるシンボルとして連想したのは旗だった。
このゼンタングルのペアのストリングも旗のような形になっている。
「旗」は三層に分かれている。
一番上は市松模様で、真ん中の層にはティップルがあり、最下層には板塀(昨今の町ではとんと見かけなくなりましたが)のようなパターンがある。
群衆をあらわしているのは真ん中の層で、ティップルが描かれている。
真ん中の層の中央には太極図のようなものが描かれている。
これが軍隊を統べるリーダー。
この太極図にも中心にティップルがある。
この中心の単独ティップルは、リーダーもひとりの人間、生身の個人であることを意味している。
軍隊が持てる力を充分に発揮できるかどうかは、結局このリーダーにかかっている。
幸いなことに、このリーダーはバランスのとれた人格の持ち主のようだ。
だからその姿は太極図のようなもので描かれている。周囲のティップルたちは比較的整然と並んで、100パーセントではないにしろ、充分力を発揮できている。
ただそれは、ゼンタングル上の話。
現実にはそんなことはまれである。
個人レベルでは問題にならなくても、リーダーの人格のゆがみが集団に反映されると、そのゆがみはとんでもなく拡大されてしまう。
ゆがみのない人格を持つ人間など滅多にお目にかかれるものではない。いやひょっとしてそれは、「人間」ではないのかもしれない。
軍隊といえば戦争だ。
一番下の板塀もどきのパターンはオリジナルだが、矢とか盾とか、そんなものをイメージして描いた。
リーダーは、「師」の大成卦上では二爻の、たったひとつの陽爻にあたる。

【易卦の「師」とそのリーダー】
同じ旗のもとに集うといっても、同人は軍隊とはかなり異なる。
同人に絶対的な規律はないし、その必要もない。
あくまで自由意志で志をともにする者たちが自然に集まったのが「同人」だからだ。

【13:同人】
そこに自由を妨げるものがあってはならないので、ティップルの○のあつまりもこのゼンタングルではかなりゆるいものになっている。
通常のティップルのような○が密集したパターンではなくて、○の間にねじれたひし形というか三角というかそんなものがはさまった「ケイデント(Cadent)」と呼ばれるパターン(のアレンジ)になっている。

【ケイデント】
「ケイデント」は、易タングルにおいてはおおむね、「風」のイメージで使わせてもらっている。

【「ウインドキャラバン・新宮晋」(参考)】
「同人」では、「師」のように旗をふるものはいない。
おのおのの○の間にある波打つ三角がその「旗」だ。「旗」は多様でグループの数だけある。
一番下の層になっているティップルも、「師」ほど整然としていない「本来のティップル」になっている。多様性が生かされつつも、志を同じくするものどうしとして力をあわせているのである。
個人あっての集団か。
集団あっての個人か。
あるいはそもそも個人も集団もないのか。
この問いには決定的な回答はない。
いつもその時その時に、問い直されるべき問いなのだろう。
問いがおかれた文脈によって、その回答は時々刻々変わってくる。
そんな問いなのだが、すべての問いが多かれ少なかれ、そんな性質をはらんでいる。
絶対的な回答などおそらくどこにもない。
あってたまるか。
だからこの世はこんなにオモシロイ。
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「ゼンタングル(タングル)」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーはじめに」を参照してください。