易とトランサーフィン バリアント空間とは | ぼくは占い師じゃない

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易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

「トランサーフィン
 鏡の「超」法則」

ヴァジム・ゼランド著
須貝正浩訳
ほおじろえいいち監修

トランサーフィン・シリーズも4冊目になった。
最初は、理系的タームで彩どられた単なる願望実現モノの一種かと思っていた。

まあ……基本的にはそうなのだが、ずっと読み継いでくると深いところではそうではないような気もしてくる。

理系的タームで彩られてはいるものの、この本で示されているモデルが描こうとしているのは、物理的・工学的世界ではなく、主に、事象のもうひとつの側面、目に見えない方、形而上学的世界である。


◆トランサーフィン・モデル

このシリーズの骨子になっている二大概念は「振り子」と「バリアント空間」である。

振り子は、複数の生命体が同じ方向でものを考えるときに発生するエネルギー情報体で、小さなバーストであれば人と人とがすれちがうだけで発生する(フラッシュ振り子)。
一度発生するとエネルギーが得られる限り自律的に存続し続ける。
シリーズではおおむね悪いものとして描かれているが、実は生命活動を調律する目に見えない「なにか」でもあり、シェルドレイクの形態形成場や神智学でいうエグレゴールと本質的には同じものらしい。

バリアント空間は、SFではおなじみのパラレルワールドの概念に似ている。
たとえば、今あなたが着ているTシャツの色だけが違う世界が同時にある。同様に、めがねのフレームの色だけが違う世界がやはり同時にある。以下同様に……

今あなたがリアリティだと知覚している世界の、考えうる限りの無限のバリエーションが同時に実際に存在しているのがパラレルワールドだ。

バリアント空間はもうすこしスタティックなイメージで、過去、現在、未来すべてのパターンが存在する、無限の情報空間である。「セクター」は生命体によって現実化されるバリアントの一部分を指すが、セクターからセクターへ、バリアント空間を滑走することをトランサーフィンという。
一言でいってしまえばその方法について書かれている本なのだが、魂と理性、夢、占術、輪廻などなど、話題は多岐にわたる。


◆易?あたらないよ!

ところで、易の六十四卦は、易システムというモデルの上では森羅万象、「すべて」をあらわすということになっている。

ということは、六十四卦で構成されるマトリクスは、トランサーフィン・モデルに照らしあわせてみると、バリアント空間に相当するということになるが……

考えてみれば、たった64種類のシンボルで、無限の情報空間をあらわそうというのだから無茶な話だ。

占うということは、現実化される可能性のある直近のバリアント/セクターを読むことであり、大成卦と大成卦の間にある無限の間隙は占者が埋めなければならないのである!

自然数というインデックスで無理数を含む数全体を読み解こうとするような、それこそ無理矢理な気がしないこともないが、易システムというモデルはそのようなものなのである。

いいわけをするわけではないが、これじゃあ、あたらないことがあるのはアタリマエで、いやむしろ、あたらないことの方が自然なのかもしれない。

とはいえ、トランサーフィン・モデルによれば、脳はバリアント空間にアクセスするためのインデックス情報を処理しているということなので、ひょっとしたら、六十四卦のパターンはその処理を効率化する足しぐらいにはなるのかもしれない。

バリアントの情報は無限なので有限の構造である脳には格納しきれない。
だから脳は情報そのものではなく、インデックスあるいはポインタの処理をして、たぶん情報そのものはストリーム的に扱うのだろう。

トランサーフィン・モデルによれば、夢は理性のタガがはずれた魂がバリアント空間を気ままに旅した結果である。
また、バリアント空間には過去、現在、未来、すべての、無限のバリエーションがあるということなので、アカシックレコードととらえることもできるだろう。


◆バリアントの流れ

セクターが現実化されていく方向には一定の傾向があり、これを「バリアントの流れ」という。ほうっておけばそうなる、もっとも抵抗の少ない道筋だ。

易システムでいえば、さしずめ十二消長卦……というより、もう少し一般的にとらえて、下から順番に爻の陰陽が反転していって、上爻まで行ったらまた初爻から同じように陰陽を反転していく操作で得られる一連の大成卦……ということになろうか。

たとえば「85:地風升」の四爻が得られたとすると、そのままバリンアント流れに沿っていけば、次にあらわれるのは「45:恒」であり、そのまま流れに身をまかせていると、次が「25:大過」であらわされる状態に至る。

ぼくは占い師じゃない-バリアント空間
【トランサーフィン・モデルにおける形而上学的空間】


◆全体像と「占う」ことの意味

上のミンコフスキー図もどきの絵では、バリアント空間に時間方向の厚みはない(無限小)。バリアント空間は、時間というものがないか、もしくはその埒外にあるところに位置していることをあらわしている。
そこにあるのは永遠の現在のみであり、魂はそこから物質化されたセクターに生まれ、一定期間を経てふたたびバリアント空間にもどっていく。

ある特定の易卦は現実化されたバリアントをあらわす。
バリアント空間には、特定の易卦ではなく六十四卦全体がまるごとひとつのものとして対応している。

占うということはその人の人生ラインの、バリンアント空間における位置を特定し、その後のセクターの傾向を読むことである。

変爻が少なければ少ないほど、現実化されるセクターは近くにあり、多ければ多いほどその卦が指し示すセクターは遠くにあることになる。

いずれにしても、ささいな問いからシリアスな問いまで、卦を起こすことはひとつの転機である。梅花心易などでは占うタイミング(占機)を非常に重視するが、周易でもそれを重視してはいけないという理由はない。

「ささいだけど、いつもとちがう、ふだんはあまり起きないこと、あるいはそのように感じること」はセクターの流れに変化がおきるか、セクターを乗り換える兆候である(トランサーフィン・モデルではサインと呼ばれる)。
そのタイミングで得られた卦はサインに付加情報を与える(か、あるいはその卦自体がサインとなる)。

映画「マトリクス」ではデジャヴがそのようなサインになっていた。マトリクスがリアリティを修正するときにわずかなタイムラグが生じる。これが、巻き戻されたリアリティを2度経験するようなズレとして、人間には知覚される。



◆深いところでは……

現実化されたセクターは鈍重で粗い性質を持つ物理法則が支配する領域である。
ここで物事を成し遂げようとするのは容易ではない。
一般にいわれる「努力」はこの範囲内で目的を実現しようとすることだ。

トランサーフィン・モデルによれば所望のセクターに乗り換えて目的を達成する方が効率的ということになるが、これには「努力」とはまったく異質の、ときに禅的でさえあるスキルが要求される。

また、わたしたちは振り子によって眠らされてもいる(飼いならし)。
ある意味宿命でもあるのだが、結局のところ、このシリーズがうったえているのは、願望実現というより、ほんとうの「自分」というものも含んだ、そういった宿命をこえる「目覚め」であるような気がしてならない。