「変わらないものはない」のだから、「いいこと」はずっと「いいこと」でありつづけることはできない、
という話をしました。
ここで終わってしまうとクライだけなんですが、そうはなりません。
システムにいわせれば、ものごとには陰の側面と、陽の側面があるからです。
「変わらないものはない」のだから、
「わるいこと」も「わるいこと」でありつづけることはできないのです。
もし、たとえ今、失意のドン底にあったとしても、
そのままその状態がずっと続くことはありえない、
と、易システムはいってるんです。
もしそれが本当に「ドン底(=それ以上、下がない)」状態であるなら、
もうあとは「よくなる」変化しか起こりえません。
そして、逆説的ですが、変化し続けることは変化しないのです。
実際、易経の経文には、悪い状況のときは「あとは昇るだけだよ」と、はげまし、
よい状況のときには、「あまりはしゃぐな」
といった感じで注意するような内容のものが多いなあ、
とは、だれかがいっていましたが、ぼくもそう思います。
結局、何がよくて何がわるいのか、という話は、
その時々に人々が感じる感想または一時的な判断であって、
そこにあるのは、ただただ淡々と「変化することのみ」というわけです。
目のある白黒の巴形が二つ絡み合っている図は、
そのことをあらわす古来よりのシンボルで、太極図といいます。
黒地は「陰」、白地は「陽」、
白地にある黒い点は「陽中の陰」を、
黒地にある白い点は「陰中の陽」をあらわしています。
周辺の対応部分に、
グラデーションをつけた4つのYES・NOパターンを配してみました。
そう、YESとNOさえも、絶対ではありません。
変化します。
流れる季節のように。