「癒しの宝石たち」
~パワー効果と活用法の事典
北出幸男著
青弓社
すべての石はパワーストーンである、
てな話を2006年07月28日のログ、
「なんでもない石のこと 」で書いたが、
この本も、
「すべての宝石鉱物はパワーストーンである。」
という出だしで始まる。
ひとことでいうと、
こんな本が読みたかった!
という本。
どういう順番で本をひもとくかは読み手の自由だ。
「事典」と銘打たれているわけだから、
まずはリファレンスとして活用するように作られていて、
巻頭には、カタカナ順の索引も付いている。
でも、やっぱり、
にもかかわらず、ワタクシ的には、
通読してほしい本なのである。
話は、バリ島の観光絵地図になぞらえた、
こんななビジョンから始まる。
最高峰を水晶が占め、
下るにしたがって含まれる成分の違う鉱物たちがあらわれ、
さらにその下には、水晶成分が他の鉱物に浸透することで生まれる
鉱物が裾野の原生林を構成し、それにつづく平原が、
珪酸が他の原子分子と結びつくことでできる
ケイ酸塩化合物で……(一部引用)
この本は、そういう「島」の観光案内書というわけだ。
このビジョンのあとに、おもしろいことが書いてあるので、
あまりやらないことだが、ふたたび引用してみる。
「~本書の目的はパワーストーンとともに暮らすことで
以下の四項目を実現することにあって、
鉱物事典をつくることにあるわけではない~
(1)スピリチュアルな世界への理解を深めていくこと。
(2)日々の暮らしを望む方向へと調律していくこと。
(3)ヒーリング技法によって自分を癒して開いていくこと。
(4)これらによってそれぞれの人が新たな意識の地平に立つこと。~」
ここで著者がいっている「鉱物事典」とは、文脈から判断して、
アカデミックな専門的な「事典」のことである。
まあ、そうだろう。もしこの本が、
アカデミックなタイヘンなものだったら、ぼくだって
「通読してほし~の」
などと、気軽に薦めることはできない。
凡そモノゴトには、
目に見える側面とそうでない側面がある。
どちらがいいとか悪いとかではなくて、
おんなじナニカを構成するそれぞれ別の側面だ。
どちらか一方のみを語るだけでは、
そのナニカの半分を語ることにはなるが、
すべてを語ったことにはならない。
どちらか片方だけ……
たとえば、
目に見える側面=そのナニカの「すべて」、
だと思い込むのなら、
その人はそのナニカの半分を完全に見失っていることになる。
パワーストーンでいうなら、
その鉱物の化学的組成、採掘地、推定組成年代、
学術的・商業的分類、価格……
そんなものが目に見える側面ということになるだろうか。
反対に目に見えない側面としては、
その石の神話的、民族的意味、
いわゆるパワーストーンとしての効能、
というのも集団的意味になるなだろう。
個人的なものとしては、その石を持ったときの「感じ」、
その石と暮らすことのその人にとっての意味、
といったところになるだろうか。
本では、各鉱物について、
目に見える側面と目に見えない側面が、
ゆるやかにわけられて語られる。
各鉱物ぞれぞれの話が、
ひとつひとつ小さなエッセイまたはコラムだととらえることもできる。
自分が既に持っているパワーストーンかまたは、
気になる石の項目をチョイチョイ読むもよし、
ぼくのように一気呵成に読んでしまってもかまわない。
それぞれの項目は独立しているから、
どこからはじめてもどこで終わってもよい。
電車の中なら一駅二駅で読める項目もある。
著者は、西荻窪に自分のお店 を持っている。
ぼくもときどき行くことがあるが、
スタッフはこちらから質問しないかぎり話しかけてこないし、
じっくり石を選ぶことができる。
情報も大事だが、石は手にとって、ながめてみなきゃなあ。
ぼくが、そんなふうにそのお店にいくようになってから、
もう10年ちかくになるが、変なふうに大きくなることもなく、
お店がなくなってしまう、というさびしいこともなく、早20年だそうだ。
喫茶店でも飲み屋でも、
あ、行ってみようか、と思ったときに
いつもかわらないお店がそこにある、というのはいいものだ。
いいお店があって、世界中の石に触れることができて、
気に入ればおこづかいで手に入れることができる。
まあ、なんとシアワセな時代、
シアワセな国に生まれてきたものだ、
と、ときどきため息がでてしまうのである。
世の中、すてたもんじゃない。