刑事裁判を傍聴したことがある方は、検察官が「しかるべく」と言っているのを聞いたことがあると思う。
「しかるべく」は漢字を交えれば「然るべく」となる。
一口で意味を言うなら
(裁判官に)お任せします
といったところか。
検察官が「しかるべく」と言う場面は、その多くが弁護人の立証活動に対してである。
典型的なのが、弁護人が情状証人の証人尋問を請求したときだ。
例えば、自白事件で弁護人が被告人の親を情状証人として請求すると、裁判官は「検察官、ご意見は?」と尋ねる。
これに対して、検察官は「しかるべく」と意見を述べる。
その心は
被告人の親の証人尋問をやるか否かは、万事裁判官にお任せします。
どんな判断をしても文句は言いません。
ということだ。
ところが、ある任地で私は上司からこんな注意を受けた。
「しかるべく」は意見じゃないんだ。
検事なら、はっきり意見を言え。
言われてみればそのとおりである。
「万事そちらにお任せします」では、ことを裁判官に丸投げしているだけだ。
この注意を受けた後、私は法廷では極力中身のはっきりした意見を述べるようにした。
検事を辞めさせられるまで続けた。
はっきりした意見とは、情状証人の場合なら
異議ありません
または
必要ありません
くらいか。
前者は「弁護人が請求するとおり、検察官もこの証人の話を聞きたい」という意味で、後者はその逆である。
もっとも、私は「しかるべく」を完全に封印したわけではなかった。
自分なりに意見を言う条件を設定した。
その条件は
①情状証人がどんな人であるか
②その証人の供述調書が捜査段階で作られているか
をかけ合わせたようなものだった。
まず、①証人が被告人の親族(特に両親、子、配偶者の場合)だと、②がどうであれ
異議ありません
と述べた。
被告人の親族は、普通は被告人の人となりを最も知る人であり、そういう人であれば被告人を最もよく指導監督できるというモデル論からである。
捜査を丁寧にやっている場合は、起訴前にこうした立場の人から事情聴取して調書を作っているが、被告人の親族が改めて法廷で被告人をかばうのは当然だから、調書があっても「検察官もぜひ話を聞きたい」という姿勢を示したつもりだ。
次に、①被告人が仕事をしていて、勤務先の上司や同僚が請求されたとする。
この場合は、②その人の調書があれば「しかるべく」②調書がなければ「異議ありません」と述べていた。
この証人は、親族よりは被告人との距離がある立場なので、すなわち被告人の人となりを知る程度も親族よりは小さいだろうし、これすなわち指導監督ができる度合いも小さい、というモデル論である。
被告人との距離があることに加えて、調書があれば「検察官としては、調書に重ねてまでこの人の話を聞こうとは思わない」「(調書がないので)検察官は起訴前にこの人の話を聞いていない。だから法廷で聞くのは賛成」という発想だ。
先に述べた「『しかるべく』は意見ではない」という教えには反しているが、私には「せっかく弁護人が連れてきてくれた証人を頭ごなしにいらないと言うのは不誠実だ」という考えがあった。他方で、「親族に比べればやや疑問のある証人なので、採否は裁判官に委ねます」という心だった。
そして、最後の類型となるのが①被告人の友人、知人である。
言うまでもなく、このような方は親族や職場の方よりも被告人から遠いと考えるのが普通であろう。
意地悪な表現をすれば、うさんくさい証人とも言えるかもしれない。
では、こうした証人が請求された場合、私は「必要ありません」と言ったかとなると、答えはノーだ。
弁護士に転じた今はより痛感しているが、情状証人を探し、さらに法廷にお連れするのはけっしてたやすいことではない。
それに、弁護人も、できることなら親族などの近しい人を証人としたいに決まっている。
にもかかわらず、友人や知人といった方を請求するのは、そうした方しか請求できない事情があるからだ。
私は、(当たり前だろうが)検事時代も漠然とこう思っていたので、情状証人の請求に対して「必要ありません」と言ったことはなかった。
第三の類型の場合も結局は「しかるべく」だった。ただし、②がどうであれ、という意味では第二の類型と違う。
その心は
いささか心許ない方ですが、せっかく来ていただいたのですから、いらないとまでは申しません
といったところだ。
なお、弁護人の証人尋問請求に対して「必要ありません」と述べる場合としては、例えば否認事件でのアリバイ証人である。
もっとも、被告人のアリバイ主張は嘘だ、という心証があるのが前提だが。
さらに付言すると、検察官が「必要ありません」と言おうが、裁判官はこのような証人はほぼ間違いなく採用する。
長くなったが、なんだかんだで「しかるべく」と意見を述べることが多かったことにはなる。
だが、弁護人の立証活動に「異議ありません」と意見を述べる検事は多くなかったはずだ。
弁護士になった後も、こちらが請求した情状証人について「異議ありません」と聞いたことはまだない。
「しかるべく」は「お任せします」なのだ。
私も大半はこう述べてきたが、これは主体性を欠く無責任な意見であり、中身のない意見なのだ。
「しかるべく」と言い続けても腕が落ちることはないし、まして法的・実務的知識を疑われることもないが、平素から法廷での立ち居振る舞いに神経を遣うことで、ここ一番のきわどい判断やしびれる尋問に耐える地力が身につくのではないか、私はそう思って上司の教えを守り、あれこれと思いを巡らせていた。
