燻習 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

易システムの大成卦には、
64のパターンがあり、
それぞれに名前と意味がある。

その64のパターンの、
名前と意味をどうやって覚えたのか、
ときどき、きかれる。

64なんてそれほど多いとは思わない、
という人もいるだろうが、
まったく初めて易システムに触れる人にとっては、
覚えるにはそれなりにタイヘンにみえるらしい。

コタエは単純で、
同じような本をたくさん読んだから。

種類は豊富とはいえないが、
易占・易経の本は、
さがせばまだみつかる。
もちろん、易が好きなこと、
知りたい、理解したい、
という強い欲求があることが前提になるが、

こいつらを片っ端から読んでいたら、
自然と覚えてしまった。

こういった本は、だいたい構成が同じで、
占法や、基本事項の概説や、
著者のコンセプトなどがアタマにあり、
後半は64卦の意味の説明となっている。
どれも「易経」をもとにしているわけだから、

結局全部同じじゃ~ん、

などと思っていたこともあったが、
それはどちらかというと浅い考えで、
おなじようにみえる64卦の説明でも
よく考えれば、各64卦の、
「著者なりの」解釈
であることがわかる。

各著者なりの考えだから、
原則は同じでも、
解釈はビミョーに(またあるときは激しく)異なる。
同じ絵を見ていても、
人により解釈が違うのと同じである。
同じことでも、
それを説明する先生によって、
ハナシがかわってくるのと同じである。

本は便利な道具だ。
よくいわれる話だけど
本の数だけ先生がいるのと同じだから。

白ヒゲを生やし、
いつも遠くを観ているようで、
それでいて弟子の深奥を射るような光を
その目にたたえた
もの静かなグルは、
必要ないのかもしれない。
今の世の中、
そんな人探すのもむつかしいケド。

まあとにかく、
実在の人だろうと本だろうと、
あまりタメにならない先生には、
つきたくないものだとは思う。

「燻習」は、
唯識のコトバだったかと記憶しているが、
持続的に教えにさらされることで、
いつしかそれが身にしみて習得されること。

燻製とおなじである。
イブされるのである。

64卦も燻されて覚えた……

そういうわけでして。


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ついでにいうと、
大成卦の各爻にもそれぞれ意味がある。
大成卦ひとつに6爻×64で、
384爻の意味があるが、
まだそこまでは燻されていない。
爻については、まあ実用的には
マダラにいぶされた状態でも大丈夫です。