街中のメディスン | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

ネイティブ・アメリカンがらみの意味だと、
神秘的なもの、不思議なもの、魔法などは、
凡そすべて「メディスン」と呼ぶらしい。

ぼくはその意味に、
スピリットとのつながりを示す具体的なシルシ、
というのも追加してもいいんじゃないかと思う。

それもすでに入っていそうだなあ。
だとしたら認識不足を許してもらうとして……

アクセサリの類が好きで、
気が向くと身につけたりするのだが、
なんかそんな、スピリットとのつながりを示す
シンボルのようなものないかな~と思っていた矢先、
友達と、酔っ払って日の暮れた街を歩いていたとき見つけた。
銅鐸図
見てのとおりの銅鐸を模したアクセサリだが、
結構気に入ってぶら下げている。

ひとつひとつ手作りで、
聞けばいろいろ話してくれるが、とくに商売っ気もなく
道端に座り込んで文庫本ばかり読んでいるおじさんから買った。

酒を飲むと感覚が鋭くなる、
といっていた人がいたが、
たぶんそれはなにかの間違いで、
酒を飲むと感覚はニブくなる。
少なくともぼくの場合は。

手にも足にも厚ぼったいグローブがつき、
顔も身体も見えないフィールドでおおわれる。
このグローブやフィールドが、
感覚からくるすべての情報の信号強度を減衰させる。

こうなると外からの情報が伝わりにくくなるから、
当人はむき出しになった自分の意識と向き合わざるを得ない。
たいていの場合その意識は強力なエゴで、
ほとんどの人はそのエゴに飲み込まれてしまう。

このメディスンの作者とはそんな中で会った。
ボヤ~っとした感覚の中で。
銅鐸
モノは銅の彫金で、各パーツをロウ付けして造ってある。
中央上部の目が第三の眼のシンボルだということ以外、
とくに説明は聞いていない(ていうか覚えてないのかな)。

以下ぼくの勝手な解釈。

(1)銅鐸本体のカタチ…大地(台形)
(2)取っ手(とはいわないんだろうな)部分…天の運行
(3)創造の6段階(カミサマは6日かけて世界を創り7日目に休んだ)
(4)肉眼
(5)第三の眼(真実を観る眼)
(6)4つの季節と変化の法則
(7)コミュニケーション(口またはハート)

作者の意図とどの程度シンクロしているかはもちろんわからない。
だけどこういう解釈がスイスイ出てくるデザインというのも不思議。

最近スピリチュアルとかスピリットという言葉をよく聞く。
このブログでも時々出てくる。

いろんな解釈があるとおもうけど、
ぼくはおおむねふたつの意味で使っている。

ひとつはこの宇宙がこのように流れていく(変化していく)傾向、
というか、ゆるやかな方向性全体のこと。

もう一つはその方向性が個別化したもので、
人間という存在もスピリットである。

「汎神」もこれに含まれるが、
どちらかというと人間という存在以外の
自然の存在としてのスピリットに重きが置かれる。
八百万のカミサマ。

もともとひとつなのだが下流に行くと別れて、
別々に存在しているように見える。
だからコミュニケーションが大事。

そうそう、アルコール度のつよいお酒のことも
スピリットっていう。
これは酒精……お酒のエッセンス(ようするにアルコール)が
むき出しになっているからこう呼ばれる。

おおよそなんでもその髄はスピリット、というわけだ。

この文もどこかであなたのスピリットに触れられればいんだけどな。