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ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

街中の本屋なんて、
どこへいってもオンナジ・オンナジの
キンキン金太郎飴だと思っていたら、
いつも学校帰りによる本屋は、
ちょびっとそうでないところもあって、
おもしろそうな本が、ふいに目に飛び込んでくることがある。
やっぱりなんだか相性というか、
タイミングみたいなもんがあるんだろうか。
 
「まわりにいっぱい奇跡が起こる本」
デイビッド・シュパングラー著
高橋裕子訳
日本教文社
1429円税抜き
 
なんてちゃらけたタイトルだ、
まあ、よくある願望実現本だろう……ケッ。
と思いつつ、手に取ったのだが
(それでもいちおー手に取るのだ)、
チラチラ見てみると、どうもちがう。
買って読んでみたが、
ナカナカにおもしろかった。
 
願望実現というとお決まりのように出てくるのは、
祈りを含むアファメーション、
ビジュアライゼーション、
そして、
 
「この宇宙のリソースは無限さ、
マジに願えば、なんでも思いのままだよ~ん!」
 
といったノーテンキなコンセプト
(またはそのバリエーション)だが、
この本に書いてあることは、
まあ、たしかにそんな側面も含んでいるが、
もっと現実的である。
 
「なんでも思いのまま」は少し違ううんじゃないか。
ネガティブはいけない、なんでもかんでも、
とにかくポジティブにっていうのも、少し違うんじゃないか。
努力しなくて(何もしなくて)いいってのはゼンゼンちがう。
アファメーション、ビジュアライゼーションの手法も、
限定された条件では有効だが、
そもそも、願望がどう実現されるかは予測できないので、
ある願望に対して宇宙が与えてくれる可能性(コタエ)を、
かえって、限定することになりはしないか。
 
……というところから始まっている。
 
願望が最終的に結実するフィールドはこの物質世界であり、
その意味では、境界も制限も歴然とある。
また同時に、私たちは全体であり個人であり、
あらゆるものは、想像をはるかに超えた
相互依存によって成り立っている。
これらすべての条件下で願望は実現される……
他の願望実現本に比べて、スピリチュアルな考察が深いのである。
 
それを踏まえたうえで組み立てられているメソッドは、
従来の願望実現プログラムとはずいぶん様相が違う。
なんとなくうまくいきそうな感じではある。
ぼくはまだ試していないが、
ひょっとしたら、こういうやり方なら、
自分がいつもやってることに似ているな~、
と思う方もいるかもしれない。
あるいは、
過去、うまくいった場合には似たようなプロセスを
踏んでいたことを思い出すかも。
具体的なステップは本を参照してもらうとして、
惜しむらくはそのステップが、
ちょいと煩雑過ぎることだ(少なくともぼくにとっては)。
 
とはいえ、原理さえしっかり理解すれば、
自分なりにアレンジしてもかまわないということなので、
もっとシンプルにできるし、
是非そうして欲しい、と著者は言う。
最終的には、ことさら、
 
「ようし!『願望実現プロジェクト』を、
立ち上げるそぉぉっ!」
 
などと、アツクルシイことをしなくても、
軽やかに生きてゆけるようになること、
これが究極的な目標であることが示される。
 
思えば、ぼくが易システムに興味を持ったのも、
その目標に辿り着かんがためだったような……
上述の状態になって、自然体で生きることを、
ぼくは勝手に、HPの中 などで、
「フローに乗る」
といっているが……
いっているだけじゃダメなんである。
 
フローに乗れれば、
その段階でツール(システム)は、手放される。
子供のころにはいていたパンツは、
大人になってからははけないのと同じことだ。
 
上の本は、
願望実現(本の中では「実現化」といわれている)
の本ではあるが、
実際は、
そのテーマとするところは、
内的にも外的にも理想的な生き方の、
それとない指南であるような気がする。