精神世界関連の本などを読むと、
「戦士」というコトバを目にすることがあります。
広辞苑をひくと、
「戦場でたたかう兵士。比喩的にも使う」
とあります。
私たちの普段の生活では、
「戦場で戦う」ことは、あまりありませんから、
本でみた戦士というコトバは、比喩的な意味での戦士ということになるでしょう。
戦場で戦う戦士と区別するために、「魂の戦士」など言ったりもします。
そうそう「企業戦士」なんていう言葉もありました。
いろいろな解釈があると思いますが、
ぼくが一番気に入っている解釈は、
「戦士=意志を持って選択する者」
という解釈です。
朝、なぜ決まった時間に起きるのでしょうか。
決まった時間に会社に出るためです。
出社時間はあなたが決めたものでしょうか。
たいていはそうじゃないと思います。
会社で決められた時間なわけです。
つまりあなたの意志でなく、
外的な要因で決められているわけです。
これは、これだけでは問題になることはないささいな例ですが、
こういった「こうせねばならない」ことで、
時間が埋め尽くされてくると、
そのうち「自分の意志」というものでさえ、
本当にあるのかどうなのか、疑わしくなってきます。
ピンボールかビリヤードの玉のように、
あっちから突かれたらこっちへ転がり、
こっちから突かれたらあっちへ転がり、
ただそれを繰りかえしているだけ、のような。
最後はゴトンという音とともに、深いポケットに入り、
テーブルという舞台から、見えなくなってしまいます。
この悲しいイメージが、
自ら道を切り開いていく「戦士」とは、
対極のプロセスであることは明らかですが、
こういうプロセスには、易システムは必要ありません。
易システムは選択を支援する道具だからです。
「戦士」の武器、なわけです。