きざしを読むことについて。
ガイドやRunner
に(*1)
ものをたのむのはおおいに結構。
だが、
贈り物をうけとるのに
あせってはイケナイ。
たとえばいつもの喫茶店で、
コーヒーを口にしたとたん、
とつぜんウ○コがしたくなって、
その喫茶店のせま~いトイレを
あけてくれるようRunnerにたのんだとしよう。
(食事中のヒト、スイマセン。
下品な例をおゆるしください)
たのんだからといって
すぐにあくとは限らない。
(あくこともある)
そんなときは「準備完了!」と、
Runnerがかならず合図を送ってくる。
これを「きざし」という。
先のトイレの例で言えば、
すぐにあかなければ
「きざし」をまつ必要があるのである。
それは……
隣ののヒトがなにかを思い出したように
急に席を立って店を出ていくことかもしれないし、
目の前のレジ前の行列に並んでいたヒトが
サイフから小銭をこぼすことかもしれないし、
通りからガラス越しに犬にほえられることかもしれない。
そんなきざしがあれば、必ずトイレはあいている。
あなたも実験してみればよい。
……いや、ローリング・サンダー(*2)によれば
こういうことは「実験」できるたぐいのことでは
ないらしいが。
願いがかなったら、
Runnerにお礼をいうのをけっして忘れないように。
だれかに親切にされたらフツーは礼をいう。
そのだれかが、
たとえば目に見えないものだったからといって、
目に見えないことが、
礼を省略する理由にはならない。
この文脈でいえば、
易システムは
「きざしをまつ」プロセスと、
深くかかわっている。
易で得られる結果は、
いわば、あなたが意図的に創り出した
「きざし」なのである。
なんでまた、人工的に「きざし」なんてものを
創出する必要があるのか。
それは、
いつもスムースに
まわりの現象から「きざし」をみいだし、
さらにそこから意味をつかみとれるとはかぎらないから。
つまり、わたしたちは
それだけ自然から遠ざかってしまっているのである。
易システムのようなオラクルは、
そのようなギャップをうめあわせる側面をもつ。
易システムについていえば、
その歴史は4000~5000年、あるいはそれ以上といわれる。
そう考えると人間と自然との乖離というのも、
ずいぶんむかしから始まったということがわかる。
「いったい最初のこの大問題がどこから来ているのかというとだな、
人間がこの地球の表面を、地球がまるで自分の所有物であるかのよう
に勝手にのし歩きだした時からはじまっているのだ。あの時そんな勝
手な真似をはじめたせいで、今になって果たしてこれからも生命が続
いていくことができるのか、などという質問を自分に投げかけなくて
はならない羽目に陥っている」
(*2中のマッド・ベアの言葉より)
と、ここまで書いて思い出した。
そういや英語でトイレにいきたくなることを、
「自然の呼び声」とかいうのではなかったか。
いやはや案外と近くに「自然」はあったものだ。
*1)(再掲載)
あなたのガイドに願いましょう
―聖なるサポートシステムにつながる方法
ソニア・ショケット (著)
奥野 節子 (翻訳)
ダイヤモンド社 (2007)
*2)
ローリング・サンダー
―メディスン・パワーの探究
ダグ ボイド (著),
北山 耕平 (翻訳),
谷山 大樹 (翻訳))
平河出版社 (1991)