「しかるべく」は漢字を交えれば「然るべく」となる。
一口で意味を言うなら
(裁判官に)お任せします
といったところか。
検察官が「しかるべく」と言う場面は、その多くが弁護人の立証活動に対してである。
典型的なのが、弁護人が情状証人の証人尋問を請求したときだ。
例えば、自白事件で弁護人が被告人の親を情状証人として請求すると、裁判官は「検察官、ご意見は?」と尋ねる。
これに対して、検察官は「しかるべく」と意見を述べる。
その心は
被告人の親の証人尋問をやるか否かは、万事裁判官にお任せします。
どんな判断をしても文句は言いません。
ということだ。
ところが、ある任地で私は上司からこんな注意を受けた。
「しかるべく」は意見じゃないんだ。
検事なら、はっきり意見を言え。
言われてみればそのとおりである。
「万事そちらにお任せします」では、ことを裁判官に丸投げしているだけだ。
この注意を受けた後、私は法廷では極力中身のはっきりした意見を述べるようにした。
検事を辞めさせられるまで続けた。
はっきりした意見とは、情状証人の場合なら
異議ありません
または
必要ありません
くらいか。
前者は「弁護人が請求するとおり、検察官もこの証人の話を聞きたい」という意味で、後者はその逆である。
もっとも、私は「しかるべく」を完全に封印したわけではなかった。
自分なりに意見を言う条件を設定した。
その条件は
①情状証人がどんな人であるか
②その証人の供述調書が捜査段階で作られているか
をかけ合わせたようなものだった。
まず、①証人が被告人の親族(特に両親、子、配偶者の場合)だと、②がどうであれ
異議ありません
と述べた。
被告人の親族は、普通は被告人の人となりを最も知る人であり、そういう人であれば被告人を最もよく指導監督できるというモデル論からである。
捜査を丁寧にやっている場合は、起訴前にこうした立場の人から事情聴取して調書を作っているが、被告人の親族が改めて法廷で被告人をかばうのは当然だから、調書があっても「検察官もぜひ話を聞きたい」という姿勢を示したつもりだ。
次に、①被告人が仕事をしていて、勤務先の上司や同僚が請求されたとする。
この場合は、②その人の調書があれば「しかるべく」②調書がなければ「異議ありません」と述べていた。
この証人は、親族よりは被告人との距離がある立場なので、すなわち被告人の人となりを知る程度も親族よりは小さいだろうし、これすなわち指導監督ができる度合いも小さい、というモデル論である。
被告人との距離があることに加えて、調書があれば「検察官としては、調書に重ねてまでこの人の話を聞こうとは思わない」「(調書がないので)検察官は起訴前にこの人の話を聞いていない。だから法廷で聞くのは賛成」という発想だ。
先に述べた「『しかるべく』は意見ではない」という教えには反しているが、私には「せっかく弁護人が連れてきてくれた証人を頭ごなしにいらないと言うのは不誠実だ」という考えがあった。他方で、「親族に比べればやや疑問のある証人なので、採否は裁判官に委ねます」という心だった。
そして、最後の類型となるのが①被告人の友人、知人である。
言うまでもなく、このような方は親族や職場の方よりも被告人から遠いと考えるのが普通であろう。
意地悪な表現をすれば、うさんくさい証人とも言えるかもしれない。
では、こうした証人が請求された場合、私は「必要ありません」と言ったかとなると、答えはノーだ。
弁護士に転じた今はより痛感しているが、情状証人を探し、さらに法廷にお連れするのはけっしてたやすいことではない。
それに、弁護人も、できることなら親族などの近しい人を証人としたいに決まっている。
にもかかわらず、友人や知人といった方を請求するのは、そうした方しか請求できない事情があるからだ。
私は、(当たり前だろうが)検事時代も漠然とこう思っていたので、情状証人の請求に対して「必要ありません」と言ったことはなかった。
第三の類型の場合も結局は「しかるべく」だった。ただし、②がどうであれ、という意味では第二の類型と違う。
その心は
いささか心許ない方ですが、せっかく来ていただいたのですから、いらないとまでは申しません
といったところだ。
なお、弁護人の証人尋問請求に対して「必要ありません」と述べる場合としては、例えば否認事件でのアリバイ証人である。
もっとも、被告人のアリバイ主張は嘘だ、という心証があるのが前提だが。
さらに付言すると、検察官が「必要ありません」と言おうが、裁判官はこのような証人はほぼ間違いなく採用する。
長くなったが、なんだかんだで「しかるべく」と意見を述べることが多かったことにはなる。
だが、弁護人の立証活動に「異議ありません」と意見を述べる検事は多くなかったはずだ。
弁護士になった後も、こちらが請求した情状証人について「異議ありません」と聞いたことはまだない。
「しかるべく」は「お任せします」なのだ。
私も大半はこう述べてきたが、これは主体性を欠く無責任な意見であり、中身のない意見なのだ。
「しかるべく」と言い続けても腕が落ちることはないし、まして法的・実務的知識を疑われることもないが、平素から法廷での立ち居振る舞いに神経を遣うことで、ここ一番のきわどい判断やしびれる尋問に耐える地力が身につくのではないか、私はそう思って上司の教えを守り、あれこれと思いを巡らせていた。