カルロス・ゴーン氏の保釈が許可され、氏は釈放されました。
 検察は保釈許可決定を不服として準抗告しましたが、判断は維持されました。

 弁護団は、ゴーン氏が罪証を隠滅すると疑うに足りる理由がないことを訴えるために工夫を凝らしたそうですが、さて、そもそもゴーン氏による「罪証隠滅」とはどんなものでしょうか。

 起訴された事件の証拠には証拠物や関係者の証言があるでしょう。
 このうち、証拠物は検察が押収していますから、ゴーン氏がこれに触れることはあり得ません。
 となると、焦点は関係者へのはたらきかけになるでしょう。
 いろいろな関係者がいるでしょうが、検察が警戒するのは、日産を統率していたゴーン氏が、例えば同社の部下に接触して、氏に有利な虚偽の証言をするように工作することでしょう。検察は、ゴーン氏の日産への影響力をもってすれば、たちどころに証言が「ひっくり返る」と主張したのではないでしょうか。

 ですが、ゴーン氏が接触し、はたらきかけると、日産の人々の証言は本当に「ひっくり返る」のでしょうか。
 例えば暴力団の親分格の人物と子分格を想定すれば、場合によっては親分の一睨みで子分は震え上がり、検察にした証言を翻す可能性はあるでしょう。
 ですが、ゴーン氏と日産の人々の間に、これほどの関係があるでしょうか。
 「私はゴーン氏が怖くて仕方がない」と検事に訴えた人も皆無ではないでしょうが、現実問題として、今、ゴーン氏は日産のトップの座を追われ、取締役も解任される見通しですから、部下を降格、左遷したり、給料を減らすなどの仕打ちはできません。

 次に、ゴーン氏が部下に精神的な圧力をかけて証言を翻させる可能性はどうでしょう。
 ゼロと断言はできませんが、日産は社をあげてゴーン氏追放に取り組んでおり、氏に不利な証言をすることが日産のためになっても(少々危ない表現ですが)、有利な証言をすれば、ゴーン氏の復権を許すことになりかねず、日産にメリットはありません。つまり部下にもメリットはないでしょう。
 となれば、仮にゴーン氏が部下に圧力をかけても、部下はそれを跳ね返せるのではないでしょうか。

 また、部下の事情聴取をした検事は、おそらく「もしゴーン氏や氏に近い人が接触してきたら、ご一報ください」とでも告げているでしょうから、その検事が信頼されていれば、接触された人は検事に告げ口して、検事から「くれぐれも証言を変えないように」と釘を刺されるでしょう。

 そもそも、たかが「接触」されたくらいでひっくり返る証言そのものを疑問視すべきではないでしょうか。
 検事は、重要な関係者は単に事情聴取するだけにとどまらず、ゴーン氏の有罪の証拠になり得る証言を調書にとっているはずです。
 こうして証拠化された証言が「真実」なら、「接触」されたくらいでやすやすと覆るはずがないでしょう。もちろん、例えば暴力団員どうしといった事情があれば別ですが。
 
 うがった見方かもしれませんが、検察が「接触」すら警戒しているとしたら、調書化した証言が「真実」でなく、検察の見立てに沿った話でしかないからではないでしょうか。
 検事に「真実」ではない話を押しつけられれば、その人は不本意な調書をとられたという思いを抱きます。
 そんなところにゴーン氏に「接触」されたら、その人は「会長、すみませんでした。実は検事にこってり絞られて、言ってもいないことを調書にとられてしまったのです」と泣きついて「ひっくり返る」でしょう。
 
 それに、検事に話した証言が「真実」なら、その人が法廷で「ひっくり返った」ときは、偽証罪に問えばいいのです。
 そこまでせずとも、法律に従い、検事がとった調書をいわゆる2号書面として裁判所に出すこともできます。もっとも、単にひっくり返っただけで調書が出せるほどに刑事裁判はいい加減なものではありませんが。
 「真実」を話してもらい、それをそのまま調書化して保存していれば、その人が法廷で「ひっくり返」ろうとも、検察は何も恐れることはないのです。

 検察には、法が認めた武器が揃っているのに、たかが「接触」に怯えるのは奇妙です。
 本当に捜査に自信があれば、むしろ「もう証拠固めは済んでます。だからこそ起訴したのです。ゴーンさん、どうぞ娑婆にお戻りください」とでも豪語するのが検察の矜持ではないでしょうか。

 もっとも、現場の検事の心情として、被告人・弁護人に熾烈に争われ、多くの証人尋問を強いられるのは精神的に大きな負担になります。いつなんどき、上司から「お前のあの証人尋問にミスがあったから無罪になったんだ」と叱責されるかもしれないと思うと、願わくば証人尋問を避けたくなりますし、尋問したとしても、証人が「ひっくり返る」ことのない、安全運転を望むでしょう。
 ですが、言うまでもなく、検察の起訴が間違いであり、すなわちその証拠や関係者の証言に間違いがあれば、これを法廷で糾さなければならないのが刑事裁判です。
 「ひっくり返った」証言こそが「真実」である可能性があるわけです。

 検察が自分たちの見立てにあくまで固執し、これに沿わない視点や証拠を虚心坦懐に受け止めることなく、とにもかくにも排斥しようとする傾向は昔からのことです。
 ゴーン氏の事件は、おそらく検察庁の威信をかけての起訴でしょう。
 そうであればなおさら、捜査と起訴に本当の自信を持った対応をしてもらいたいものです。