無極 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

4月21日のログで、「ファーストソース」
というコトバが出ましたが、
それにちなんだお話をひとつ。


学校へ通う路の途中に、
「こんにゃくえんま」という、お寺があります。
文京の界隈ですから、もともと寺は多いんですが。

なんだろね、アレは。


でまあ、帰りに寄りました。
お参りして、御籤を引いて、お守り買って。


もし悪いのを引いたら、気になって暗示にかかるから、
オミクジは引かないという人がいますが、
そういう人は易システムにも近づかない方がいいかも。
気になっちゃいますからね。
大吉だったので、籤はそのまま持って帰ります。
本来、そこら辺に縛るのは悪いのが出た場合だけです。
そこの神様と縁をつないでおくシルシですね。
お守りは、いろいろあって、普通は開けたりしませんが、
ぼくが買ったお守りは、厄除けのミニ般若心経だから(400円)、
開けても問題はありません。
開けると、黄色い紙のマニュアルが出てきます。
ここに由来が書いてありました。


昔、眼病に苦しんでいたお婆さんがいて、
大好きなこんにゃくを絶って、
ここのエンマ様に願をかけたら、
目が治った、と。
それからこんにゃくをお供えする習慣が生まれたそうですが、
確かに本堂にはこんにゃくが山積みになっていました。
いったいだれがあんなに食べるんでしょうか。
お守りはピンチにおちいったときに、
「えんまさま、えんまさま」といってさすり、
お願いをして使う。
首尾よくかなえられたら、お守りはお返しして、
次のお守りを買いましょうということらしいです。
返すときはこんにゃくも添えたほうがいいのかな。


なんでこれがファーストソースのハナシなんだ、
と思われる人もいるかもしれませんが、
このこんにゃくえんま様、
正式名は「源覚寺」といいまして、
源(ファーストソース)に気づく(覚)ってことかな、
と、勝手に思ったのが、
実はここを訪れたきっかけだったのでした。


無極


易システムでいえば、
ファーストソースは「無極」にあたると思います。
無極は、陰と陽(両儀)が生じる前の未分化な段階です。
未発達ということではなくて、
あらゆるものに成り得る 可能性のカタマリそのもの。
結局、両儀も四象も八卦も六四卦も、
この無極をそれぞれの側面から眺めたもの、ともいえそうです。
無極が分かれて陰陽になって、さらに分かれて四象になって……
ということではなくて、無極はいまもここに変わらずにある、
と、ぼくは考えています。
ただそのままではとても「理解」できないから、
易システムのような方便が必要なんじゃないかと……
もうひとついえば、「あらゆる可能性」なわけですから、
ここにこうしている(と思っている)自分がいるこの世界以外にも、
この世は、多重な別の在り方をしていることもありうるのではないかと。


ま、デパチカで、
コロッケにしようか
メンチカツにしようか
悩むこととは直接関係はなさそうだケド。